「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

書く力は、読む力~いい文章とは~

2018年03月24日 | 復刻シリーズ

「上手いか、下手か」は別にして「書くこと」にはあまり苦にならないが、もっと“上手くなりたい”という気持ちは常に持っている。

「自分が考え、伝えたい意味をもっと的確に読者に届けたい」というのがその理由だが、そういう人間にとって格好の本があった。

              

2週間に1度くらいのペースで2か所の図書館通いを続けているがなかなか「これは」という本に出くわさない。もちろん自分の読解力不足も否定できないところだが(笑)、久しぶりに感銘を受けた本に出会った。

著者は現役の高校教師(「国語」)だそうだが、この内容は音楽鑑賞にも十分通用する話なので紹介してみよう。いつものブログよりもちょっと長くなるが最後まで付き合ってくださいね~。

まず冒頭、或る友人女性から著者に対する問いかけが紹介される。

「中学校の卒業式の日、担任の先生が教室でギターの弾き語りをしてくれた。それが「神田川」(1972年、かぐや姫)だった。歌い終わると、最後の歌詞の意味が分かるかとクラスに問いかけ、誰も答えられないのを見て、その男の先生がこういった。

“あと10年もすれば分かる日が来るだろう。これは人生の宿題にしておく。”」

その最後の歌詞とはこうである。

「若かったあの頃 何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが 怖かった」

つまり友人女性から「“貴方のやさしさがナゼ怖かったのか”という意味が今になってもよく分からないから教えてほしい。貴方は国語教師だから分かるでしょう」というわけである。

歌詞の全体を紹介しておかないとフェアではないので、ちょっと長くなるが次のとおり。

「貴方はもう忘れたかしら 赤い手ぬぐいマフラーにして 二人で行った横丁の風呂屋 一緒に出ようねって 言ったのに いつも私が待たされた 洗い髪がしんまで冷えて 小さな石鹸カタカタ鳴った 貴方は私の身体を抱いて 冷たいねって言ったのよ 若かったあの頃 何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが 怖かった


いろんな答えが紹介される。

 あなたから優しくされればされるほど、いつか別れの日が来たとき、つまり、今の幸せが失われたときのショックは逆に大きくなると思って怖くなる、だからそんなに優しくしないで。

これが著者の答えだが、直感に頼り過ぎる読み方として友人女性からあえなく却下される。

次に、歌詞の範囲から導けるぎりぎりの論理的な答えとして

 私を粗末に扱う一方で、優しくもしてくれる貴方。もしかしたら、ほかに好きな人がいるのではないか。その優しさは偽りの優しさなのではないか。そう思うと怖くなる。

ところが、「この答えはあまりにもありふれていて“人生の宿題”にはなりません」と、これも否定される。

とうとう白旗を掲げた著者だが、意外にも同僚の数学教師から次のような解答が導かれる。

 この女性は彼との同棲生活に多少の不安を持っています。悪い人間ではありませんが、理想や夢ばかり追って地に足がついていないような、まあ、男はみなそうですが、そういう人間として彼を見ている。もしかしたら別れることを考えていたのかもしれません。

ところが、彼がときどき見せる優しさに触れると、その決意はたちまち揺らいで、またしても彼の胸の中に包み込まれてしまう。コントロールが利かなくなるのです。

神田川は学園紛争全盛の時代を回顧した歌です。当時は親も教師も警察も怖くはなかった。強く出てきたら強くやり返せばよかった。しかし彼は違います。ここというところで優しく接してくるのです。それは無意識のものでしょうがその優しさを前にすると、彼女は険を削がれ無防備になってしまう。自身が操縦不能になってしまうのです。だから、彼の優しさだけが怖かったのです。」

模範解答があるわけではないが、“大人の知恵が盛り込まれている”この解釈こそが正しいと著者は確信する。この新解釈を友人女性に告げると、大いに納得した様子だったが、こうも言った。

