見もの・読みもの日記

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老侯の生涯/殿様と鼠小僧(氏家幹人)

2009-01-18 23:58:55 | 読んだもの(書籍)
○氏家幹人『殿様と鼠小僧:松浦静山『甲子夜話』の世界』(講談社学術文庫) 講談社 2009.1

 平戸藩の第9代藩主、静山こと松浦清(1760-1841)の生涯を中心に、当時の世相を活写した歴史エッセイ。静山は幕閣での栄達を強く望みながら、志を果たせず、早々に隠居暮らしに入った。以後82歳で没するまで、随筆『甲子夜話』の執筆など、悠々自適の生活を楽しんだように見えるが、失意と鬱屈の情を抱き続け、時に老残の悲哀をのぞかせる。そんな静山に対する著者の暖かな視線が心に沁みる1冊である。

 面白いと思ったのは、当時、大名や旗本の屋敷で働く奉公人は、譜代者が姿を消し、1年ないし半年契約の「出替り奉公人」が大勢を占めていたという話。これは静山より少し前の荻生徂徠の著書『政談』でも指摘されているそうだ。それから、18世紀後半から19世紀にかけての「江戸における老人社会の広がり」。幕府の旗本衆は、80~90歳に達しても現職に留まる者が多かったという。なんとなく今の世相に重なり、苦笑させられた。

 一方で、大名たちの隠居年齢は時代とともに低下し、1800年以降は45.8歳まで低下している。静山が隠居して死ぬまでの間、彼と同じような老侯(隠居大名)は常時80~90名も存在し、ほとんどは江戸で暮らしていたと思われる。なんという老人、いや老侯社会(高齢者ばかりではないが、全て非生産者である)。でも、彼ら隠居老人たちこそが、江戸の文化と学芸を担ったのではないかしら。

 『甲子夜話』からは「石塔磨き」と「鼠小僧」という2つのテーマが紹介されていて、どちらも面白い。が、やはり静山そのひとの逸話のほうが、際立って興味深かった。息子の熈(ひろむ)が平戸で隠居することになったとき、「江戸(東)と平戸(西)に隠居が並び立つのは、相撲みたいだ」とユーモアを交えて書き送った手紙には、老いた父の情愛が滲み出ている。また、幼い頃の静山を慈しんでくれたのは、祖母の久昌夫人だった。その甘美な記憶は『甲子夜話』のところどころに顔を出している。ちょっと近代文学的な、漱石や鏡花が「母なるもの」に向ける感情に通じるものがある。

 晩年、亡妻のために百万遍の念仏を唱え続けたこと(挫折した宿願を息子の熈が引き継いだこと)、宴席を立ち去る寂しさを紛らわすため、女中たちに「ねこじゃねこじゃ」と囃させたことなども、人生の哀歓を感じさせて、胸に残るエピソードだった。平戸には一度行ったことがあるのだが、静山の墓所は墨田区本所の天祥寺にあるらしい。今度、お参りしてこよう。
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