goo blog サービス終了のお知らせ 

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
【はてなブログサービスへ移行準備中】

史書には載らない物語/中華ドラマ『三国機密之潜龍在淵』

2018-06-02 23:58:21 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇『三国機密之潜龍在淵』全54集(2018年、唐人影視)

 面白かった! 昨年から中国製の古装ドラマの視聴が止まらない。本国では、粗製乱造を懸念する声もあるそうだが、少なくとも話題作に限っては、期待を裏切らない完成度の高いドラマが次々に誕生している。本作の舞台は後漢の末年。群雄が割拠する中、曹操は漢室の天子を擁して、強大な権力を手にしつつあった。その頃、楊俊の息子の楊平(字:義和)は、幼い頃から司馬家に預けられ、次男の司馬懿(字:仲達)と兄弟のように仲良く育っていた。

 あるとき、父の楊俊が楊平を引き取りにきた。馬車の中で楊俊は、楊平の真実の身分は、天子劉協の弟・劉平であると告げる。先帝と王美人の間に双子が生まれたが、弟を引きとって育ててきたのだという。困惑する劉平(楊平)は、弘農王妃唐瑛に引き合わされ、従者の宦官に化けて、皇宮に入る。そこでは劉平そっくりの兄・劉協がすでに身まかっており、皇后伏寿は、陛下の遺勅として、天子の喪を秘し、劉平が身代わりとなって、曹操を倒し、漢室の復興に尽くすことを命じる。

 正直、こんなトンデモない設定で大丈夫だろうか?と最初は危ぶんだ。加えて、私がこれまで見てきた中国ドラマに比べると、びっくりするほど出演者の年齢層が若いのだ。司馬懿役の韓東君は25歳。曹丕役の檀健次は27歳。曹植役の劉昱晗は23歳。楊修役の王萌は29歳。主役の劉平役・馬天宇くんは31歳だが、童顔なので20代前半に見える。脇役には、それなりにおじさんも配しているが、基本はイケメン大河、アイドル時代劇なのである。なので、最終話まで、上記の俳優さんは髭をつけない。

 男性陣に比べるとヒロインはやや年齢高めだが、皇后を演じた万茜さん(36歳)はとても好き。華奢なのに胆力と威厳があって、ハスキーで低めの声が色っぽかった。曹操の専横を憎み、漢室の復興を悲願とし、はじめは劉平を傀儡として操ろうとするが、次第に劉平の人間性に惹かれていく。劉平は司馬懿に「婦人之仁」と揶揄される平和主義者で、最後までその信念を曲げない。民の安寧を守るには、天下一統が必要であり、そのためには曹操と手を組むと言い出して、皇后はじめ、漢室の忠臣たちを激怒させるが、頑固に自分の道を行き、最後には周囲の人々を心服させてしまう。

 劉平の正体を知りながら、その天子としての器量を認めていく者に郭嘉(王陽明)、満寵(屠楠)、曹操(謝君豪)らがいる。みんな個性的な人物造形でとってもよかった。序盤で狂犬みたいに劉平の正体を嗅ぎまわっていた満寵が、最後は体を張って劉平の命を救うのである。ご都合主義でなく、素直に納得できる展開だった。曹操は劉平と手を組むことに同意しなかったが、お互いが必要であることを認め合った。本作の曹操は、小柄であまり強そうにないのだが、頭の回転が速く、洞察力に富み、弁が立つ人物に描かれていた。野心は理想の別名なんだなあ。

 曹丕は、素直な好青年で登場するが、父親に認められたい思いをこじらせて、次第に残忍で悪辣な行為も辞さなくなっていく可哀想な馬鹿息子である。檀健次くん、陰険な役柄が似合うが、いつか明朗で裏表のない役でも見てみたい。もうひとりのヒロイン弘農王妃唐瑛(未亡人)は、司馬懿といい仲になるのだが、もう少し若い女優さんのほうがよかった。董潔さん(38歳)きれいなんだけれど。

 物語は何度もヤマがあり、武侠的な味つけもあって面白い。荒唐無稽ではあるけど、日本でいえば『平家物語』とは別の『義経千本桜』や『平家女護島』の物語を楽しむような気持ちで楽しめばいいのだと思う。全編を通して面白いが、個人的には終盤(35話前後から)が特に面白くて、前半は少し冗長だったかもしれない、と感じた。実は、原作小説は官渡の戦いで終わるので「31話以降は脚本家のオリジナルストーリー」という情報をネットで見た。この脚本家は『軍師聯盟』『虎嘯龍吟』と同じ方である。確かに終盤は、多くのキャラクターが闇落ちと不幸な結末を迎える。肺腑を抉られる快感が『軍師聯盟』とよく似ている。

 でも大丈夫。劉平は、史書の記述とは少し違ったかたちで幸せな後半生を手に入れる。本作の曹丕や司馬懿は、自分の名前を歴史に刻みたいという野心に突き動かされて行動する。中国人の考える英雄とは、そういうものだ。けれど劉平は、自分の名が史書に全く残らないことを楽しそうに笑う。これは史書の裏側に隠された、あり得たかもしれない物語。ちょっと去年の大河ドラマ『おんな城主直虎』を思わせるところもある。ちなみに現在のところ、YouTubeで全編視聴できることを付記しておく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひとときの夢/映画・タクシー運転手 約束は海を越えて

2018-05-08 22:37:22 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇チャン・フン監督『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017年)

 1980年5月の光州事件の際、現地取材を敢行したドイツ人記者と、彼を光州に運んだタクシー運転手の実話を基にした韓国映画。韓国映画はほとんど見ない私であるが、これは見たいと思い、日本公開が始まるとすぐに見に行った。期待どおり素晴らしかった。連休を挟んで感想を書くのが遅れてしまったが、鮮烈な印象が消えていないので、全然大丈夫である。

 主人公キム・マンソプはソウルの個人タクシー運転手。妻を亡くして幼い娘と二人暮らしだが、生活は楽ではない。アパートの家賃を滞納しているため、大家の息子に娘がいじめられても強く抗議することができず、育ち盛りの娘に新しい運動靴も買ってやれない。そんなある日、食堂で別のタクシー運転手が「ドイツ人のお客を連れて光州まで往復すれば10万ウォン」という、美味しい話を吹聴しているのを聞き、仕事を横取りしてしまう。ビジネスマンを名乗るドイツ人ヒンツペーター(ピーター)は、戒厳令下の光州を取材するために海外からやってきたジャーナリストだった。

