見もの・読みもの日記

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文学者たちの戦争/日露戦争(長山靖生)

2006-05-29 19:26:51 | 読んだもの(書籍)
○長山靖生『日露戦争:もうひとつの「物語」』(新潮新書) 新潮社 2004.5

 一昨年来、日露戦争(1904~1905)の関連書籍がずいぶん出ていたが、百周年を過ぎて、少し下火になった様子である。本書は、日露戦争の「実体」ではなく、当時の新聞・小説・報道・世論などを手がかりに、いわば日露戦争が日本の社会に投げかけた「影」を論じている点に、興味を感じて読んでみた。

 まず驚くのは、文学者と戦争の密接なかかわりである。漱石の『趣味の遺伝』の冒頭「陽気の所為で神も気違になる」は有名な一文だが、これが日露戦争の勃発を指していることなど、私はすっかり忘れていた。『趣味の遺伝』は戦後の作品だが、開戦当時、帝大の英文科講師だった漱石は、雑誌「帝国文学」に「従軍行」と題した新体詩を発表している。これが通俗講談調で、信じられないほどの駄作! 何やってるんだ、漱石は。

 日露戦争従軍記者の中には、岡本綺堂、半井桃水、田山花袋らの名前がある。矢野龍渓の興した近時画報社は、戦争情報誌「戦時画報」を発行した。編集人は国木田独歩。二葉亭四迷は「大阪朝日」でロシア社会に関する解説記事を書いた。軍医部長として従軍した森鴎外は、出陣前の広島で新体詩を読んだ。この詩は、格調高く、内容も備わっていて、見事である。

 現実の日露戦争と前後して、東海散士こと柴四朗は『日露戦争:羽川六郎』という架空戦記を刊行した。主人公・六郎の祖父は、文化年間にカラフト経営に尽力したという設定になっている。ここには、欲望する土地を「約束の地」として正当化しようとする心情(国民的な無意識)が見て取れる。一方、反戦文学の書き手も決して誠実ではなかった。木下尚江の『火の柱』は、大倉財閥の総帥・喜八郎を悪役に仕立て、虚実まじえて面白おかしく糾弾した。

 本書を通じて、あらためて感じるのは、日露戦争とは、兵士や政治家にとっての事件だっただけでなく、当時の日本人全て(戦争から一番遠い位置にいるはずの文学者たちまで)が巻き込まれた「国民的体験」だったということである。

 付け加えれば、出版界では、開戦と同時にロシア語の独習書やロシア文学の翻訳が増えたという。また、この戦争が「正しい戦争」であるかどうかに関心が高まり、国際公法の解説書が人気商品となった。この点、嫌いなものは見たくも聞きたくもない、という態度が主流の方今の日本人より、当時のほうが品性上等だったような気がする。
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