■京都国立博物館 特別展『池大雅 天衣無縫の旅の画家』(2018年4月7日~5月20日)
先週末(5/12-13)の関西旅行の記。連休は関西に行けなかったので、この週末で春の展覧会を回って来ようと考えていた。いまの職場は定時帰りできることがまれなので、自由になるのは土日しかない。と思ったら、今年度は少し仕事の負荷が減っており、金曜の夜から出発できそうな気配…。当日の朝まで慎重に様子を見極め、久しぶりに金曜の仕事帰りに出発を決行。京都駅前に1泊し、土曜は朝から京博に向かった。まあ混雑はないだろうと思って、開館少し前に行ったら、すでに開門している。平成知新館の中に入ると、館内に100人くらい行列ができていたのは予想外だった(でも館内で待たせてくれるシステムは大変いい)。
池大雅(1723-1776)は円山応挙や伊藤若冲など、個性派画家がしのぎを削った江戸時代中期の京都画壇の中心人物の一人。京博にとっては、1995年の応挙展(見てない)、2000年の若冲展(見た)に続き、最後の一人の登場である、という解説が感慨深かった。しかし写実の応挙、奇想の若冲に比べると人気はいまひとつではないか。正直、私もそんなに大雅の作品に魅力を感じたことはなかったのだが、この展覧会で、だいぶ印象が変わった。
展示は3階から始まる。第1室は大雅の人となりや交友を伝える資料が中心で、混んでいたので後回しにした(画業を見てから戻ってきたら面白かった)。第2室以降は、ほぼ年代順に作品が並ぶ。若い頃からとにかく巧い。上質な中国絵画の筆法を完全に体得している。さらに縦長の画面に斜めに景物を配置する構成は、扇面図にヒントを得たものと考えられている(宗達みたいだ)。中年期の作品を見ると、自分の巧さを打ち破ろうとして、いろいろもがいている感じがする。日本の各地を旅して歩いたのも、そのひとつだろう。
それが、晩年(40代だけど)になると「巧さ」の束縛がとれて、奇跡のように明るく伸びやかな風景が現れる。いやー好きだ。白黒の『漁楽図』、淡彩の『西湖図』、墨と緑の落ち着いた彩色が美しい『四季山水図』(横長の掛軸)など、どれも好き。巧いかどうか以前に、見る者を絵の中に誘い込む魅力がある。
池大雅が若冲と同様、黄檗宗・萬福寺の文化圏の人だったということは初めて知った。萬福寺のために描かれた障壁画、『五百羅漢図』は一部見たことがあったが、『西湖図』は初見で、その大きさにびっくりした。売茶翁、木村蒹葭堂、鶴亭などとの交流を示す史料もあり、奥さんの玉瀾の作品もあって楽しかった。全体を通して、やっぱり京都という土地でなければできない回顧展だなあと感じた。
■龍谷ミュージアム 春季特別展『お釈迦さんワールド-ブッダになったひと-』(2018年4月21日~6月17日)
京博のあとは、すぐ奈良に向かう予定だったのだが、池大雅展の会場で知り合いに声をかけられた。向こうは専門家なので、どこの美術館でお会いしても不思議ではない。「時間があれば龍谷ミュージアムに行くといいですよ。滅多に出ない元代の絵が出ている」という耳寄り情報を教えてもらったので、予定になかった龍谷ミュージアムに向かった。
この展覧会は、仏教の開祖である「お釈迦さん」に焦点をあて、彼が生きた時代、彼の生涯、そして仏教の開祖として超人化・伝説化されていく様子を紹介する。はじめにお釈迦さんの時代(前5世紀頃)の歴史を横断的に理解するため、インドだけでなく、ギリシャやイラン、中国などの考古遺物が並んでいるのは、新鮮に感じられた。次に仏伝図など。愛知・聖徳寺に伝わる『絵因果経断簡』(平安後期)は、めずらしい白描。墨線に迷いがなくて気持ちがいい。
仏教徒は、季節の行事ごとに釈迦の図像を掛けて開祖を偲んだ。7/15の解夏(げげ)は夏安居の修了式・大反省会で、後代には草座に座った釈迦像が用いることが一般化したが、岩座の釈迦像や釈迦三尊像もあわせて紹介。その中に伝・顔輝筆『釈迦三尊像』3幅(京都・鹿王院、元代)があった。中央のお釈迦さんは、髭を伸ばした四角い顔、赤い衣をワイルドに右肩脱ぎして青い岩に座る。体毛が濃く、頭頂部は剃って(禿げて?)いるが、両肩に垂らした長髪は、よく見るとパンチパーマふうに縮れている。美男子であるべき文殊も禿頭、普賢は頭を剃っていないが、三人とも髭面。なんなんだ、このむさ苦しい三尊図は、と呆然とした。でも見ることができてよかった。
12/8の成道会には出山釈迦図が用いられた。三重・西来寺には元代の出山釈迦図があるのか。2/15の涅槃会にはむろん涅槃図だが、愛知・中之坊寺には南宋時代の涅槃図(周四郎筆)が伝わる。この時代のものはあまり残っていないそうだ。釈迦を囲むのが人間ばかりで、動物がほとんどいないのが興味深い。