 厳しい情報統制が敷かれていたため、ソウルに暮らすマンソプは、光州で起きていることを全く知らなかった。現地に近づくにつれ、軍が道路を完全封鎖していることが分かる。あきらめてソウルへ戻ろうと提案するが、ピーターに「No クァンジュ NO マネー」と言い渡されて発奮し、山中の抜け道をたどって光州へ入る。軍に制圧され、荒涼とした光州の街で(マンソプの大嫌いな)デモ隊の大学生や、同業のタクシー運転手たちと知り合う。面倒にかかわりたくないと考えるマンソプは、ひそかに逃げ出そうと試みるが、道端に倒れていたおばあさんを助けて病院へ運び、ピーターに再会してしまう。この序盤の展開で、主人公の人柄、機転が利いて行動力もあり、金儲けのことしか考えていないように見えて、優しい心根の持ち主であることが、自然と理解できるようになっている。

 結局、マンソプはソウルに残してきた娘を案じながら、光州のタクシー運転手ファンの家に1泊することになり、ドイツ人ピーター、英語のできる大学生ジェシクとは、次第に打ち解けていく。一方、軍と学生・市民の対立は急速に悪化。軍は本格的な武力によってデモを制圧しようとする。翌朝、マンソプは、ファンの心遣いで車のナンバープレートを付け替え、光州のタクシーを装ってソウルへの帰路をたどる。光州を離れると、嘘のように平和な日常が広がっている。マンソプは娘のために新しい靴を買う。しかし…彼は、再びハンドルを切って光州に戻る。説明的なナレーションや科白は一切なく、観客は息をつめて画面を見守り、マンソプの葛藤を共有し、その決意に納得する。

 記者のピーターはカメラを回し続けていた。軍は怪しい外国人の存在に気づき、彼のカメラを没収しようとする。大学生ジェシクはピーターを守って軍に拘束され、「真実を世界に伝えて!」という叫びを残して命を落とす。光州に戻ったマンソプはその遺体と対面し、呆然とする。そして、ここからマンソプと光州のタクシー運転手たちの大行動が始まる。

 飛び交う銃弾をかいくぐって、街頭にころがる怪我人を救出し、ピーターをソウルの空港に送り届けようとするマンソプの車を援護して、軍の追撃を妨害する。丸っこい緑のタクシーの隊列とゴツい装甲車が対等に張り合うカーチェイス。これはもう、どう見ても娯楽活劇レベルの「虚構」なのだが、思い出してもちょっと泣けてくる。

 そして、最後の重大な「虚構」。ネタバレなので書きたくないが、これを書かずにこの映画を語ってはいけない気がするので敢えて書く。軍の追撃を振り切ったマンソプのタクシーは、検問所に至る。守備隊には「ソウルのタクシーに注意」の情報がすでに共有されていた。「自分は光州のタクシー運転手で、お客を空港に送っていくところ」ととぼけるマンソプ。守備隊の隊長がタクシーのトランクを開けて中を探ると、ソウルのナンバープレートが現れる。多くの観客が万事休すと思ったとき、隊長は無表情に「通せ」と命じ、部下の兵隊はキツネにつままれた表情でゲートを開く。真実を察知したはずの隊長が、なぜ黙ってマンソプのタクシーを通したか。その理由は観客の推測にゆだねられる。私は、光州事件を「軍(悪)と民衆(善)」という対立の図式に回収したくない、という作者の思いの表れではないかと感じた。

 ソウルの空港を発つにあたって、ピーターは「君の名前と連絡先を教えてくれ」とノートを渡すが、マンソプは「キム・サボク」という適当な嘘の名前を書いて渡す。エピローグは2003年(だったと思う)、ピーターは韓国民主化への寄与によって表象を受けるため、韓国を訪れ、忘れらえないタクシー運転手「キム・サボク」に向けて「もう一度、会いたい」と語りかけ、余韻を残して物語は終わる。

 とにかくキム・マンソプ役のソン・ガンホがいい。光州のタクシー運転手のおっちゃんたちは、「韓流」なんてどこの話?というような、いい顔立ちの俳優さんが揃っている。はじめ意地悪に見えたアパートの大家のおばさんも、ちゃんとマンソプの娘を気遣ってくれていたことが後で分かる。光州事件という壮絶で悲惨なできごとを描きながら、温かくて幸せな気持ちが残る。ひとときの夢のような作品である。なお、映画の大ヒットによって、実在のキム・サボクの息子が現れた等の余談もネットで読むことができ、興味深い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幻術の中の真実/映画・空海-KU-KAI-美しき王妃の謎

2018-03-25 23:29:19 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇陳凱歌(チェン・カイコー)監督『空海-KU-KAI-美しき王妃の謎

 久しぶりに映画を見に行った。原作は夢枕獏の小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』である。読んでいないけど、夢枕獏と聞けば、ミステリアスで奥の深いファンタジーだろうと思っていた。また本作品は日中合作であるが、中国語の原題が『妖猫伝 Legend of the Demon Cat』で、見た人たちから「これは猫映画」「猫好きなら泣ける」という感想が流れていることも知っていた。だから、だいたい予想どおりの内容で(予想より少しホラー風味が強かったが)満足できた。一方、映画評を見ると、史実に忠実な「空海伝」だと思って見に行って、期待を裏切られた人たちがたくさんいるのは残念である。マーケット戦略に問題があったと思う。

 当初、日本語吹き替え版の上映しかなかったのも、中華エンタメ好きを落胆させた。しかし、どういうわけか今週末から「インターナショナル版」(中国語音声・日本語字幕版)も上映されることになったと聞いたので、それじゃあ見に行くかと腰をあげた。ところが、土曜日、私は間違えて吹き替え版しか上映のない映画館に行ってしまった。悔しいので、今日は別の映画館で字幕版も見てきた。思わぬことで、吹き替え版と字幕版の比較ができることになった。

 私は、こういう歴史背景のある中国映画は字幕版のほうが分かりやすいと思う。人名や官職名を音で聞いてもすぐに把握できないのだ。春琴や玉蓮など、よくある女性名はともかく、前半の重要な役である陳雲樵(チンウンショウ)はなかなか文字が想像できなかった。陳雲樵の官職「キンゴエイ」は禁軍のことだろうと想像できたが、字幕版を見るまで「金吾衛」の文字が出なかった。白楽天の職名「キキョロ」は「起居」だけ分かったが「ロ?」と思ったら「起居郎」だった。等々、とにかく字幕版のほうがストレスが少ない。

 唐の貞元20年(804)日本の沙門・空海は留学僧として長安に赴く。翌年早々、皇帝(徳宗)が崩御。金吾衛の統領・陳雲樵の周辺にも奇怪な事件が相次ぐ。徘徊する、ものいう黒猫。空海は、長安で知り合った白楽天(白居易)とともにその謎を追う。陳雲樵の父・陳玄礼は、かつて玄宗に仕え、馬嵬で楊貴妃の死を要求した反乱兵士の親玉だった。そのほかにも楊貴妃の死にかかわった人々が、次々不審な死を遂げる。空海は、同国人・安倍仲麻呂の日記を手に入れ、ついに楊貴妃の死の真相を知る。

