見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

イギリスでお茶と出会う/砂糖の歴史(川北稔)

2016-11-09 23:21:54 | 読んだもの(書籍)
○川北稔『砂糖の歴史』(岩波ジュニア新書) 岩波書店 1996.7

 先日読んだ『銀の世界史』という新書は、全体として不満の多い内容だったが、ところどころ興味深い記述があった。その一例が、サトウキビから砂糖を製造するプランテーションに関する記述で、もう少し詳しいことが知りたいと思い、書店で本書を見つけて読み始めた。

 世界中の誰にでも好まれる砂糖は、お茶や綿織物と並ぶ「世界商品」の代表である。16世紀以来の歴史は、そのときどきの「世界商品」をどの国が握るか、という競争の歴史として展開してきた。という重要な認識を冒頭に示して本論に入る。

 砂糖の原料である砂糖きびは、熱帯から亜熱帯に適した植物である。砂糖きびの栽培と製糖の技術は、イスラム教徒と十字軍を通じてヨーロッパに伝播した。初期は上流階級の間で薬や権威の象徴として用いられたが、やがてヨーロッパ各国は、競って大西洋の島々で砂糖のプランテーションを行うようになり、さらに広大な栽培地を求めて、新世界に砂糖きびがもたらされた。…以上が砂糖の(ヨーロッパにおける)起源の概略なのだが、余談として、砂糖大根は19世紀に品種改良で作り出されたとか、日本は1609年に福建省から砂糖きびが伝えられたことになっているとか、書いてあることが全部おもしろい。

 砂糖きびの栽培には、膨大な人数の、命令の行き届きやすい労働力が必要であったというのは『銀の世界史』にも書かれていたとおり。それゆえ、イスラム教徒が地中海に砂糖きび栽培を持ち込んだ頃から奴隷制度と結びついていたというのは初耳で、まことに罪つくりな植物だなあと思った。「砂糖のあるところに奴隷あり」とまで言われるのか。そして、砂糖きびは土地の栽培能力を急速に失われせることから、「旅をする」運命をになった植物でもあった。

 プランテーションというのは、ほかの作物をつくらず、ただひとつの「世界商品」をつくり続ける農業や経済のあり方(モノカルチャー)をいう。その結果、社会も風景もどのように変わってしまうかが本書には分かりやすく詳述されている。また、カリブ海でプランテーションを実現するために、アフリカでは多くの奴隷が集められ、猛烈な勢いで運ばれてきた。「アフリカ社会は発展の力をまったく削がれてしまいました」「アフリカの国々が、現在に至るまで『発展途上』の状態にある歴史的理由のひとつが、ここにあります」という告発は重要である。

 ここから、砂糖と出会った三種類の飲み物の話が続く。まず「お茶」。中国のお茶とカリブ海の砂糖がイギリスで出会い、17世紀中頃から「お茶に砂糖を入れて飲む」ことが一般化する。なお、ヨーロッパでは今に至るまでお茶の木の栽培ができないというのも興味深い(もし栽培できていたら、世界の歴史は違っていたかもしれない)。次に「コーヒー」。17世紀の後半から18世紀にかけて、イギリスの都市ではコーヒーハウスが大流行した。ただしコーヒーはお茶と違って、イギリスの家庭には普及しなかった。一方、アメリカやフランスはコーヒー(カフェ)の国になった。

 さらに、特定の国に集中はしないものの、広くヨーロッパ諸国に受け入れられた飲み物に「チョコレート(ココア)」がある。チョコレートに砂糖を入れたのはスペインのカルロス一世(カール五世、16世紀)であるという記述を読んで、そうか、そもそもチョコレートと砂糖は別物なんだ!ということに気づいて、あらためてびっくりした。

 さて再びイギリスである。17世紀に上流階級のステイタスシンボルだった「砂糖入り紅茶」は、19世紀には労働者の生活必需品になっていた。砂糖入り紅茶は「元気のもと」、つまりカフェインを多く含む即効性のカロリー源であり、台所がなくてもお湯さえ沸かせれば(買ったパンを添えて)暖かい朝食の体裁を整えることができる。昼からビールを飲む習慣から労働者を引き離す効果もあった。現在でもイギリス人は世界一級の「砂糖食国民」なのだそうだ。

 しかし、イギリスでは守られすぎた砂糖の価格への風当たりが強まり、ついに奴隷制度が廃される日が来た(人道的な理由より経済的な理由らしい)。植民地のプランターたちは、労働力をアジア人の「契約労働者」(日系移民も含む)に切り替えて、砂糖生産の延命を図ったが、以前のような競争力を持つことはできなかった。なお、植民地を持たなかったプロイセンは、ビート(砂糖大根)の品種改良を進め、一時は世界的に砂糖きび糖を抜くところまで普及したが、現在は砂糖きび糖が盛り返している。むしろ今後は、低カロリーの化学甘味料のシェアの拡大が予想されている。

 私は具体的な「モノ」をめぐる歴史が大好きなので、こんなふうに要約してしまうともったいない感じがする。岩波ジュニア新書というのは、中学高校生くらいが対象だろうか。一般の新書に比べて全く遜色なく、信頼できて面白かった。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする