○石橋崇雄『大清帝国への道』(講談社学術文庫) 講談社 2011.9
選書メチエの1冊として、2000年に刊行されたものの文庫化。え~2000年なんて、つい最近だし、原著1,500円が文庫1,000円になって、どこに旨みがあるのかと、日本の出版界に憤懣を抱きつつ、大好きな清朝ものを、また読んでしまった。
何度か書いているが、私の清朝好きは、清末の激動から始まった。次第に遡って、康煕・雍正・乾隆の盛期にたどり着き、前代の順治帝くらいまでは視野に入っているが、太祖ヌルハチ、太宗ホンタイジとカタカナ表記される世代になると、まだ親しみが薄い。2006-07年に刊行された浅田次郎『中原の虹』は、清朝の「終わり」と「始まり」を同時並行に描くという不思議な構成を取っていた。私は同書を読んではじめて、年表の中の名前でしかなかった清朝建国の英雄たちを、血の通った人々として想像することができるようになった。
本書は「ヌルハチから、康煕・雍正・乾隆の時代まで」とオビにうたっているとおり、清朝建国期、もしくはその前史に、たっぷりページを費やしているのが、ひとつの特徴である。清朝を中華王朝としてのみ捉えるのは誤りであるということを、本書は繰り返し強調する。清朝とは、満・漢・藩(辺境地域)の同心円体制であり、中心に位置する中華皇帝は、同時に非漢族のハンを兼ねていた。
面白いのは、明朝も純粋な「漢民族王朝」ではなく、世界システム(多民族国家)への志向を持っていた、という指摘である。華(明朝)によって成し遂げられなかった「華夷秩序」の夢を、夷の側から実現したのが、清朝であった。清朝初期から盛期にかけて、「華」と「夷」は、つねに緊張関係をもって対峙し合っている。統治システムの中でも、また一人の皇帝の中でも。そのことが、成長と円熟の駆動エンジンとなっているように思う。
こう書いてしまうと理屈っぽいが、ところどころ、皇帝たちの生彩あふれるエピソードが織り込まれていて、飽きなかった。ヌルハチの貧しい出自、ホンタイジと兄ダイシャンの緊張関係。乾隆帝の寵臣・和珅には、前世から皇帝との間に因縁があったとする伝説。雍正帝の「批」(地方官からの報告への書き込み)のオリジナルには「無識小人(愚か者)」「覧、笑之(読んだ、笑止)」なんてのもあるとか。嫌な上司だなー。
カッコいいのは康煕帝だ。いわゆる典礼問題って、ずいぶん矮小化されて、中国の後進性の証拠みたいに語られることが多いが、イエズス会士から擁護の訴えを受けた康煕帝が「ローマ教皇庁と丁々発止の問答を続け、一歩も引くことはなかった」なんて読むと、胸が躍る。しかし「現代に通じるあるべき国際人の姿」って、それは言い過ぎだろう、と可笑しかったが、著者の気持ちは分かる。なんというか、本書は、全体を通じて、著者の清朝に対する「愛」にあふれている感じがする。
雍正帝は『大義覚迷録』で華夷秩序について論じ、同書を国内の隅々まで配布して、官僚たちに熟読を命じた。ところが息子の乾隆帝は、遠慮もなく父の自信作を禁書処分とし、回収させた。清朝盛期の皇帝たちって、実に個性的で、やることに遠慮がない。しかし、結果として『大義覚迷録』は「ひそかに読み継がれる書物に変わった」というのを読んで、何だ、そうだったのか、と思った。
本書は、清朝盛期で筆を措いてしまうのかと思ったが、盛期以後にもそれなりにページを費やし、特に凋落期の清朝を支えた西太后のことは高く評価しつつ、清の滅亡を駆け足で語り、新中国の一人民となった溥儀の死を以て結んでいる。長い中国史の中でも、最も複雑な陰影に富む清朝の魅力を味わえる1冊。それもそのはず、あとがきを読んだら、著者は祖父、父と三大続く清朝史研究家なのだそうだ。珍しい。