 思慮深く落ち着いた空海と、熱血漢でロマンチストの白楽天という、対照的な青年コンビがとてもいい。染谷将太くんは丸い頭のかたちと大きな目が、見事に空海の肖像画そのままである。いつもふわふわした微笑みを浮かべているのに、危機に臨むと厳しい表情になる。黄軒(ホワン・シュアン)の白楽天は、国民的大詩人の青年時代は、きっとこんなふうだったろうと妙に納得できた。白楽天も字幕版のほうがいい。吹き替えの高橋一生は好きな俳優さんだが、このキャラにはちょっと合わない。なお、私は原作を読んでいないのだが、調べたら、原作では空海の相棒は橘逸勢らしい。じゃあ、相棒を白楽天にしたのは映画版の改変なのだろうか。いい改変である。密教の奥義を求める青年僧侶と詩人をめざす青年の、国境を超えたコンビって、かなり魅力的だ。

 行動力に富んだ、若い二人の眼前に展開する長安の風景は、時にリアルで時に幻想的だ。宮城、下町、飯屋、妓楼、寺院、安アパートみたいな白楽天の部屋、そして廃墟、陵墓の玄室。物語は、30年前の盛唐の世、玄宗皇帝の治世にも自由に行き来する。玄宗と楊貴妃が花萼相輝楼に開催した極楽の宴。無国籍で、豪華絢爛なイリュージョンの数々。ありえないだろうと思いながら、あるかも、と思ってしまうのが映画の不思議である。

 極楽の宴で、幻術使いの黄鶴の弟子、白龍と丹龍という二人の少年は、はじめて楊貴妃に出会う。楊貴妃の気品ある優しさに触れ、深く心を動かされる白龍。これが『琅琊榜之風起長林』の平旌(ピンジン)役だった劉昊然(リュウ・ハオラン)くん。ドラマは吹き替えだったので、声が違うことに少し戸惑った。日本語吹替え版の東出昌大のほうが、むしろ合っていたと思う。

 安倍仲麻呂を阿部寛という配役はちょっと解せない。もう少し文雅の才子ふうがよかった。玄宗役の張魯一は知らない俳優さんだったが、食わせ者らしくてよかった。幻術使いの瓜売りを演じた成泰燊は『琅琊榜之風起長林』の墨淄侯か!言われてみれば。そして、ジャ・ジャンク―の映画『世界』に出ていたこともネットで調べて知った。また、楊貴妃の美貌に説得力がないと、この映画は成り立たないのだが、張榕容さんきれいだった。聡明な大人の女性で、私が楊貴妃に抱いているイメージとは全く正反対だったが、この物語には適役。台湾人とフランス人のハーフなのも「半分は胡人の血」という設定に合う。あと黒猫。おおむねCGなのだろうけど、表情豊かで、しかも自然。原版の配音(吹替え)は張磊という声優さんらしい。

 物語の中盤で、幻術使いの瓜売りの男のもとに赴いた空海が「幻術について知りたい」と問うと、男が「幻術の中にも真相がある」と述べる場面がある。字幕は「幻術にも仕掛けがある」になっていて、吹き替え版も同じだったが、中国語で「真相」という発音が聞こえた。ここは「真相」でなければ駄目だろう。幻想、怪異、子供だましのファンタジー、あるいは芸術でも宗教でも、まがいものの皮膜の下に何がしかの「真相」がある。映画全体のテーマにかかわるメッセージと私は受け取った。

 なお、実はYoutubeには、本作の中国語音声+中国語字幕版が流れている。画面が小さくて迫力に欠けるが、物語を味わうには、これがいちばんいいかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中華ドラマ『瑯琊榜之風起長林』、看完了

2018-03-14 00:21:43 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇『瑯琊榜之風起長林』全50集(2017年、東陽正午陽光影視有限公司、愛奇藝)

 2015年に制作され、今なおファンを増やし続けているドラマ『琅琊榜(ろうやぼう)』の続編である。日本では3月26日から『琅琊榜〈弐〉風雲来る長林軍』のタイトルで、CSチャンネル「衛星劇場」での放映が決まっているが、私は一足先にネットで中文字幕版を視聴し終わった。

 続編の時代は前作から50年くらい後に設定されている。前作で即位した靖王(武靖爺)も今は亡く、その嫡子が梁の帝位を継いでいる。梅長蘇に救い出され、靖王の養子となった蕭庭生は、長林軍を率いて長林王を名乗り、朝廷で重きをなしているが、それを快く思わぬ勢力もいる。長林王庭生の長男・蕭平章(ピンジャン)は長林軍の副将として、北の国境で大渝国と対峙し、激しい戦闘を繰り広げていた。一方、弟の蕭平旌(ピンジン)は琅琊山の老閣主・蔺晨のもとで修行に励みながら、のびのび自由な日々を過ごしていた。戦いで深手を負った平章は、済風堂の医女・林奚姑娘によって一命をとりとめるが、梁国の侵略と長林軍の解体をねらう悪の勢力が次第に迫っていた。

 本作は、総じて言えば、第1作ほどの傑作ではないが「普通に面白い」ドラマだと思う。ただ、前半は梁国と長林軍に敵対する「悪の勢力」がたくさん登場しすぎて、ちょっと頭が混乱した。展開に変化があって面白いのだが、誰が「ラスボス」なのか、なかなか分からないのだ。内閣首輔の荀白水とその妹・荀皇后は、皇帝に対する長林王の影響力を疎ましく思っている。荀皇后が信奉する白神教の上師・濮陽纓は、かつて梁国に滅ぼされた夜秦の遺民で、梁国への復讐を狙っている。その手下として暗躍するのが、武侠高手の段桐舟。また、東海国から梁に嫁いだ莱陽太夫人は、かつて夫君が梁帝から死を賜ったことを恨み、梁帝を呪詛していたが見つかってしまう。息子の蕭元啓は、母の葬儀を許されなかったことから梁帝に深い恨みを抱き、東海国の墨淄侯はこれをひそかに利用して、梁国の簒奪を企てる。

 結局、蕭元啓が最後の悪役になるのだが、自分にとって都合の悪い、あるいは不要な人物の命をあっさり奪うなど、冷酷非情なところを見せるかと思えば、蕭平旌の長林軍に参じて、ともに梁国のために戦ったり、無表情な演技で本心を見せないので、結局、君は何が望みなのだ?と首をひねる場面もあった。最後の最後は、気持ちよい悪人ぶりを見せてくれるのだが、野望を果たせず、誅殺されるにあたって、東海国の攻撃を防ぐ策を記した文書を残し、長林老爺の恩義に報いようとする。妻・荀安如への報われない愛着など、複雑で興味深い役柄だった。若い俳優さん(呉昊宸)で、難しかっただろうな。

