見もの・読みもの日記

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あの戦争から学ぶこと/アジア・太平洋戦争(吉田裕)

2009-01-17 23:28:33 | 読んだもの(書籍)
○吉田裕『アジア・太平洋戦争』(岩波新書:シリーズ日本近現代史6) 岩波書店 2007.8

 1941年の対米英開戦決断から戦局の推移、そして敗戦までを時系列順に論じたものである。小説ふうに登場人物たちに深入りすることは避け、各種の統計や文書に淡々と語らせるスタイルを取っている。

 本書は「なぜ開戦を回避できなかったのか」という点に、多くの紙数を費やしている。なるほど、と思ったのは、臨時軍事費の問題。臨時軍事費(臨軍費)とは戦争遂行のための特別会計予算である。議会や政府の統制が及ばないため、軍部は「戦費として計上された予算のかなりの部分を軍備拡充費に転用することが可能となる」。日中戦争の開始以来、莫大な臨軍費が措置され、軍部はこれを対ソ、対米軍備の充実に充ててきた。ここから、短期決戦に持ち込めば米英戦にも勝機がある、という幻想が生まれたという。やっぱり、お金の配分を厳格にコントロールしておかないと暴走が始まるという点では、軍部も(いまの)行政官僚も同じだと思う。

 最終的な開戦の決定には、大本営政府連絡会議および御前会議が重要な役割を担った。このことを著者は「明治憲法体制の変質」と指摘する。私は、戦後憲法擁護派の教育で育ったので、明治憲法=無力でダメな憲法、というイメージを強く焼き付けられてきたのだが、最近、そうとも言えないと思うようになった。不十分とは言え、明治憲法には天皇の大権を制限する、民主的な仕掛けが織り込まれていた。にもかかわらず、それらはなしくずしに形骸化されていったのである。

 当時、宣戦布告は枢密院の諮詢事項であったが、米英に対する宣戦布告の件が枢密院の審査委員会に付議されたのは、12月8日、真珠湾空襲が始まったあとだった。宣戦の詔書には国務大臣全員が副署しているが、それは「御前会議の決定を追認するだけのセレモニー」(家永三郎)となっている。ポツダム宣言受諾の詔書も同じ。明治憲法の起草にかかわった伊藤博文、井上毅は、草葉の蔭で歯噛みしていたに違いない。

 戦局について、日本軍は、餓死・病死・海没死(輸送艦船の沈没による)の割合が非常に高かった、というのはよく聞くところである。初めて知ったのは、兵力の動員が限界に達し、高齢・病弱者だけでなく、知的障害をもつ兵士の入営が増えていたということ。ある調査では4.5%の兵士が「精神薄弱」と判定されている。

 また、開戦直後、日本は広大な東南アジア地域を占領したが、米英蘭に代わって住民を養うだけの経済力(工業生産力)がなく、現地経済の破綻をもたらしたこと、統計上は「大東亜共栄圏」内に十分な米の生産量があったにもかかわらず、流通政策の失敗から各地で深刻な米不足が生じたこと、根こそぎの兵力動員が工業・農業生産に大きな打撃を与えたことなど、近代戦を遂行するには、「軍事」的な勝ち負けの判断だけでなく、実に多方面の影響を計算しておかなければならないんだなあ、ということを感じた。こんな面倒なことは、なるべくなら二度とかかわらないでおいてほしい。いまの日本の官僚に、こんな複雑なシミュレーションが解けるとは思えないから。
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