○現代思想2007年1月号「特集・岸信介-戦後国家主義の原点」 青土社 2007.1
岸信介は、私が生まれたときの総理大臣である。しかし、さすがに全く記憶はない。最近まで、歴史の中の人物だと思っていた。
岸の名前が気になり始めたのは、安倍総理のせいではない。満州国について、いろいろ読むようになったのがきっかけである。はじめは、満州国といえば、東條英機や石原莞爾、板垣征四郎などの軍人ばかりを気にしていたが、実は、文官として満州国に乗り込み、計画経済の大胆な実験を行った岸の存在は、満州国と戦後日本との連続性を示す、圧倒的に重要な存在であるということが分かってきた。
最近、破綻を見せている戦後日本の雇用政策(終身雇用、年功序列、男性正社員優遇)も、遡れば、岸がデザインした総力戦体制に行き着くように思う。この正月はベトナムに行ってきたわけだが、戦後日本と東南アジアの関係も、岸内閣の対米協調外交が根底にある(本号では、倉沢愛子さんの「岸信介とインドネシア外交」が詳しい)。それから、靖国問題、改憲問題にも、岸は大きくかかわっている。というわけで、最近、興味を持った政治・経済・社会問題のほとんど全てが、磁場のように岸信介の存在を呼びよせているのだ。
ただ、岸信介が、戦後日本の保守政治の本流だったと考えるのは、どうやら誤りのようだ。渡辺治さんの「戦後保守政治の中の安倍政権」が手際よくまとめてくれているので、以下、この論稿にしたがって述べよう。
吉田茂に始まる戦後保守政治の本流は、再軍備を放棄し、経済成長に専念するという、小国主義路線を選択した。これを否定し、帝国の復活を志したのが岸である。しかし、岸は、国内においては「戦後民主主義の経験を持った民衆の力と軍国主義への嫌悪」を、対外政策においては「旧植民地諸国のもっている植民地支配に対する怒りと警戒心」を、ついに理解できなかった。岸の挫折以後、長い小国主義の政治が続く。
80年代に登場した中曽根康弘は、戦前の植民地支配の反省と、「戦後的なるもの」を踏まえたうえで、大国主義的ナショナリズムの復活を模索した。しかし、根強い小国主義の伝統と、アジア諸国の批判に遭って、うまくいかなかった。90年代、アメリカから、軍事大国化の圧力(西側の一員として責任を果たせ)が強まるにつれて、再び保守政治の方向転換が始まった。安倍晋三は、軍事大国化路線を完成させる使命を帯びて、登場したといえる。
この中曽根と安倍の比較は興味深い。80年代当時、中曽根政権だって、かなりキナ臭くて、嫌な感じを持ったものだが、安倍の主張よりはマシらしい。本号の各所に引用されているする安倍の著書『美しい国へ』を読むかぎり、その「ノッペラボー」として内容空疎なことは、驚愕に値する。やっぱり、一度、全文を読んでみようと思った。
岸信介は、安倍晋三などに比べたら、ずっとイヤらしくて、ずっと魅力的である。東大法学部では我妻栄と1番を争った秀才で、しかも遊び人(遊ぶ金欲しさに満州に行ったのではないか、と小林英夫さんの曰く)。むかしの政治家は器が大きかったなあ。いまの日本の経済・雇用・福祉などが直面している数々の問題に、岸だったら、どんな処方箋を書くだろうか、と考えるのも、興味がある。
しかし、秀才・岸信介も、戦後民主主義が日本の社会に与えた影響の大きさは理解し損ねた。軍事大国化をめぐって、岸の「反復」もしくは「エピゴーネン」として現れた安倍政権との対決は、渡辺治さんの言葉を借りれば、我々戦後世代の「正念場」である。
岸信介は、私が生まれたときの総理大臣である。しかし、さすがに全く記憶はない。最近まで、歴史の中の人物だと思っていた。
岸の名前が気になり始めたのは、安倍総理のせいではない。満州国について、いろいろ読むようになったのがきっかけである。はじめは、満州国といえば、東條英機や石原莞爾、板垣征四郎などの軍人ばかりを気にしていたが、実は、文官として満州国に乗り込み、計画経済の大胆な実験を行った岸の存在は、満州国と戦後日本との連続性を示す、圧倒的に重要な存在であるということが分かってきた。
最近、破綻を見せている戦後日本の雇用政策(終身雇用、年功序列、男性正社員優遇)も、遡れば、岸がデザインした総力戦体制に行き着くように思う。この正月はベトナムに行ってきたわけだが、戦後日本と東南アジアの関係も、岸内閣の対米協調外交が根底にある(本号では、倉沢愛子さんの「岸信介とインドネシア外交」が詳しい)。それから、靖国問題、改憲問題にも、岸は大きくかかわっている。というわけで、最近、興味を持った政治・経済・社会問題のほとんど全てが、磁場のように岸信介の存在を呼びよせているのだ。
ただ、岸信介が、戦後日本の保守政治の本流だったと考えるのは、どうやら誤りのようだ。渡辺治さんの「戦後保守政治の中の安倍政権」が手際よくまとめてくれているので、以下、この論稿にしたがって述べよう。
吉田茂に始まる戦後保守政治の本流は、再軍備を放棄し、経済成長に専念するという、小国主義路線を選択した。これを否定し、帝国の復活を志したのが岸である。しかし、岸は、国内においては「戦後民主主義の経験を持った民衆の力と軍国主義への嫌悪」を、対外政策においては「旧植民地諸国のもっている植民地支配に対する怒りと警戒心」を、ついに理解できなかった。岸の挫折以後、長い小国主義の政治が続く。
80年代に登場した中曽根康弘は、戦前の植民地支配の反省と、「戦後的なるもの」を踏まえたうえで、大国主義的ナショナリズムの復活を模索した。しかし、根強い小国主義の伝統と、アジア諸国の批判に遭って、うまくいかなかった。90年代、アメリカから、軍事大国化の圧力(西側の一員として責任を果たせ)が強まるにつれて、再び保守政治の方向転換が始まった。安倍晋三は、軍事大国化路線を完成させる使命を帯びて、登場したといえる。
この中曽根と安倍の比較は興味深い。80年代当時、中曽根政権だって、かなりキナ臭くて、嫌な感じを持ったものだが、安倍の主張よりはマシらしい。本号の各所に引用されているする安倍の著書『美しい国へ』を読むかぎり、その「ノッペラボー」として内容空疎なことは、驚愕に値する。やっぱり、一度、全文を読んでみようと思った。
岸信介は、安倍晋三などに比べたら、ずっとイヤらしくて、ずっと魅力的である。東大法学部では我妻栄と1番を争った秀才で、しかも遊び人(遊ぶ金欲しさに満州に行ったのではないか、と小林英夫さんの曰く)。むかしの政治家は器が大きかったなあ。いまの日本の経済・雇用・福祉などが直面している数々の問題に、岸だったら、どんな処方箋を書くだろうか、と考えるのも、興味がある。
しかし、秀才・岸信介も、戦後民主主義が日本の社会に与えた影響の大きさは理解し損ねた。軍事大国化をめぐって、岸の「反復」もしくは「エピゴーネン」として現れた安倍政権との対決は、渡辺治さんの言葉を借りれば、我々戦後世代の「正念場」である。