 荀白水も、長林王との確執から悪の道にはまりそうではまらず、梁国の忠臣として生涯を全うする。荀白水の息子・荀飛盞(張博)は禁軍大統領。前作の蒙大統領のようなコミカルさはなくて、沈着で寡黙な武人気質。蕭平章の妻(未亡人になる)蒙残雪に秘めた思いを寄せているのではないかと感じたのは、私の考えすぎだろうか? 中盤まで見せ場は少ないが、クライマックス近く、死を覚悟して大軍勢にひとりで立ち向かう姿はぞくぞくするほどカッコよかった。なお、緊張感の連続する終盤に、唯一笑いを与えてくれるのは、岳銀川将軍の副将の譚恒。佩兒ちゃんと幸せになってくれるといいなあ。

 父皇の死によって即位した若き梁帝・蕭元時(胡先煦)は、母や伯父の影響下をなかなか抜け出せないが、苛酷な体験を通して皇帝のふるまいを身につける。主役の蕭平旌(劉昊然)もそうだが、今の中国の流行りは、むかしの日本で言うしょうゆ顔なのかな。蕭平章役の黄暁明みたいな、彫りの深い顔立ちはもう古いのだろうか、と思った。ヒロイン林奚姑娘は、前作の霓凰郡主とは違った意味で自立した女性で好ましかった。

 昔語りに第1作の登場人物の消息が示されたり、第1作の映像が挟まれる場面はときどきある。共通する登場人物は庭生と藺閣主で、どちらも別の俳優さんが演じているのだが、セリフや行動の端々から、ああ、あの庭生、あの閣主だと納得できた。しかし、なんといっても本作が『琅琊榜』の後日談であることを実感するシーンは、クライマックス(終盤)に来る。第1作のファンの方々には、ぜひその場面をネタばれなしで味わってもらいたい。本作は第1作と違って、最終回らしい最終回で終わったので、たぶんもう続編は作られないのだろう。でも叶うなら、さらに梁国の行く末の物語を私は見たい。平章の遺児の策兒が成人していたり、琅琊閣の閣主も世代交代した頃の物語を。

 最後に余談だが、本作の放映開始前の特番で出演者の皆さんが語り合っている映像をネットで見つけた。前作が「文戯」なのに対し、本作は「武戯」というのはよく分かる。草原を疾駆する騎馬軍団の爽快感、大軍勢の鎧の音が迫る恐ろしさなどは本作の妙味。ただ個人的には、文官に魅力的な人物が少ないのが物足りなかった。庭生役の孫淳さんがドラマの蕭平章について「山東人らしい性格」と評していたのは、よく分からなかったが、中国語版Wikipediaに「山東人」の項目があるのを拾い読みして納得した。「本性仁厚,対上講忠誠,対朋友講義気,対前輩講孝敬」と言われるのだそうだ。そして孫淳も黄暁明も山東出身なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本産ファンタジーの可能性/NHKドラマ『精霊の守り人』

2018-02-03 23:47:26 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇NHK大河ファンタジー『精霊の守り人

 2016年から3シーズンに渡って放送されたドラマ『精霊の守り人』が完結した。シーズン1は全4回(2016年3-4月)、シーズン2『悲しき破壊神』は全9回(2017年1-3月)、シーズン3『最終章』は全9回(2017年11月-2018年1月)という構成だった。原作は上橋菜穂子氏による異世界ファンタジーである。1996年に第1作が刊行されて以来、多くの読者を獲得していることは知っているが、私は原作を読んでいない。また、2007年にNHK-BSで放映されたアニメ作品は、地上波再放送をたまたま見て、強く物語世界に引き込まれたが、最初の数話を見ただけで、物語の行く末を見届けることなく終わってしまった。

 それが再び『守り人』の世界に出会う機会がめぐってきた。主人公・女用心棒の「短槍使いのバルサ」を、かわいいお嬢さんイメージが強い(と思っていた)綾瀬はるかが演じることは納得いかなかったが、脚本が大森寿美男さんと聞いて、見てみることにした。シーズン1の第1、2回くらいまでは、アニメで記憶にある展開だったが、それ以降は全く初めて体験する物語世界だった。

 シーズン1は、まあまあだった。配役は綾瀬はるかを含めて悪くなかった。バルサの回想に登場するジグロ(吉川晃司)の寡黙で武人らしい雰囲気が、この物語にリアリティを与えていた。バルサの少女時代を演じた清原果耶は、わずかな登場シーンなのに印象的だった。新ヨゴ国の宮廷の人々は、聖導師(平幹二朗)も星読博士のガカイ(吹越満)も、くせ者感がじわじわにじみ出ていてさすがだった。幼いチャグム王子(小林颯)は、たった四話のうちに大きく成長していく様子を自然に演じていた。美術も衣装も特殊効果も、とにかく本気で「大河ファンタジー」という新しいジャンルを創り出そうとしていることはよく分かった。

 しかし正直なところ、シーズン1では、まだ視聴者の側がついていけてなかった。日本人ばかりが日本語で、変な衣装を着て変な作法を守って大真面目に「異世界」を演じていることに、何かくすぐったい違和感があった。あと、予想されたこととは言え、原作ファンやアニメファンの評価も厳しかった。そんな中で嬉しかったのは、原作者の上橋菜穂子さんが「ドラマと小説は『見せ方』が違います。『出来ること』も、違います。原作を忠実になぞっただけでは、ドラマには命が宿りません」と、ドラマを擁護する発言を公にしてくださったことである。裏を返せば、原作者の納得を引き出すまで話し合いと熟慮を重ねた制作者側に、十分な熱意と志があったということだろう。

 シーズン2は、物語の舞台が広がり、文化も自然環境も異なる、さまざまな国と人々が登場する。ロケなのかセットなのか合成なのか分からないけど、青い海あり、深い森あり、草原ありで、視覚的に楽しかった。そこに暮らす人々も、衣装や食事、宗教など、それぞれの生活のディティールが想像できるような作り込みがされていて、異世界ファンタジーの醍醐味を感じた。私は、あえて言えばシーズン2がいちばん好きだった。登場人物は一気に増えた。少年時代のチャグム王子を演じた小林颯くんが退場したのは残念だったが、引き継いだ板垣瑞生くんもとてもよかった。彼はシーズン3で、さらにぐんと大人びた存在になる。

