見もの・読みもの日記

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権力者の真実/袁世凱(岡本隆司)

2018-05-15 22:13:18 | 読んだもの(書籍)
〇岡本隆司『袁世凱:現代中国の出発』(岩波新書) 岩波書店 2015.2

 古い本だが、先日、入手可能な岩波書店の本は全て揃っているという「神保町ブックセンター」で見つけて衝動買いしてしまった。袁世凱(1859-1916)は、言うまでもなく中国清末民初の軍人・政治家。清朝崩壊、は第2代中華民国臨時大総統、初代中華民国大総統に就任。一時期中華帝国皇帝として即位したが、激しい批判を受けて退位し、失意のうちに病死した。私は清末民初の歴史が大好きなのだが、数多い登場人物の中で、正直、袁世凱という人物にはあまり魅力を感じてこなかった。どちらかといえば悪役だが、カリスマ的な悪の魅力にも欠ける。貪欲で凡庸な小人物のイメージなのである。

 本書は、そんな袁世凱の生涯を丁寧に追っていく。旧社会に生まれ、科挙という「正途」を見限り、淮軍の一部隊に身を投じる。朝鮮半島の壬午変乱、甲申変乱鎮圧に活躍し、李鴻章の信任を得る。このへん、特に新しい情報はないが、朝鮮における袁世凱が、国王をないがしろにし、官僚を威圧するなど、尊大な態度で内外からの非難を浴びたこと、にもかかわらず李鴻章が彼の手腕に満足し、信頼し続けたことが興味深い。ある意味、袁世凱の高圧的な政策は、李鴻章が誘導したものとも言える。李鴻章は、近年再評価が進み、私も安心して「好き」を公言できるのだが、実は李鴻章の暗黒面を、袁世凱が肩代わりしている気もする。

 続くターニングポイントは、康有為・梁啓超らの変法運動を挫折させた戊戌の政変である。袁世凱は、譚嗣同から持ちかけられたクーデタ計画を西太后の側近栄禄に密告し、変法派を打ち倒した。本書は、袁世凱の日記に基づき、譚嗣同の「書き付け」(クーデタのアジ文)を引用するなど、臨場感たっぷりにこの事件を語っている。従来、日記の記述は袁世凱の自己弁護と見なされていたが、康有為側の史料偽作が明らかになるにつれ、近年その信憑性が見直されているのだそうだ。それから、袁世凱がいったん変法派につき、協力を約束しておきながら寝返ったというのは、康有為側の期待過剰であると著者は評価する。公平な判断であると思う。

 義和団事変とその収拾の過程で、中央政府の主導者はことごとく退場する。袁世凱は直隷総督北洋大臣に就任し、天津において、当時の中国で最も先進的な都市行政と最先端の西洋化が開始される。「北洋新政」という言葉は初めて知った。「巡警」(警察組織)の創設など、治安維持が重点とはいえ、警察官養成のための学堂を整備し、俸給も優遇するなど、なかなか目を見張るものがある。道路・通信などの都市インフラ、防疫・病院など医療施設、各種の教育施設の整備も行われた。見事な手腕じゃないか、袁世凱。

 しかし、光緒帝と西太后の崩御、新帝(宣統帝)即位ののち、権力を掌握した醇親王載灃によって、袁世凱はすべての職を罷免され、河南省彰徳(現・安陽)に隠棲する。一方、清朝・中国の政治状況は混迷し、ついに「革命」を目指す武昌起義が勃発する。北京政府は周章狼狽して袁世凱に助けを求め、最後は内閣総理大臣に任命して全権を譲り渡す。追放隠棲の身から極官にのぼりつめるまで、わずか1か月。いや~想像力に富んだ小説家だって、こんな筋書きは書けないだろう。やっぱり、このひとの生涯は面白い。だが、極官にのぼりつめるというのは、栄華の絶頂であると同時に、危機の頂点に立つということでもある。

 南方の革命派が集結した南京臨時政府との交渉、宣統帝の退位。本書にとっては余談だが、臨時大総統を袁世凱に譲ることを決めた孫文が、政府官僚を引き連れ、明の太祖・朱元璋の陵墓に赴いたというのが興味深かった。清朝を打倒した孫文が、モンゴル帝国を駆逐した朱元璋に自らを重ねたというのが面白い。他方で、幼児の宣統帝と嫡母の隆裕太后から政権を窃取した袁世凱の所業は、「三国志」の司馬仲達になぞらえられるという。こうやって過去の歴史を参照することで現在を解釈する思考回路は、とても中国的だ。

 ここまで来ると、本書の残りページも少なくなるのだが、まだ袁世凱は皇帝にならない。臨時約法に基づき、国会を召集するための選挙が行われるが、袁世凱への支持は集まらず、宋教仁の国民党が圧勝する。袁世凱一派が危機感を強める中で、宋教仁暗殺が起きる。これによって最も得をしたのが袁世凱であることは確かだが、事件の真相については再検討が進んでいるという。

 国民党の混乱に乗じて権力の集中化を推し進め、ついに袁世凱は皇帝として即位する。歴史の針を逆に回すアナクロニズムに見えるが、彼は専制君主になろうとしたわけではなく、「君主立憲」に回帰しようとしたことに注意しておきたい。当時の感覚では、一般的な政体だったはずである。年号の「洪憲」に「憲法を洪揚する」の意味があるという説も初めて知った。しかし、結果は激しい批判にさらされ、部下や地方の離反が相次ぎ、袁世凱は即位撤回からまもなく病没する。本書の終章では「即位」から「終焉」までの記述は10ページにも満たない。なんともあっけない幕切れ。

 あらためて袁世凱の生涯をたどってみて、なかなか味わい深い人物だと思った。才子や英雄よりも、私はこういう小人物の物語に惹かれる。著者は最近まで袁世凱を「嫌い」と公言して憚らなかったそうだが、本文中には「わが袁世凱」という表現が、どこかにあったと記憶する。懐の深い評伝である。
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