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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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神仏います近江:大津市歴史博物館+おまけ(円満院)

2011-10-13 23:41:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
連休旅行2日目、大津祭の巡行の出発を見送ったあと、『神仏います近江』の3館目を見に行く。

大津市歴史博物館 『日吉の神と祭』(2011年10月8日~11月23日)

 前日、友人から「とにかく神像だらけ」と聞いていたが、その通りだった。確か会場のパネルに「約100体の神像」云々とあったと思う。まず量に圧倒される。そして、感じたことを書いておくと、男女一対像が多いこと。女神は片膝立ての座り方が多く、、胸をはだけたものが目立つこと(男神は肌を露出させない)。造形が素朴なので、つい、まとめて「かわいい」と言いたくなるが、眉根を寄せ、目を見開き、実は憤怒の表情を表すものが意外と多いこと、などである。

 男神は束帯姿が多いが、長浜・春日神社の立像(平安時代)は完全な中国装。甲賀・八坂神社の神像群(平安時代)は、なぜか二本の角のように髪を逆立てた男神像が多い。サリーちゃんのパパ状態。大津・地主神社の神像群は、ピラミッド形の木片に頭部の加工しか加えていない様子。神像の手足は、経年劣化で見分けがつかなくなるのではなくて、はじめから真面目に彫らないんだな。

 多数の曼荼羅も堪能した。特に「新出」だという個人蔵の宮曼荼羅(風景を描いたもの)は、淡い緑が美しかった。教理に基づき、神仏の姿を並べた本地曼荼羅や垂迹曼荼羅になると、背景の理解が難しい。日吉山王神社の大宮=大己貴神=大物主=三輪山の神なのか?

 その大宮(主神)の姿は、『日吉大社神宝図』によれば、中国の皇帝と同じ服装だという。冕冠(べんかん)に袞衣(こんえ)。赤地に日月や霊獣を描いた礼服。画像検索したら、着物レンタルのサイトが当たって、びっくりした。どこかで見たと思ったら、むかし、宮内庁書陵部の展示会で見たらしい。でも、山王大宮の衣の龍は三本爪だった。神様なのに。

 山王祭のセクションも楽しかった。金の雲、紺碧の海(湖)に密集して浮かぶ船団を描いた祭礼図屏風は、一見、南蛮屏風の趣きもある。素人画家(?)の丹念なスケッチを貼り込んだ『祭礼貼交図屏風』(個人蔵)も楽しい。でも、図録を買ったら細部まで確認できるかと思ったら、小さな写真しか載っていなくて、ガッカリした。日吉大社の山王祭は4月かあ。むかし、日吉大社に参拝したときから、一度行ってみたいとは思ってきたものの…。

 いつも時間切れになる大津の歴史博だが、この日は、はじめて常設展を見てまわる。前日、大津の町中などを見ていたこともあって、「鰻の寝床」式の町家の作りとか、大津が幕府直轄領であったこととか、いろいろ納得できて、面白かった。ついでに昼食も館内で。

■円満院(大津市園城寺町)

 歴史博物館のすぐ隣り。境内に「大津絵美術館」があるというので寄ってみる。拝観順路に沿って進むと、庭園を通って、2階の美術館に誘導される。さらりと見終わって、階下に下りると、大津絵ではない日本画のスケッチがたくさん飾ってあった。博物画タッチのものが多い。そうだ、応挙は、あの『七難七福図巻』を、円満院住職の依頼で描いたのだった、と思い出す。パネルには、応挙の描いたお手本を弟子たちが模写したものが多数伝わる、と説明されていたけれど、よく見ていくと「応挙写」と記された鯉の図もあった。

 それから「応挙の画帖より写す、月渚」という署名も。月渚は、円満院門主・祐常(1723-1773)の号。応挙を近習に迎えて画を学びつつ、『七難七福図巻』などを描かせたパトロンでもある。応挙(1733-1795)のほうが10歳年下なんだな。祐常が琵琶湖の風景を写生した作品もあった。

 この寺院、ネットで検索すると、胡散臭い話題が多いが、とりあえず思わぬ拾いものを見てしまった。
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