 シーズン3で物語は収束へ向かう。前半でバルサと養父ジグロの物語が決着する。カンバル王のログサム(中村獅童)はただの悪人ではなく、面白い役どころだった。視覚化された「槍舞い」も美しかった。この頃になると、バルサを演じる綾瀬はるかさんの目つきと所作が惚れ惚れするほど板について、もはやバルサがそこにいるとしか思えなかったし、シーズン1で感じた日本人がつくる異世界ファンタジーの違和感など、どこかに吹き飛んでいた。後半はチャグムと父帝の和解の物語。全てが収まるところに収まり、バルサは幼馴染みのタンダ(東出昌大)のもとに帰って、静かに短槍を置く。原作は知らないのだけど、長い冒険を終えた主人公が、家族という幸せのもとに戻ってくるのは、わりと脚本の大森さんの好みのような気がする。

 実は原作の順序を入れ替えたり、改変した点があるそうなのだが、SNSに流れる感想を見ていると「原作の魂を尊重したドラマだった」ことを評価する声が多かった。原作シリーズのうち、ドラマに盛り込まれなかった作品について「〇〇も作って!」という要望もいくつか見た。多くのファンを持つ小説のドラマ化、異世界ファンタジーという新ジャンルに果敢に取り組んだ制作チームを心から称えたい。視聴率は振るわなかったようだが、いつまでも愛され、これからも新しいファンを生んでいくドラマになると確信する。そして「大河ファンタジー」というジャンルが今後も続いていくといいな、と思う。その一方、本作は海外への売り込みも考えているようだが、シーズン3で絶賛された戦闘シーンは、確かに日本のTVドラマとしては例外的な迫力、規模感で描かれていたけれど、中国の最近のドラマを見ていると、全然かなわない感じがする。日本のドラマもがんばれ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中華ドラマ『軍師聯盟之虎嘯龍吟』、看完了

2018-01-27 23:54:03 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『軍師聯盟之虎嘯龍吟』全44集(2017年、東陽盟将威影視他)

 2017年6-7月に放映された『大軍師司馬懿之軍師聯盟』の第2部である。第1部に熱狂したファンの間で「第2部は秋」「いや遅れるらしい」などの推測が飛び交ったが、結局、2017年12月7日から、放映ではなくネット配信が始まり、私は少し遅れて年末から見始めた。期待をはるかに超えて、忘れられない一作になった。

 第2部は、郷里に隠棲していた司馬懿を曹丕が呼び戻すところから始まる。病に倒れた曹丕は、司馬懿、曹真ら四人を皇太子・曹叡の輔臣(補佐)に任じて死す。え~初回で死んじゃうの!?と驚いたが、曹丕という後ろ盾を失うことで、司馬懿にとって本当の戦いが幕を開けるのだ。新帝・曹叡は暴虐をほしいままにし、曹真は司馬懿の排斥を企む。そんな中、司馬懿は息子の司馬師・司馬昭を引き連れて、諸葛孔明率いる蜀漢軍と戦い、戦いを通じて互いを知己と感じるようになる。孔明の死が第22回。長年、司馬懿のライバルであった曹真も、戦いの中で没する。

 孔明の死で蜀漢との戦いが収束すると、曹叡の関心は再び内廷に向かい、讒言を信じて郭皇后(郭照)に死を賜る。しかし、その曹叡も病に侵され、幼い曹芳を皇太子に立て、曹爽(曹真の息子)と司馬懿を輔臣に任ずる。曹爽は、この機に司馬懿を殺そうと宮中に兵を潜ませるが、司馬懿の気迫に押されて手が下せない。曹叡は司馬懿の背中に負われて息を引きとる。これが第27回。曹爽は魏の朝廷を牛耳り、再び司馬懿の命を狙うが、司馬懿は幼帝・曹芳を抱きかかえて、間一髪、死地を逃れる。司馬家の人々(司馬師の嫁の夏侯徽、その兄の夏侯玄も)が一丸となり、連携プレーで司馬懿を救出するのが第31回。やっぱり司馬家はいいなあと安堵したものの、そんな幸せはこれが最後だった。

 司馬懿は、来たるべき危機に備え、ひそかに死士(決死の兵)を養うことを、信頼する長男・司馬師だけに命じる。血気盛んな次男・昭と柏夫人を母とする倫はこれを嗅ぎつけ、父親への不信感をつのらせる。一方、司馬師の妻・夏侯徽は心配のあまり、夫の秘密を探り、死士の隠れ里を発見する。あとをつけてきた司馬昭は、激情にかられて彼女を殺してしまい、司馬倫はその罪を長兄の司馬師に着せる。司馬家の平和は、内側からじわじわ壊れていくのだ。

 愛妻・張春華の死後、司馬懿はすっかり耄碌したふりをしていたが、ついに決起し、死士の一団を率いて洛陽を掌握し、曹爽らを三族皆殺しの刑とする(高平陵の変)。その後も容赦なく敵対者を粛清していく息子たちと、それを是認する司馬懿の態度を見て、絶望した柏夫人は死を選び、魏の忠臣たろうとする弟の司馬孚も去っていく。

 息子・司馬昭の行動に不信を抱いた司馬懿は、夏侯徽の死の真相を知り、昭の処罰を兄の司馬師に任せる。しかし、司馬師は弟を殺すことができない。生涯の大半を「他人の刀」として過ごした司馬懿は、最晩年、自ら「刀を執る者」になろうとしたが「もはや刀は我が手になかった」とつぶやく。心猿意馬と名づけていたペットの亀を放し、湖のほとりで静かに生涯を終える。

 第2部の出演者について、王洛勇の諸葛孔明は、涼やかで苦労人らしくて、とてもよかった。本作の監督・張永新が「(歴史上の人物を)神格化、妖魔化はしたくない。普通の人として描きたい」と語っている映像を見たが、その狙いどおりの孔明だった。孔明を一途に支える姜維(白海涛)もよかった。武勇の人・姜維のイメージをだいぶ修正した。曹爽(杜奕衡)はもっと切れ者のライバルに描くのかと思っていたら、残忍だが単純で、人のよさが見え隠れする役柄で、その分、処刑シーンは哀れだった。曹叡役の劉歓は怪演と言ってよいだろう。気持ち悪くて怖かった。まだ若い役者さんで、写真を探すと笑顔はかわいいんだなあ。曹叡に仕える太監の辟邪(創作人物)役の張天陽はイケメンさん。かなり悪魔的な役柄だが、それでも最後に人間味を見せる。

 司馬師(肖順堯)、司馬昭(檀健次)の兄弟を演じた二人は、MIC男団という音楽ユニットのメンバーだそうだ。へえ~。どちらも難しい役をよく演じていた。特に司馬師役の肖順堯は、背が高くて見栄えがするので、また古装劇に出てほしい。最終回の直前、弟に刃を向ける覚悟で登場したときは、冷たい殺気をまとい、ぞくぞくするほどカッコよかった。日本の大河ドラマ『平清盛』でAAAの西島隆弘くんが平頼盛役を演じたことを思い出した。

