「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「エフゲニー・キーシン」自伝

2022年10月24日 | 音楽談義

「エフゲニー・キーシン」(ロシア:1971年~ )といえば、泣く子も黙るほどの大ピアニストだが、8年前(2014年)の記事「指揮者カラヤンが涙した唯一の演奏家」をご記憶だろうか。

その記事の中で「クラシカ・ジャパン」(CS:クラシック専門放送)
の「カラヤン特集」を視聴して次のように記していた。

「たとえば当時一世を風靡したヤノヴィッツ(ソプラノ、魔笛の王女役)やルートヴィッヒ(メゾソプラノ、大地の歌)など、高齢にもかかわらず元気な姿で登場してきて実に懐かしかったが、とりわけ興味を惹かれたのが番組中程の娘さんの次の言葉だった。

「父の涙を一度だけ見たことがあります。ザルツブルグでキーシンの演奏を聴いた父はとても感動していました。」(曲目はチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番。指揮「カラヤン」、ピアノ「キーシン」、オーケストラ「ベルリン・フィルハーモニー」)

キーシンは当時のことを番組の中で次のように語っている。

「カラヤンと握手したら小柄な人なのに手はとても大きくみえました。そして体はとても“きゃしゃ”なのに握手は力強いものでした。彼が黒いメガネの奥から刺すような視線で私を見ているのを感じました。演奏の後、彼は無言でした。私が彼と皆の方へ数歩近づくと彼は私に投げキスを、そしてメガネを外し目をハンカチで拭いたのです。」

ところが・・。



このほど本書を読む機会があったのでざっと目を通したところ、どうやら(カラヤンの)娘さんの記憶違いのようで真相は次のとおりだった。(127頁)

「私はその時ショパンの幻想曲を弾いた。弾き終えると静寂が立ち込めた。私は立ち上がり、皆の方を振り向いて数歩進んだ。

突然、カラヤンが私に投げキッスをした。さらに近寄るとカラヤンの顔にサングラスはなかった。巨匠はハンカチで目をぬぐっていた・・。そのときの自分の状態をどんなに努力しても言葉で表すことはできない。

それから、リストの狂詩曲、シチリアーノ(バッハ)、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番フィナーレの冒頭を演奏した。

カラヤン夫人が「連れ添って30年になりますがこれほど感激している夫を見るのははじめてです」と言った。

カラヤンは私の母と握手しながら、私を示して英語で「天才だ」と言った。私にはかってこういう日があった・・。これまでの人生でもっとも忘れがたく貴重だといえる日が・・。

ということでした。

実を言うと本書の中で期待していたのは、キーシンほどのピアニストがなぜいまだに(自分の)大好きなモーツァルトの「ピアノソナタ」全曲録音をしないのか、その理由が明らかにされているかもしれないということだった。

もし、録音してくれれば「グールド」「ピリス」に続いて愛聴盤が出来そうな気配なのだが結局、その点についての言及はなかった。

折角なので、ほかにめぼしい記事を羅列しておこう。

★ 私がピアニストとして評価しているのは「ラドゥ・ルプー」「マレイ・ペライア」「シフ・アンドラーシュ」「クリスティアン・ツィマーマン」だ。バレンボイム演奏によるバッハのゴールドベルク変奏曲の録音にも触れないわけにはいかない。

いつだったか、グレン・グールドが弾くゴールドベルク変奏曲のビデオ録画(グールド最後の録画だ)を見て以来、私は長いこと、今後誰ひとり同じ水準に達することはできまいと確信していた。この作品を弾こうという気さえまったく起こさなかったほどだ。それがバレンボイムの録音を聴いたとき、またしても確信した。

芸術には限界がない、あり得ないのだ、と。(197頁)

★ 好きな作曲家は誰かという質問に、いつも偽りなく「選り好みしないのでひとりどころか2~3人選ぶことさえできない。ただしバッハはほかのすべての作曲家とは別格だ」と答えてきた。

とはいえ、あるとき作曲家の作品について好きな楽曲数と私が曲に対して感じる親密さの度合いを基準にして自分が好きな5人を仮に判定してみた。

結果は「バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、ブラームスだった。(211頁)

以上のとおりだが、やはり幾多の作曲家の中で「バッハ」は別格扱いみたいですね~。

「バッハ」が好きな方に妬み心が起きそう(笑)。




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