「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーディオ談義~「久しぶりのオーディオ訪問」

2011年03月08日 | オーディオ談義

先日、「養老孟司」氏(脳学者、昆虫の大家)と堀江貴文〔元ライブドア社長)氏の「異色の顔合わせ」の対談を読んでいたところ、次のような箇所が。

「昆虫の研究ってキリがないでしょう」

「キリがないからこそ面白いんだよ」

 と、養老氏からの切り返しが即座にあって「我が意を得たり」と思わず頷いてしまった。

まさに「オーディオ」がそうで、これまで40年ほど取り組んできたがいまだに「もっと、いい音」を求めてふらふら彷徨っているのが現状。

「早いとこオーディオを忘れて音楽に専念せねば」と、常に頭の片隅にあるのだが、どうもキリがつかない。

この辺が楽しいところでもあり、苦労するところでもあり~。

さて、キリがつかない我が家のシステムの目下の悩みは「チェロ」の響きがイマイチなこと。

この楽器の帯域〔周波数)はおよそ60ヘルツ~700ヘルツ(ちなみに人間の可聴帯域は20~2万ヘルツ)とされているので、標的は分かりきっている。

この帯域を厚くすればいいだけのことだが
、この対策に実際に取り組むとなると結構難しい。

ちょっと専門的になるがSPユニット「アキシオム80」のカットオフ周波数〔下限)を200ヘルツ前後にしているが、これを100ヘルツ程度まで下げると一気に問題が解決するのだが、肩落ち6dbなのでわずかながらも理論上は25ヘルツくらいまでカバーしてしまう。

この超繊細なユニットにそんな低域を入れてやるとすぐにオシャカである。

一方で低域ユニットのカットオフ周波数〔上限)をもっと伸ばしてやるといいのだが、これでは音が上方に被りすぎてアキシオム本来の良さが引き出せない。

まさにジレンマの世界で悶々としていると、そういう状況を見かねたのだろう、湯布院のAさんから、
「今、Kさん宅のシステムが実にいい音で鳴ってます、一度聴いてみませんか」というお誘いが。

すぐにOKの返事をして、AさんとともにKさん宅へ。

湯布院の中心部の喧騒をちょっと離れた静かな佇まいの地域にお住まいでオーディオには最適な環境。

たしか今回が3回目くらいの訪問だが、以前と比べてシステムが随分と様変わりしていた。

ヤマハの大型スーパーウーファーがあって、クォードのプロ(コンデンサーSP) 、イギリスのスペンドール、村田のスーパー・ツィーターといったSPをSMEのプリアンプ、ゴールドムンドのパワーアンプで駆動してある。

CDシステムは「スチューダー」、レコードはガラードのモーターにオルトフォンのSPUカートリッジの組み合わせ。鳴らす音楽はクラシック一辺倒。

一聴した途端に、苦心惨憺されて現在の音を積み上げられたご様子が充分に伺えて「いやあ、これは素晴らしい音。ここまでうまくまとめた音は滅多に聴けない」と素直に感心。

我が家の弱点を完全無欠に改善したような音でAさんが誘ってくれた真意が改めて分かった。

唐突になるが高級アンプの代名詞「マーク・レヴィンソン」氏が愛用していたシステムは「H・Q・D」システムと呼ばれていた。

すなわち低域にハートレーの低域ユニット〔口径64cm)、中域にクォードのコンデンサーSP 、高域にデッカのリボン・ツィーターで頭文字をとって「H・Q・D」。

この場でもクォードのSPが実に惚れ惚れとする響きだった。中低域の分解能をちゃんと確保した上で過不足のない量感を出している。

「こりゃあ、参ったなあ。とても太刀打ちできない」と正直言って”兜を脱いだ”。

とはいえ、ずっと”押されっ放し”というわけにもいかない。

オーディオの大先達で作家の「五味康祐」さん(作家、故人)の名著「西方の音」の中に、たしか
「他家のシステムを聴くというのは秘かに自分の奥さんと比べているようなもの」という箇所がある。

つまり、よその家の奥さんの魅力に惑わされつつも、結局我が家の奥さんにもそれなりに”いいところ”があると最後は自分に言い聞かせながら帰途につくのだという。まことにメデタシ、メデタシ。

結局、「人間」とは自分が心地よく生きていくために都合のいい解釈をしたがる動物なのだ!

その伝でいくと、やたらに「アラ探し」をされるKさんこそいい”ご迷惑”だろうが、あえて気になったところを二点ほど。

☆ スピーカーがいくつもあるので音像の焦点がぼやけ気味。

音象定位の問題である。この点などはタンノイの同軸ユニットに一日の長があって、再生する音楽にはきちんとステージが出来上がっていて演奏者の足がちゃんと地に着いている印象を受ける。

ただし、欠点もいろいろあるユニットだが、使っている方が多いのでこれ以上は「物言えば唇寒し」~。

☆ 高域の柔らかさが足りない

日頃、真空管アンプで高域を聴き慣れている耳にとってトランジスターアンプで鳴らす高域に、つい違和感を覚えてしまった。

湿り気がないというか、温かみがないというか・・・。

もちろんご本人が満足してあればそれでいいので、好き嫌いの世界だが自分はどうもトランジスター・アンプで鳴らす高域には馴染めそうにない。

これに関連して面白い実験をしてもらった。

飛行機事故で不慮の死を遂げたあの名女流ヴァイオリニスト「ジネット・ヌヴー」の弾くブラームスのヴァイオリン協奏曲(イッセルシュテット指揮)を、CDとレコードで聴き比べという願ってもない試聴。

とにかく、これは名盤中の名盤である。

さすがにこのくらい調整が行き届いているシステムだと、CDとレコードの音質の差がほとんどないのに驚いたが、あえて言わせてもらうと次のとおり。

「CDは低域の分解能と量感が程好くマッチしているものの、高域がやや不自然な響き、その一方、レコードは低域がモヤっとしていてやや甘いが、高域が素直に伸びている」

結局、CDの低域とレコードの高域を組み合わせればベストというわけだが、これまで双方に対して漠然とながらそういう印象を持ってきたので今回確認できたのは収穫。

今のところ、「あえてレコードを復活させる必要はなし、CDの高域に真空管のプリとパワーアンプを組み合わて鳴らせば我が家のシステムでも十分いける」の感を深くした。

結局3時間ほど試聴して辞去したが、Kさんには実にいい勉強をさせてもらったし、こういう機会をつくってくれたAさんにも感謝。

やはり、ときどきは「他流試合をしなければ向上は望めない」と実感しながら帰宅の途についたことだった。

 

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