「脳はなにかと言い訳する」(平成18年9月15日、祥伝社刊)
著者の「池谷裕二」氏は薬学博士で、現在東京大学大学院薬学系研究家の講師。
本書は脳にまつわる知識や考え方を述べた本だと言えば、やや堅苦しそうだが、従来の「脳関係」の本に載っていないような新しい知見が紹介されている。
以下、興味を引いたものを2点ほど紹介。
☆ 脳は何かと錯覚する~ヒトも動物も、なぜか「赤色」が勝負強い~
2005年5月の「ネイチャー」誌に掲載された科学論文に英ダーラム大学の進化人類学者ヒル博士の研究成果として「赤色は試合の勝率を上げる」という話題。
たとえば、ボクシングやレスリングなどの格闘競技では選手のウェアやプロテクターに赤色と青色がランダムに割り当てられる。
ヒル博士がアテネ・オリンピックの格闘競技四種の試合結果を詳細に調査した結果、すべての競技について赤の勝つ割合が高いことが分かった。赤の平均勝率は55%というから、青よりも10%も高い勝率となる。実力が拮抗した選手同士の試合だけを選別して比較し他ところ、赤と青の勝率差は何と20%にまで拡大した。
赤は燃えるような情熱を、青は憂鬱なメランコリーを暗示する傾向があることは民族を越えて普遍的であると考えられている。
自然界においても赤色は血や炎に通じるものがあるようで、猿や鳥類、魚類でも一部の体色を赤色に変えることで攻撃性を増したり異性に強くアピールしたりする種がある。
ヒル博士は赤色が相手を無意識のうちに威嚇し、優位に立ちやすい状況を作るのではないかと推測している。
もしかしたら人間が「真っ赤な顔」で怒るというのもそれなりに意味のあることなのかもしれない。
☆ 脳は何かと眠れない~睡眠は情報整理と記憶補強に最高の時間~
何かを習得するためにはひたすら勉強すればよいわけではない。睡眠をとることもまた肝心ですよという話。
2004年7月「ニューロサイエンス」誌に掲載されたチューリヒ大学のゴッツェリッヒ博士の論文は睡眠による「記憶補強効果」を証明した。
ある連続した音の並びを被験者に覚えさせ、数時間後に音列をどれほど正確に覚えているかをテストしたところ、思い出す前に十分に睡眠をとった人は軒並み高得点をはじき出した。
ところが驚くことに、睡眠どころか目を閉じてリラックスしていただけでも睡眠とほぼ同じ効果が得られることが分かった。つまり学習促進に必要だったのは睡眠そのものではなく周囲の環境からの情報入力を断ち切ることだった。つまり脳には情報整理の猶予が与えられることが必要というわけである。
なお、これにはちょっとした「うたた寝」でも良いようで、忙しくて十分な睡眠が得られなくても脳に独自の作業時間を与えることができればそれで十分である。
これは不眠症の人や重要な仕事を明日に控えて緊張してなかなか寝付けない人には朗報で、眠れなくともベッドに横になるだけで脳にとっては睡眠と同じ効果があるというわけ。
つまり、眠れないことをストレスに感じる必要はないが、ただし同博士によるとテレビを観ながらの休憩は効果がないとのことで、あくまで「外界から情報を隔離する」ことが肝心。
大好きな作家の一人である「吉村 昭」さん(1927~2006)の本に出てくる話だが、吉村さんは若い頃、当時は不治の病と言われた「結核」だった時期があり、それも手術を要するほどの重症患者で、長期間、日中でも絶対安静を要したが「意識は覚醒したまま横になって身体を休めておくのも慣れてしまうといいものだ」という記述がある。
自分に言わせると「死んだ方がマシ」ともいえるこうした退屈な時間を、そう思えるような境地になるのはなかなかできないことだと思ったが、吉村さんの作風には他の作家にはない沈着冷静な筆致の中にゆったりとした時間の流れを常々感じていたので、若い頃にそういう貴重な体験が背景にあったのかと頷いたことだった。
実を言うと、自分もときどき不眠症の傾向にあるのだが、これを知ってから、寝付けなくてもあまり苦にならないようになって、逆にこの頃では「外界の情報を遮断して冷静に考えるには1日のうえで最も適した思考の時間」ではないかと思えるようになった。
オーディオに関してアイデアが浮かんだり、ブログに投稿する材料を思いつくのもこの時間帯が多い。
一時期、眠れなくてあれほど焦っていた人間が、今度は逆に不眠の時間をうまく利用するようになる、本当に人間は気持ちの持ちようで随分と変わるものである。
とはいえ、何だかんだと言ってみてもやっぱり熟睡できるのが一番、これも自分の脳が何かと言い訳する結果かもしれない!