 あと司馬孚おじさん(王東)。司馬家の人々が次々に闇落ちしていく中で、最後まで良心の人だった(史実もそうだったらしい)。郭皇后(郭照)が投獄された際「一緒にいる(陪着你)」と言って背中を向けて牢の前に座り込む姿に泣けた。最後の最後に司馬懿から「郭照もお前と結婚していれば幸せだったろう」なんて、第1部の始めの頃を思い出す会話を聞かされてつらかった。第2部の終盤は、自然と第1部のあれやこれやを思い出すシーンが多く、歳月の隔たりを感じ、繰り返すものや帰ってこないものをしみじみ懐かしんだ。

 劇伴音楽がすごく好きだったことも書いておきたい。神思者(S.E.N.S.)と言って、日本のユニットなのだそうだ。それからYouTubeでは本作のメイキング映像を何本か見ることができる。張永新監督や、司馬懿を演じ、かつプロデューサーでもある呉秀波が、撮影の合間に三国志あるいはこのドラマの登場人物について熱く語り、ほかの出演者(特に若手俳優)が耳を傾けている様子など、現場の雰囲気が垣間見える。どうか第1部とともに、早く日本で放映されますように!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ファンファーレは永遠に/2017大河ドラマ『おんな城主直虎』

2018-01-16 21:05:03 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』全50回

 2018年の大河ドラマが始まって2週目になるが、2017年の『おんな城主直虎』について書いておきたい。私は、ほぼ全話をリアルタイム視聴で完走し、12月30日に放映された4部構成の総集編も見た。江戸東京博物館の特別展も見たし、ゆかりの地を訪ね、気賀の大河ドラマ館も見てきた。ここまで積極的に「参加」した作品は初めてだと思う。本当に幸せな1年間だった。

 始まる前はものすごく不安だった。井伊直虎という名前は聞いたこともなかったし、井伊氏といえば彦根しか思いつかなくて、舞台が遠州(静岡県)の井伊谷(いいのや)と言われても、どこ?という感じだった。脚本の森下佳子さんは『JIN-仁-』や『ごちそうさん』などの名作を世に送り出しており、特に史実の掘り出し方と料理のしかたが絶妙なので、いつか大河を書いてほしいと思っていたが、この題材で起用されたのは不運としか言いようがなかった。あと、私の見るドラマが偏っているせいもあって、主演の柴咲コウさんを全く知らなかったので、どうにも期待の持ちようがなかった。放送直前、SNSでいつも大河ドラマの批評をつぶやいている方が、序盤のノベライズを読んで「これは2年連続の良作になるかも」とつぶやいているのを見たときは、お?と少し心が躍ったが、明るい要素はそのくらいしかなかった。

 本作は主要人物の子供時代が異例に長く、第4回まで続いた。初回にいきなり井伊直満(直親の父)の謀殺があり、迫りくる暗雲はじわじわ描かれていたけれど、子役時代は全体にのんびりした展開で、それほどハマる予感はなかった。面白くなってきたのは、主要人物が本役になった第7回「検地がやってきた」あたりだと思う。むかし社会科で「太閤検地」は習ったけど、戦国時代の検地がどのように行われていたか、考えたこともなかった。このあと城主になった直虎は、膨大な行政文書に目を通し、借金まみれの財政状態に愕然としながら、商人と手を組み、新たな産業を興し、農民を集め、国を豊かにしていく。私は「国衆」(土地とのつながりが強い領主)という言葉を、昨年の『真田丸』で知った程度の日本史の知識しかないが、戦国時代の領主や大名が、戦いだけに明け暮れていたわけではなく、領国の経営に手腕をふるい、苦心していた様子が分かって、とても面白かった。

 登場人物のうち、井伊家にかかわる人々は、ほとんど知らなかったが、知名度の低さ、史料の少なさを逆手に取ったような人物造型・ストーリー展開は秀逸で、その真骨頂は、奸臣といわれる小野正次を、密かに井伊家を支える孤独な忠臣に反転させたことだろう。もっとも、龍雲丸(柳楽優弥)は「あのひとのいう井伊ってのは、あんた(直虎)のことなんだよ!」と叫んでいたけど。これは本作中の私の好きなセリフのひとつ。政次役の高橋一生さんは、かつての大河ドラマ『風林火山』で覚えた役者さんなので感慨深かった。

 第33回「嫌われ政次の一生」は、政次の本心を知りつくした直虎が、小野と井伊が敵対するという芝居を完結させるため、政次を「地獄へ落ちろ」と槍で突き殺すという激辛展開で、視聴者をへたりこませた。史料に残された「史実」を裏切らず、踏みにじらず、しかし通説とは全く違う「解釈」を提示したわけで、大河ドラマでここまで大胆なことをやった例はないのではないかと思う。しかし、考えてみると、悪役が「実は」と忠義の人に反転するのは、日本演劇の伝統そのものではないか。死を目前にして「しばらく、しばらく」と真実を述べる「もどり」は、歌舞伎や文楽でおなじみの構図である。第31回「虎松の首」では、虎松の身代わりに、名もない幼な子の首が差し出される。これも日本演劇の伝統が感じられて面白かった。

 人気沸騰した小野政次=高橋一生の退場以降、ファンが離れるのではないかと言われたが、この頃、多くの視聴者はすでに「直虎ワールド」の虜になっていたと思う。ドラマの終盤になっても、次々に魅力的なキャラクターが投入された。直親の遺児・虎松あらため万千代(のちの井伊直政)の菅田将暉くんと、相棒・小野万福の井之脇海くんも可愛かったし、阿部サダヲの徳川家康とその家臣団も大好きだった。このドラマには、不思議なことに徹底した悪役がいなくて、政次を死に追いやった近藤康用、虎松の首を所望した今川氏真でさえ、いつの間にか愛されるようになっていた。悪女といわれることの多い築山殿(瀬名)(菜々緒)の描き方もよかったなあ。

 第49回「本能寺が変」の伊賀越えは私の好きな爆笑回で、徳川家臣団の当意即妙、以心伝心の猿芝居に悶絶した。猿芝居を猿芝居として演じる役者さんたちが、最高に巧いのである。ドラマの前半にも、井伊に人手を集めるため、直虎一行が街道の茶屋で芝居をうつ場面があったし、脚本の森下さんは、ほんとに芝居好きなんだなあと思った。ドラマの中にいくつもの虚構、楽しい虚構や悲劇的な虚構が入れ子状に仕掛けられていて、知的で洒落た脚本だったと思う。大河ドラマには、まだいろいろな可能性があることを感じた作品だった。出演者と制作者のみなさん、本当にありがとう。テーマ曲冒頭のファンファーレが、まだ耳の奥で鳴り響いているような気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忠と孝の間/中華ドラマ『趙氏孤児案』、看完了

