見もの・読みもの日記

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愛すべき出版人/岩波茂雄(中島岳志)

2013-12-27 00:16:30 | 読んだもの(書籍)
○中島岳志『岩波茂雄:リベラル・ナショナリストの肖像』 岩波書店 2013.9

 岩波書店の創業者である岩波茂雄(1881-1946)の評伝。冒頭に短い「はじめに」があって、著者が岩波茂雄に出会ったきっかけ、関心を持った理由が示されている。岩波書店は、日本右翼の源流『頭山満翁正伝』や筧克彦『神ながらの道』を出版する一方で、マルクスを翻訳出版し、講座派マルキストの潮流を形成した。岩波茂雄はリベラリストであると同時に熱心な愛国者でもあり、率直な人柄を多くの人々に愛された。「それでは、岩波茂雄という愛すべき出版人の生涯を追いたいと思う」という著者の晴れやかな宣言とともに、本書の幕が開く。

 幸か不幸か、私は「はじめに」を見落として、第1章から読み始めてしまった。著者の中島さんが岩波茂雄に対して、共感的なのか批判的なのか、全く手探りで読み始めた。岩波茂雄は、明治14年(1881)長野県諏訪盆地に生まれた。中学一年生のとき、父が急死し、進学をあきらめかけたが、尊敬する杉浦重剛に「請願書」を送り、日本中学に入れてもらう(こういう若者の行動力と、責任ある大人の義侠心がなくなってしまったなあ、日本は)。

 やがて一高に入学するが、二年生になった頃から、失恋、信仰、立身出世への懐疑、憂国の情などに煩悶し、しばらく野尻湖に浮かぶ小島で過ごしたりする。なんか面倒くさい男だなあ、と思いながら読む。むかし、丸谷才一さんのエッセイで、この時期の岩波茂雄に触れたものを読んだ記憶がある。最終的に一高を除名になるも、かろうじて勉強を続け、帝大の哲学科に入学。学生結婚。31歳のとき(1913年)女学校教員の職を辞して、岩波書店を創業し、「新刊図書雑誌及古書の売買」を始める。開店の翌年、台湾総督府図書館創設のための図書購入プロジェクト(総額一万円)が舞い込んできて、ようやく商売が軌道に乗った。へえー。岩波が集めた本は、今も国立台湾図書館にあるのだろうか。

 そして、当時の国民的人気作家・夏目漱石『こころ』の出版。のちに漱石の葬儀の日、岩波茂雄が便所に落ちて、みんなで泣き笑いするエピソードは、確か内田百間のエッセイにもあったと思う。以下、堰を切ったように、有名作家・評論家・学者・科学者が続々と評伝中に現れる。正岡子規、倉田百三、田辺元、三木清、芥川龍之介、河上肇。岩波が見出して抜擢した者もあれば、岩波を慕って寄って来た者もある。

 第3章では、1930年代、戦時体制に傾斜する時局を背景に、「リベラル・ナショナリスト」岩波茂雄の思想を深く探る。岩波は、明治維新→自由民権運動→政教社と続く「明治ナショナリズム」の喚起によって、自由な批評精神を圧迫し、権力による国民動員のイデオロギーへと転化しつつあった「昭和のナショナリズム」に対抗していく。要するに『坂の上の雲』ってこと?という感想が聞こえてきそうだ。うまく言えないけど、ちょっと違う気がする。岩波にとって「明治ナショナリズム」と「昭和ナショナリズム」の相克は、史観の問題ではなく、彼の人生を賭しての闘いとなる。

 1934年には『吉田松陰全集』を刊行し、少年時代から尊敬していた「リベラル・ナショナリスト」松陰を、偏狭な国粋主義者から「奪い返そうとする」。この表現を読んで、坂野潤治先生が『西郷隆盛と明治維新』を書くことで、西郷隆盛を「(右翼から)取り戻した」という表現を思い出した(※この本、今年の4月頃に読んだのだが、感想をまとめる機会を逸したまま)。なお、岩波の『松陰全集』刊行に噛みつき、言論攻撃を繰り返すのが蓑田胸喜である。このひとのことも、私のブログでは何度か取り上げている。岩波と蓑田は相容れないまま終わるが、戦後、蓑田が故郷で自殺したと聞き、岩波が「それでは蓑田は本物であったか」と言い、遺族に金一封を贈ったというのは、私のとても好きなエピソードである。また、公権力の側から、岩波の言論・出版活動に厳しい規制を加えた「内閣情報部」には、佐藤卓己さんの『言論統制』に登場した鈴木庫三がいたんだろうな、たぶん。

 岩波の、アジア諸国への真情にも打たれるものがある。単なる意見表明ではなく、中国人・朝鮮人学生に対する資金援助だけでもなく、商売の中で「岩波新書」という企画を実現してしまった点がすごい。「岩波新書は、日中戦争へのリアクションとして創刊された」のである。「この叢書には、中国を理解するに役立つものをたくさん入れよう」というのが、岩波とその周辺の企画者の意図だった。で、岩波新書の創刊第一冊はクリスティーの『奉天三十年』(上・下)なのか。これ、読みたい。「新書」に先立つ「岩波文庫」や「岩波全書」の創刊など、岩波書店って、新たな「メディア」の開発と実験に積極的な書店だったんだな、ということも本書によって再認識した。

 そして敗戦。脳溢血の発作。岩波は病床で総合誌『世界』を構想し、創刊する。1946年4月、死去。出版人・岩波茂雄の膨大な仕事の足跡を振り返り、最後に著者は「そんな岩波が、私はどうしても好きだ」と記す。たぶん「本」が好きな人間なら、この言葉に文句なく同意するだろう。「本」が好きということは、活字なら何でもいいというわけではない。やっぱり、時局に対する果敢な挑戦とか、伝統文化に対する敬意があってこその「本」なのだ。別に、紙の本がなくなってもよいが、出版媒体がどのように変わっても、岩波が頑固に守り続けた理想主義と批評精神は失ってほしくないと思う。
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