「御寄付(ごきふ)、匿名(とくめい)、そして天才のチェロ」
NGOとしての我々アラントンは、基本的には御寄付(ごきふ)で成り立っている。
言葉を変えれば、恒久平和(こうきゅうへいわ)を希求(ききゅう)するアラントンの活動を支(ささ)えたいという人々の、心からの篤志(とくし)で成り立っている。
東京にある五井(ごい)平和財団、この公益法人(こうえきほうじん)がアラントンをサポートしてくださるその筆頭です。
この財団の理事で、昭和電工最高顧問の大橋光夫さんと奥様の清子さんがアラントンにおいで下さった時、かなりの額の御寄付をくださった。
現在、アラントンの各所にある北欧製暖炉(だんろ)は、この御寄付によって設置させていただいたものです。アラントン裏にある森林から伐採(ばっさい)された間伐材による薪(まき)が、美しい炎となって部屋を暖めてくれるたびに、我々アラントンスタッフは、大橋さん御夫妻を思い出す。
面白い意図(いと)の御寄付もある。
「アラントンに日本式のお風呂をつくりませんか?」と、やはり我々アラントンを熱心にサポートしてくださる、名古屋にお住まいの柴田さん御夫妻も、かなりの御寄付をくださった。
日本のお風呂と西洋のお風呂文化はまったく異なっている。で、今、アラントンに於ける日本式お風呂も、実現に向け動き出した。
何といっても、日本に長年住んだアラントン代表のキャロラインが、銭湯や温泉など日本のお風呂大好きだしね。この人、雪景色(ゆきげしき)の露天風呂につかりながら焼酎のお湯割りをキューと一杯、これサイコーやとおっしゃるんや。この人、前世はぜったい日本人でっせ。
で、アラントンの日本式お風呂完成の暁(あかつき)には、日本の銭湯に倣(なら)って入り口には暖簾(のれん)をかけます。もちろん「ゆ 柴田温泉」や。壁の富士山は、僕がペンキで描(か)きますがな。
その他、日本のお米や食材など、こちらでは得難(えがた)い品々を送ってくださる方が少なくない。これらの貴重な日本食材で僕が調理した日本食のファンは、こちらで確実に増えている。実にありがたいことですね。
ところで、このスコットランドの地に於いても、アラントンに御寄付くださる方はいらっしゃる。現金や小切手をくださる方もいるけど、お金だけではなく、ソファーやテーブル、さらに椅子などの家具の他、ピアノなど、あらゆるものを寄付して下さる。芝刈り耕運機(こううんき)や藁(わら)ぶき屋根のパティオ、それにキャンピングカーなど、アラントンの内外にある数多くの物が御寄附なんですよ。
かなり以前の話だけど、アラントンに常設している寄付箱に、とんでもない札束が入っていて、アラントンスタッフがびっくりしたことがある。当時の日本円でたしか20万円ほどだったと記憶している。
で、その頃アラントンに来た方々すべてに問い合わせたけど、名乗りを上げる人はいなかった。つまり匿名(とくめい)の御寄付だったんですね。
アラントンに集う方々は無私無欲(むしむよく)の人ばっかりだなあと日頃から思ってた僕やけど、この匿名の御寄付には正直言ってびっくりした。そして、世の中にはこんな人がいるんやと、心洗われる思いがしたんですよね。
こんな方々に接するうち、僕自身、かつて盛大に持っていた物欲が、かなり希薄(きはく)になっている自分に気付いたこともある。ま、ちょっとぐらいはあるけどさあ…
匿名(とくめい)…、で、ふと、思い出したことがある…
ジャクリーヌ・デュ・プレ…
1987年に42歳で亡くなった天才チェリスト…
僕は、彼女が弾くチェロにとても惹(ひ)かれている。カザルス、ロストボービッチ、ヨーヨー・マなど、僕が愛するチェリストは少なくない。でもね、ジャクリーヌ・デュ・プレは、特別な存在なんです。
是非とも、彼女の演奏を目の前で聴きたかった。驚異的なテクニックも含め、その音色・表現力は卓越(たくえつ)している。指揮者のズービン・メータのコメントがある。
「あの音量の凄さは男のチェリストでも敵(かな)わない」
史上最高のチェリストですね。ま、僕にとってはということやけど…
皆さんは、ストラディバリウスを御存知ですよね。
ヴィオリオンやチェロ、これらの楽器の最高峰として、多くの名手に引(ひ)き継(つ)がれている歴史的名器です。非常に高価、時価一億円はごく普通で、二億円以上するものもある。
ただし、ヴァイオリンの匠(たくみ)、名工ストラディバリウス氏のお弟子(でし)さんが、師匠の名を冠(かん)したものは玉石混交(ぎょくせきこんこう)なので、そんなストラディバリウスは要注意だと、親友のヴァイオリニスト木野雅之(きのまさゆき)が言ってたことがある。
彼は、イタリアのクレモナにあるヴァイオリン博物館所蔵の世界最高のストラディバリウスを弾いた恐らく唯一の日本人ヴァイオリニストじゃないかな?