「ほんとうは作者に正解が聞けるといいんだけどね」

実はここからがこのブログのポイントになるのだが、著者に言わせると「それはちょっと違う!」

「作者に正解を聞いてもあまり期待できません。理由は簡単です。作者が自分の思いを正確に表現できているとは限らないからです。正解は作者の頭の中にあるのではなく表現の中にこそあります。問うべきは書き手はどういうつもりで書いたかではなく、どう読めるかです。“読み”は文字どおり読み手が主導するものなのです。」

まさに、これはクラシック音楽にも十分通用する話ではあるまいか。

古来、作曲家が残した「楽譜」の解釈をめぐって沢山の指揮者や演奏家たちが独自の読みを行ってきた。たとえば同じ「運命」(ベートーヴェン)をとってみても星の数ほど演奏の違いがあり、演奏時間だって長いのから短いのまで千差万別である。

「いったいどの演奏が正しいことやら。さぞかしベートーヴェンが生きていたらぜひ訊いてみたいものだが」と思ったことのあるクラシックファンはきっと“ごまんと”いるに違いない。

今になってみると、楽譜は作曲家の手を離れて独り歩きをしていることが分かる。いろんな「読み方」があっても当然で、どれが正しいとか正しくないとか、それは鑑賞者自身の手に委ねられているのだ。

卑近な例だが、いつぞやのブログでも紹介したように「吉田拓郎」が作曲した「襟裳岬」が作曲家のイメージとはまったくかけ離れた形で歌手の「森進一」用に編曲されたが、初めはその変わり様にビックリしたものの、そのうちこれはこれで自分の意図した「襟裳岬」ではないかと思うようになった、というのがこのことをよく物語っている。

地下に眠っている大作曲家たちも現代の数ある演奏の中には自分の意図しない演奏があったりしてさぞやビックリしていることだろうが、おそらく全否定まではしないような気がするがどうだろうか。

最後に本書の中で、「いい文章」というのが紹介してあった。ちょっと長くなるが紹介しよう。

「1943年初め、中国戦線に展開していた支那派遣軍工兵第116連隊の私たちの小隊に、武岡吉平という少尉が隊長として赴任した。早稲田大理工科から工兵学校を出たインテリ少尉は、教範通りの生真面目な統率で、号令たるや、まるで迫力がない。

工兵の任務は各種土木作業が主であり、力があって気の荒い兵が多い。統率する少尉の心労は目に見えていた。1944年夏、湘桂作戦の衛陽の戦いで、敵のトーチカ爆破の命令が我が小隊に下った。生きて帰れぬ決死隊である。指揮官は部下に命じればよいのだが、武岡少尉は自ら任を買い、兵4人を連れて出て行った。やがて大きな爆発音がした。突撃する歩兵の喚声が聞えた。爆発は成功したのだ。

決死隊5人は帰ったが、少尉だけが片耳を飛ばされ顔面血まみれだった。なんと少尉が先頭を走っていたという。戦後30年たった戦友会で武岡少尉に再会した。戦中と同じ誠実な顔をされていた。大手製鉄会社で活躍、常務となって間もなく亡くなった。」

さて、これがなぜ「いい文章」なのか、分かる方は相当の「読み手」といっていい。

解答から言うと「書かずともよいことを、ちゃんと書かずにいるからいい」のだそうだ。

たとえば、「なんと、少尉が先頭を走っていたという。」のあとに何もない。結びの部分にも「戦中と同じ誠実な顔をされていた。」とあるだけで、余計な賛辞がない。

つまり
「書くことよりも書かないことの方が難しい。」

このパラドックスを前にして、しばし考え込んでしまった。

どうやら「読み手が想像の世界に遊ぶ余地を残している膨らみのある文章こそいい文章」
のようである。(201頁)

しかし、こればかりは「書く力」と「読む力」の共同作業になるので簡単なことのように見えてとても難しい。少なくとも自分には無理だなあ(笑)~。



 

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