見もの・読みもの日記

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2013秋@古代中国の名宝 細川護立と東洋学(永青文庫)

2013-12-03 23:53:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
永青文庫 秋季展示『古代中国の名宝-細川護立と東洋学』(2013年10月5日~12月8日)

 永青文庫の設立者であり、東洋学に造詣の深かった細川護立(1883-1970)の蒐集した中国の古代美術の名品が展示されると知って、はずせない展覧会だと思って出かけた。いちおう順路に沿って、4階から参観。ここは細川家コレクション展示室だが、呂紀、沈南蘋など中国絵画が目立っていたのは、秋季展示のテーマとの関連を配慮していたのかもしれない。

 3階が秋季展示。重要美術品の加彩舞伎俑(唐時代)は何度か見ていると思うが、色彩の美しさにあらためて目を見張る。梅原龍三郎の絵画作品のモデル(?)にもなったもの。三彩四葉形四足盤(唐時代)は、正倉院宝物にありそうな形だ。でも、やっぱり細川護立コレクションの逸品は戦国~秦漢の銅製品。金彩あるいは金銀を嵌め込んで、流麗で優雅な文様を表している。会場の照明では、あまり細部まで見えないが、図録(後述)の写真がすばらしい。国宝『金銀錯狩猟文鏡』の騎馬人物と虎、翼を広げた鳳凰(蛸にしか見えない!?)などを埋め尽くす象嵌の小点まで、はっきり写っている。

 小さな銅製馬車や銀人立像もめずらしかった。高さ10センチほど、ずんぐりした銀人立像(戦国時代)は、狩野直喜と内藤湖南が「狩野の先祖だよ」「湖南に似ている」と冗談を言い合った由。髪は後頭部でひとつに縛って垂らし、筒袖の短い衣を右前に着て細い帯を締める。裸足。解説に「中原地域の風俗」とあって、へえ?と思ったが、図録を読んだら、かつては胡人(匈奴)の風俗と考えられ「銀製胡人立像」と呼ばれたこともあったそうだ。歴史解釈って、180度変わるものなんだな。

 狩野直喜、内藤湖南だけでなく、さほど大きくない展示室をまわっていると、さまざまな人名に出会う。梅原末治、黒板勝美、村川堅固、関野貞など。けっこう感動したのは『金象嵌越王銅矛』の鳥書(ちょうしょ=鳥の頭や羽を表した独特の文字)の解読を、黒板勝美、狩野直喜、内藤湖南、羽田亨、羅振玉(日本亡命中か?)らが試みたが成功せず、梅原末治から写真を送られた郭沫若が、初めて文字の判別に成功したというエピソード。日中の学者たちの競争と連帯を示していて、熱い。文字の読みについて、より詳しい解説は展示図録で。

 展示は、細川護立の生涯を紹介するかたちで配されているのだが、護立が本格的に東洋美術に目覚めるきっかけが「ヨーロッパ旅行」であるというのは面白かった。一年余のヨーロッパ滞在期間を東洋美術の鑑賞と研究に費やし、美術商から多数の名品を購入し、さらに大量の書籍(コルディエ文庫、約1900点5000冊→慶応大学斯道文庫に寄託)まで購入して、日本に持ってくる。さすが殿様の大人買いである。

 なお、今回の展示キャプションカードには、品名と解説のほかに、20字程度の1行解説がついていた。長い解説を読まなくても展示品の特徴を一瞬で把握できてるので、いい工夫だと思う。ちょうど私が参観していたとき、学芸員さんらしき方がいて「あれ苦労したんですよ」みたいな話をなさっていた。

 2階には白隠の絵画、茶道具など。あと、どの階だったか、沢庵和尚の妙解寺(みょうげじ)対聯(ついれん)が廊下の壁に掛かっていて「万歳万歳万々歳 皇風永扇/九州九州九々州 仏法流布」というのが面白くて、書きとめてきた。

 最後に、図録は『学習院・永青文庫・東洋文庫三館連携展示「東洋学の歩いた道」』の共通版となっている。残念ながら、あとの二館は見られなかったが(泣)どちらも興味深い展示だったことが分かって嬉しい。学習院は、三浦吾楼院長によって「東洋史」が開設され、白鳥庫吉が担当したのか。この人名、いろいろと感慨深いなあ。三館の近隣(目白駅周辺)の「ウォーキング・マップ」も掲載されていて、宮崎滔天旧宅って今でも西池袋にあるんだ。下落合には近衛邸跡(敷地内に東京同文書院が設立された)も。いつか歩いて行ってみよう。
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