2017-12-24 20:49:22 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇『趙氏孤児案』全41集(2013年、中国中央電視台;中視伝媒他)

 中華ドラマファンの間では、2017年は大豊作の1年と言われているらしい。確かにそうだ。昨年の暮れ、まさかこんな1年が始まるとは予想していなくて、ちょっと見たいものが途切れた合間にGYAO!ストアで『天命の子~趙氏孤児』(日本名)を見始めた。面白いので、あっという間に最初の配信話数を見尽くしてしまって、続きの配信を待っているうち、関心が『射雕英雄伝』に移り、そのあとも『軍師聯盟』『人民的名義』に嵌って、戻ってこられなくなってしまった。年末に至って、ようやく全話を見た。日本語字幕版ではなく、中国の動画サイト「騰訊視頻」を利用して、第1話から見直した。

 舞台は中国春秋時代の晋の国。趙朔とその一族は政敵の屠岸賈によって滅亡させられたが、生まれたばかりの幼児・趙武は、趙朔の食客・公孫杵臼と、医者の程嬰によって助け出される。屠岸賈は城内の赤子の皆殺しを命じる。程嬰は、趙武の身代わりに、同じ日に生まれた我が子の命を差し出し、以後、我が子・大業と偽って、趙武を育てる。この奇計を屠岸賈に信じさせるため、公孫杵臼は命を捨て、程嬰の妻・宋春は記憶の一部を失い、夫を認識できなくなる。

 程嬰は、趙朔の妻・荘姫公主や趙朔の下僚・韓厥将軍に恨まれ、蔑まれながら、屠岸賈の庇護の下、大業(趙武)を育てあげた。大業は、屠岸賈の一人息子・無姜と兄弟のように睦まじく育つ。そして19年後、ついに真実が明かされるときがやってくる。

 煎じ詰めれば善悪のはっきりした復讐譚なのだが、ドラマは起伏に富んで見事な展開だった。元来「史記」や「春秋左氏伝」が伝える物語で、元曲や京劇でも親しまれてきたというので、ドラマの脚色がどのくらい入っているのか、よく分からなかったが、Wikipeadiaを読んで、かなり創作をまじえているらしいことが分かった。

 主人公・程嬰(呉秀波)と屠岸賈(孫淳)の超級頭脳戦がひとつの見どころだが、それだけではない。奸臣・屠岸賈は、愛妻・孟姜の死と引き換えに息子の無姜を得、息子の幸せ=栄耀栄華を願って、政敵を倒し、権力の簒奪に邁進する。しかし成人した無姜は、己れの出生を疑い、父に反発する。屠岸賈が差し向けた女スパイの湘霊は、大業の人柄にほだされ、屠岸賈から離反する。智者を以てしても予測できない「人心」の面白さ。また、屠岸賈の罠に落ちて命を失った趙朔だが、その生前の善行が、めぐりめぐって程嬰や趙武を助けることになる。

 登場人物は多くないが、みな印象的である。完全な悪人も完全な善人もなく、貪欲、短気、臆病、浅慮など、みんな何かの欠点を抱えていて、しかし魅力的に描かれている。全ての真相が明らかになったあと、大業(趙武)は屠岸賈の命を取るべきか取らざるべきかで悩むが、復讐にはやる公主と韓厥が「なぜ殺さない!」とキレる場面が面白かった。程嬰の妻・宋香(練束梅)は、少しでも豊かな暮らしを夢見る、単純で善良なおばちゃんで、程嬰のような智謀も義侠心も持ち合わせないのに、運命に翻弄されて、苦難の多い生涯を終える。検索すると、素顔は若々しい女優さんだが、老齢に至る難しい役をよく演じている。そして、最後まで宋香と程嬰が引き裂かれることなく、物語が終わってよかった。

 物語のその後を想像すると、謀反人の子となった無姜はつらい人生を送っただろうなあ。政治は嫌いだと言っていたから、辺境警備に赴いたか。草児はそばにつきそっただろうか。義父の程嬰を失った趙武も大変だろうと思う。晋の朝廷には、ほかに趙武を教え導く大人がいそうにないので。

 2013年に中国国内で数々の賞を総なめにしたという評価には納得。日本でテレビ放映したら、少なくとも一部には熱狂的なファンがつくドラマだと思う。どこか試してくれないかなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会派の群像劇/中華ドラマ『人民的名義』、看完了

2017-09-18 23:50:01 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇『人民的名義』全55集(DVD版)(2017年、最高人民検察院影視中心等)

 今年3月から4月に湖南衛視等で放映され、中国国内で大反響を引き起こしたドラマである。私は、中国ドラマは古装劇ひとすじなので、現代劇は他人事だと思っていた。それが、SNSなどでの評判を聞くうちに、だんだん見たくなってきた。優酷(Youku)というサイトで無料配信されていることが分かったので、試しに1話目を見てみたら、なるほど面白い。現代劇に慣れていないため、字幕の助けを借りても理解できない単語が多かったが、なんとか筋を追うことはできた。

 第1話の舞台は北京。最高人民検察院の反貪総局(腐敗=汚職収賄を摘発する組織)に勤める侯亮平(ホウリャンピン)は、ある高官の捜査の過程で、漢東省(※架空の省)京州市副市長の丁義珍の関与が浮かび、漢東省検察院に協力を要請する。漢東省検察院の反貪局局長・陳海(チェンハイ)は、侯亮平の大学時代の親友でもあった。北京の案件はすぐに解決したが、丁義珍はアメリカに逃亡してしまう。

 同じ頃、漢東省京州市では、大風集団(株式会社)服装工場の工員たちが工場を占拠し、失火により負傷者を出す事件が起きる(一一六事件)。大風集団の社長は、侯亮平の幼馴染みの蔡成功だった。事件を捜査していた陳海は、交通事故に遭い、一命はとりとめたものの意識が戻らなくなってしまう。この事故に謀略の疑いを抱く侯亮平は、陳海の後任として、漢東省検察院の反貪局長に着任する。

 漢東省では、彼の大学時代の恩師・漢東大学教授の高育良が、省委の副書記をつとめており、同窓の先輩・祁同偉は省の公安庁庁長になっていた。このほか、腐敗の横行に厳しい目を向ける新任の省委書記・沙瑞金、大胆な改革で京州の経済発展を推し進める市委書記の李達康、才覚ひとつで巨万の富を築いた山水集団の女経営者・高小琴など、所属する階層も境遇も性格も信条も異なる、個性的な人物が多数登場する。果断で天才的なヒーローばかりでなく、地味だが持ち場をしっかり守る人々がちゃんと描かれていたのが印象的だった。