選書メチエの1冊として、2000年に刊行されたものの文庫化。え~2000年なんて、つい最近だし、原著1,500円が文庫1,000円になって、どこに旨みがあるのかと、日本の出版界に憤懣を抱きつつ、大好きな清朝ものを、また読んでしまった。
何度か書いているが、私の清朝好きは、清末の激動から始まった。次第に遡って、康煕・雍正・乾隆の盛期にたどり着き、前代の順治帝くらいまでは視野に入っているが、太祖ヌルハチ、太宗ホンタイジとカタカナ表記される世代になると、まだ親しみが薄い。2006-07年に刊行された浅田次郎『中原の虹』は、清朝の「終わり」と「始まり」を同時並行に描くという不思議な構成を取っていた。私は同書を読んではじめて、年表の中の名前でしかなかった清朝建国の英雄たちを、血の通った人々として想像することができるようになった。
本書は「ヌルハチから、康煕・雍正・乾隆の時代まで」とオビにうたっているとおり、清朝建国期、もしくはその前史に、たっぷりページを費やしているのが、ひとつの特徴である。清朝を中華王朝としてのみ捉えるのは誤りであるということを、本書は繰り返し強調する。清朝とは、満・漢・藩(辺境地域)の同心円体制であり、中心に位置する中華皇帝は、同時に非漢族のハンを兼ねていた。
面白いのは、明朝も純粋な「漢民族王朝」ではなく、世界システム(多民族国家)への志向を持っていた、という指摘である。華(明朝)によって成し遂げられなかった「華夷秩序」の夢を、夷の側から実現したのが、清朝であった。清朝初期から盛期にかけて、「華」と「夷」は、つねに緊張関係をもって対峙し合っている。統治システムの中でも、また一人の皇帝の中でも。そのことが、成長と円熟の駆動エンジンとなっているように思う。
こう書いてしまうと理屈っぽいが、ところどころ、皇帝たちの生彩あふれるエピソードが織り込まれていて、飽きなかった。ヌルハチの貧しい出自、ホンタイジと兄ダイシャンの緊張関係。乾隆帝の寵臣・和珅には、前世から皇帝との間に因縁があったとする伝説。雍正帝の「批」(地方官からの報告への書き込み)のオリジナルには「無識小人(愚か者)」「覧、笑之(読んだ、笑止)」なんてのもあるとか。嫌な上司だなー。
カッコいいのは康煕帝だ。いわゆる典礼問題って、ずいぶん矮小化されて、中国の後進性の証拠みたいに語られることが多いが、イエズス会士から擁護の訴えを受けた康煕帝が「ローマ教皇庁と丁々発止の問答を続け、一歩も引くことはなかった」なんて読むと、胸が躍る。しかし「現代に通じるあるべき国際人の姿」って、それは言い過ぎだろう、と可笑しかったが、著者の気持ちは分かる。なんというか、本書は、全体を通じて、著者の清朝に対する「愛」にあふれている感じがする。
雍正帝は『大義覚迷録』で華夷秩序について論じ、同書を国内の隅々まで配布して、官僚たちに熟読を命じた。ところが息子の乾隆帝は、遠慮もなく父の自信作を禁書処分とし、回収させた。清朝盛期の皇帝たちって、実に個性的で、やることに遠慮がない。しかし、結果として『大義覚迷録』は「ひそかに読み継がれる書物に変わった」というのを読んで、何だ、そうだったのか、と思った。
本書は、清朝盛期で筆を措いてしまうのかと思ったが、盛期以後にもそれなりにページを費やし、特に凋落期の清朝を支えた西太后のことは高く評価しつつ、清の滅亡を駆け足で語り、新中国の一人民となった溥儀の死を以て結んでいる。長い中国史の中でも、最も複雑な陰影に富む清朝の魅力を味わえる1冊。それもそのはず、あとがきを読んだら、著者は祖父、父と三大続く清朝史研究家なのだそうだ。珍しい。