さて、ジャクリーヌ・デュ・プレは、二台のストラディバリウスを使用したが、その二台とも彼女のファンから贈られたものだった。
ところが、二台とも、なんと匿名(とくめい)で贈られてきたという。もう、びっくりですね。そのうちの一台、ストラディバリウス・ダヴィドフは、現在、あのヨーヨー・マが使用している。二億円と云われるこの銘器(めいき)を、彼はタクシーに忘れたことがあるという。
屈託(くったく)ない彼の人柄(ひとがら)を表わしていて微笑(ほほえ)ましいよね。だけどさあ、彼、気が付いた時は慌(あわ)てたやろなあ。
余談だけど、匿名(とくめい)と云っても、ひどい匿名があるよ。
インターネットの便利さ素晴らしさ、その恩恵は僕も大いに享受(きょうじゅ)している。でも、ときおり、匿名での云いたい放題に癖癖(へきへき)することがある。
匿名の世界をいいことに、呆(あき)れるばかりの罵詈雑言(ばりぞうごん)を見ることがあるんやね。僕は、そういうおどろおどろした世界にはかかわらないようにしている。人をののしる時は、ちゃんと自分の名前をあきらかにせよ! どうや出来ないやろ?。つまり、それら匿名者は卑怯者(ひきょうもの)だと云えないか? 僕は、匿名でコメントしたことは一度もない。
ジャクリーヌ・デュ・プレに歴史的銘器を贈った二人の篤志家(とくしか)…
彼らは億の付く楽器を、彼女に匿名(とくめい)で贈ったわけだけど、それらの無私(むし)かつ利他的行為(りたてきこうい)は、今、充分に報(むく)われていると僕は思っている。彼女の演奏が歴史的遺産として残っているのだから…
例えば、エルガーのチェロ協奏曲や、シューマン、サンサーンス、バッハなどの小品集が入ったEMIのアルバム「ジャクリーヌ・デュ・プレ」を聴けば、僕の意味するところが分かっていただける思う。エルガーのチェロ協奏曲など、これ以上の演奏はないとさえ僕は思っている。
よっしゃぁ、僕も匿名で、人になにか贈るでぇー!
「これ、くれたのウマとちゃう?」と、聞かれても「エッ? 知らんよ…」
そうやそうや! 隣村のアリーン婆さん、ワサビ好きで僕の寿司の大ファンの彼女のニックネームはワサビガール。来週の金曜日、彼女の誕生日やないか。
その声も流し目も、めちゃ色っぽい彼女、もう、77歳か78歳とちゃうやろか? 日頃からアラントンの活動には熱心に協力してくれてるしなあ。
よっしゃ、ウマ特製の寿司にたっぷりのワサビを添(そ)えて、彼女の家のドアの前にこっそり置くことにしよう。
もちろんアンタ、匿名(とくめい)やで! ウフッ…
チェロを弾くために生まれてきた彼女だったけど、美人薄命…