先週末(5/12-13)の関西旅行の記。連休は関西に行けなかったので、この週末で春の展覧会を回って来ようと考えていた。いまの職場は定時帰りできることがまれなので、自由になるのは土日しかない。と思ったら、今年度は少し仕事の負荷が減っており、金曜の夜から出発できそうな気配…。当日の朝まで慎重に様子を見極め、久しぶりに金曜の仕事帰りに出発を決行。京都駅前に1泊し、土曜は朝から京博に向かった。まあ混雑はないだろうと思って、開館少し前に行ったら、すでに開門している。平成知新館の中に入ると、館内に100人くらい行列ができていたのは予想外だった(でも館内で待たせてくれるシステムは大変いい)。
池大雅(1723-1776)は円山応挙や伊藤若冲など、個性派画家がしのぎを削った江戸時代中期の京都画壇の中心人物の一人。京博にとっては、1995年の応挙展(見てない)、2000年の若冲展(見た)に続き、最後の一人の登場である、という解説が感慨深かった。しかし写実の応挙、奇想の若冲に比べると人気はいまひとつではないか。正直、私もそんなに大雅の作品に魅力を感じたことはなかったのだが、この展覧会で、だいぶ印象が変わった。
展示は3階から始まる。第1室は大雅の人となりや交友を伝える資料が中心で、混んでいたので後回しにした(画業を見てから戻ってきたら面白かった)。第2室以降は、ほぼ年代順に作品が並ぶ。若い頃からとにかく巧い。上質な中国絵画の筆法を完全に体得している。さらに縦長の画面に斜めに景物を配置する構成は、扇面図にヒントを得たものと考えられている(宗達みたいだ)。中年期の作品を見ると、自分の巧さを打ち破ろうとして、いろいろもがいている感じがする。日本の各地を旅して歩いたのも、そのひとつだろう。
それが、晩年(40代だけど)になると「巧さ」の束縛がとれて、奇跡のように明るく伸びやかな風景が現れる。いやー好きだ。白黒の『漁楽図』、淡彩の『西湖図』、墨と緑の落ち着いた彩色が美しい『四季山水図』(横長の掛軸)など、どれも好き。巧いかどうか以前に、見る者を絵の中に誘い込む魅力がある。
池大雅が若冲と同様、黄檗宗・萬福寺の文化圏の人だったということは初めて知った。萬福寺のために描かれた障壁画、『五百羅漢図』は一部見たことがあったが、『西湖図』は初見で、その大きさにびっくりした。売茶翁、木村蒹葭堂、鶴亭などとの交流を示す史料もあり、奥さんの玉瀾の作品もあって楽しかった。全体を通して、やっぱり京都という土地でなければできない回顧展だなあと感じた。
■龍谷ミュージアム 春季特別展『お釈迦さんワールド-ブッダになったひと-』(2018年4月21日~6月17日)
京博のあとは、すぐ奈良に向かう予定だったのだが、池大雅展の会場で知り合いに声をかけられた。向こうは専門家なので、どこの美術館でお会いしても不思議ではない。「時間があれば龍谷ミュージアムに行くといいですよ。滅多に出ない元代の絵が出ている」という耳寄り情報を教えてもらったので、予定になかった龍谷ミュージアムに向かった。
この展覧会は、仏教の開祖である「お釈迦さん」に焦点をあて、彼が生きた時代、彼の生涯、そして仏教の開祖として超人化・伝説化されていく様子を紹介する。はじめにお釈迦さんの時代(前5世紀頃)の歴史を横断的に理解するため、インドだけでなく、ギリシャやイラン、中国などの考古遺物が並んでいるのは、新鮮に感じられた。次に仏伝図など。愛知・聖徳寺に伝わる『絵因果経断簡』(平安後期)は、めずらしい白描。墨線に迷いがなくて気持ちがいい。
仏教徒は、季節の行事ごとに釈迦の図像を掛けて開祖を偲んだ。7/15の解夏(げげ)は夏安居の修了式・大反省会で、後代には草座に座った釈迦像が用いることが一般化したが、岩座の釈迦像や釈迦三尊像もあわせて紹介。その中に伝・顔輝筆『釈迦三尊像』3幅(京都・鹿王院、元代)があった。中央のお釈迦さんは、髭を伸ばした四角い顔、赤い衣をワイルドに右肩脱ぎして青い岩に座る。体毛が濃く、頭頂部は剃って(禿げて?)いるが、両肩に垂らした長髪は、よく見るとパンチパーマふうに縮れている。美男子であるべき文殊も禿頭、普賢は頭を剃っていないが、三人とも髭面。なんなんだ、このむさ苦しい三尊図は、と呆然とした。でも見ることができてよかった。
12/8の成道会には出山釈迦図が用いられた。三重・西来寺には元代の出山釈迦図があるのか。2/15の涅槃会にはむろん涅槃図だが、愛知・中之坊寺には南宋時代の涅槃図(周四郎筆)が伝わる。この時代のものはあまり残っていないそうだ。釈迦を囲むのが人間ばかりで、動物がほとんどいないのが興味深い。