 そして、役者さんはいずれも役にぴったりで、ドラマに現実味を与えていた。ものすごく狡猾そうな顔、欲深そうな顔、良心的な顔を、よくぞ集めてきたものだ。侯亮平役の陸毅(ルーイー)は明朗快活で自信にあふれ、爽やかな主人公を好演。これはそんなに難しい役ではない。沙瑞金役の張豊毅は、無言で立っているだけで絵になり、内心の深い感情が伝わってくる。逆にあまり表情を読ませないところが難しいと思ったのは、高育良役の張志堅である。

 以下はネタバレになるが、できれば本作は事前情報を仕入れずに、まっさらな気持ちで見るほうが楽しいと思う。え?そうくる?どうなる?と、読めない展開に何度も手に汗を握った。カーチェイスとかヘリコプターの出動とか、アクション場面もたくさんあり、(たぶん本職の)隊員たちの見事に訓練された動作から、緊迫感が伝わってくる。

 最終的に、陳海の殺害を企てたのは祁同偉とその愛人の高小琴だったことが判明する。祁同偉は貧しい農民の生まれで、あらゆる手段を用いて富と権力を手に入れ、それを失うことを恐れていた。高小琴に至っては、靴さえ買えない漁家の娘だったが、悪徳商人に見出され、ハニートラップ要員として教育を受け、それを足掛かりに今日の地位を築いた。いま中国では腐敗撲滅キャンペーンが華々しく行われているが、摘発された人々の中には、こんなふうに自分のため、あるいは家族のため、不法行為に手を染めつつ、極貧から成り上がった人々もいるのだろう。ドラマは、主人公サイドの人々が、身命を賭して「正義」と「公平」を求める、純粋で真剣な態度を迷いなく描く一方で、悪人たちにも同情の余地を残している。

 いや、祁同偉と高小琴が最後にお互いの愛情だけは本物だと信じられたのに対して、祁同偉の妻・梁璐、高育良の妻・呉惠芬の描きかたは残酷である。高育良の愛情が他の女性に移り、離婚したにもかかわらず、世間に対して良妻を演じ続けた呉惠芬は、夫の権力や社会的信用を利用していたわけでもあり、侯亮平は「利己主義者」という言葉で呉老師(彼女も漢東大学の教授)を評する。

 本作には、中国の歴史や古典文学の「故事」がちりばめられているのも面白かった。侯亮平のあだなは「猴子(サル)」だが、これはもちろん「西遊記」の孫悟空を意味している。既成の権力・体制をものとせず、天宮さえも大騒ぎさせるのだ。侯亮平の命が狙われる「鴻門之会」の下りはハラハラした。あと、最後まで巧みに使われるのが京劇「沙家浜」である。高小琴はこの登場人物「阿慶嫂」を唱うのを得意としている。これはぼんやり記憶にあったのだが、途中で調べて、日中戦争に取材した革命京劇というやつか!と驚いた。これ全編見たい。

 中国の連続ドラマは、ブツ切り的な終わり方をするものが多いが、本作は、わりときれいにいろいろなエピソードを回収して終わったように思う。鄭乾と張宝宝の現代っ子カップルは、つらい展開が続くときの癒しだったので、無事に結婚してくれてよかった。植物人間状態だった陳海が、老父・陳岩石の命を受け継ぐように意識を取り戻したのは、思いがけない喜びだったが、陳海に思いを寄せていた陸亦可はどうするんだ? その陸亦可に言い寄っていた硬派な公安局長の趙東来は失恋か?と先行きが気になる。

 そうそう、趙東来が陸亦可を誘い出した朗読会の会場は公共図書館だろうか? 画面を通じて、最近の中国の様子がいろいろ見られてよかった。子供も老人もスマホは必携アイテムなのだとよく分かった。漢東省のロケは、主に南京で行われたという。大都会だが緑も多くて、いい街だった。また行きたいなあ。このドラマ、日本での放映を切に望む。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸市立博物館リニューアル基本計画(2016年3月)を読む

2017-08-25 00:13:48 | 見たもの(Webサイト・TV)
 先日、神戸開港150年記念特別展『開国への潮流』を見るために、神戸市立博物館に行った。どこかカフェで一休みしようと思いながら直行してしまったので、博物館の2階にある喫茶室「エトワール」に初めて入ってみた。ガラス細工の飾りケースがあったり、背の高い窓に赤いビロードふうのカーテンが下がっていたり、古き良き時代を感じさせる喫茶室である。上品なおばさんとおばあちゃんが店番をしていた。注文したヨーグルトアイスは、高級感のある金縁のお皿に乗って出てきた。



 そこへ常連らしいおじさんが入ってきて、おばあちゃんと話を始めた。おばあちゃんが「ここ、来年2月でなくなるんですよ」と聞き捨てならないことをいう。「博物館が改修するの。改修が終わると、1階に図書館と一緒になったカフェができるけど、ここはなくなってしまう」のだそうだ。

 あとで気になって調べたら、2018年2月5日~2019年11月1日まで、改修工事にともない休館予定であることが分かった。また「神戸市立博物館リニューアル基本計画について」というページも見つけた。PDF版の「基本計画」全文(2016年3月)も公開されている。

 読んでみた感想だが、「階段が主導線で不便」「女性トイレが不足」等、施設・設備の老朽化に関する指摘はもっともである。何しろ本館は昭和10(1935)年竣工の横浜正金銀行の建物の転用だし(美観的にはそこがよい)、新館も昭和57(1982)年開館当時のままだという。常設展示が開館以来、ほとんど変更されておらず、陳腐化しているというのも、はじめて気づいたけれど確かによくない。さらに収蔵庫の密閉性が不足しているなど、保存環境にも問題があるという。

 リニューアルによって、これらの問題が改善すれば、嬉しいことだ。しかし「基本計画」の目指す方向性は、必ずしも全面的に賛成できるものではない。15頁の「リニューアル後に目指す姿」では、「観光客に向けて」「国際的な文化交流の強化」、「市民に向けて」「ICT技術等の活用による観光資源との連携強化」とあり、結局「観光」かい、と毒づきたくなる。あと「参加型展示」は、教育現場で流行りの「アクティブ・ラーニング」と同じで、ちょっと手を抜くと、従来型展示より悲惨なことになると思う。

 リニューアル後も「全国規模の海外巡回展は引き続き積極的に開催」というのは、神戸市民のために重要だが、私が期待するのは、同館のコレクションや調査研究の成果を生かした「独自の特別展・企画展」である。昨年の『我が名は鶴亭』、今年の『遥かなるルネサンス』『開国への潮流』は、全く分野が違うのに、どれも素晴らしかった。こういう企画展ができるのは、優秀なスタッフが揃っているからだと思う。施設・設備も大事だが、ぜひ人にかけるお金もケチらないでほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする