この3連休を利用して、福岡に住んでいる甥っ子(姉の二男)が泊りがけで遊びにやってきた。まだ独身でドライブがてら久住山系の紅葉を楽しみ、九重の夢大吊橋周辺を回る日程だそうで、やって来たのは初日。
久しぶりに顔を合わせたが、このブログを2~3日に1度目を通しており、いろいろと遠慮せずに意見を言ってくれる貴重な読者の一人だが、兄(姉の長男)との会話を通じて、別府のおじちゃんは朝早く5時過ぎからあんなにテンションを上げて長文のブログを投稿しているが、精神構造は一体どうなっているんだろうと噂しているとのこと。
よく聞いてみると、ブログとは日記のようなものでその場で思い浮かぶままに文章を考え、そのまま投稿してしまう人が大多数で、そういえばかなり熱い宝塚ファンの娘もブログにヅカ関連の記事を投稿するときはこのスタイルであまりこだわらずに思いつくままの文章を投稿しているとのこと。
自分の場合、残念なことにそういうタイプではない。あまりヒラメキがいい方ではないので適切な表現の文章がすぐに思い浮かばず、事前に原稿を作成し何回も推敲するのが常である。通常で1週間程度、場合によっては2週間以上も前から「記事一覧」に草稿状態で留め置いて、ああでもない、こうでもないと考えながら折をみて文章をいじり回している。
どうせ載せるのであれば、少しでも満足のいくものにというのが理由のひとつだが、それに加えて別に推敲が苦になるわけでもなく、むしろ小文とはいえ階段を一段ずつ登っていくように完成に近ずけていく楽しみもある。もちろん、仕上がり具合はいまひとつで、所詮、自己満足の世界に過ぎないのはいうまでもない。何せプロではないんだから。
そういうわけで、朝早く5時過ぎに投稿するときには既に前日までに推敲が終わった草稿をさらにもう一度ざっと目を通して機械的にパソコンを操作してエイヤっとクリックするだけである。ものの5分とはかからない作業であり、決して早朝からテンションを上げているわけではない。また、一晩寝た後にふっ切れて投稿するのがクセになっているので夕刻以降の投稿はまず考えられない。
こういう自分のようなどちらかといえば粘着気質で推敲好きの人間は実生活ではかなり損をするタイプ。つまり、時間をかけてゆっくりと考えればよい文章とは違って、日常生活の中で大部分を占める他人とのコミュニケーション、会話という一発勝負の中では、なかなか最適な言葉がすぐに浮かばず、後になってああ言えばよかった、とか相手のあの言葉はこういう意味だったのかといろいろ考えることが多い。
したがって結構、過去の事件を思い出して悔やむこともありどうも精神衛生上よろしくない。世の中、しゃべるのがうまくて、文章も上手というのが理想だろうが、今も昔もしゃべりがうまい人のほうが有利で重宝されるようだ。本当にうらやましい。
しかし、ずっと以前に仕事がらみで大好きな作家の城山三郎(故人)さんの講演を聴いたことがあるが、正直言ってあまりトークの方はお上手でなかったので、あの城山さんでさえそうなので天は二物を与えないものだと妙な安心感と慰めを覚えた記憶がある。
いずれにしても、こういうクセは生まれつきのもので直せる性質のものではなさそう。歳(とし)も歳だし、もう半分以上あきらめているところ。
最後に、この原稿の据え置き期間は2日間でした。念のため(笑)。