前回からの続きです。
気に入ったはずの「音」なのに、長時間聴いていると何となく疲れてくるのはいったいなぜ?
たとえば、一つの事象として(無意識のうちに)オーディオシステムのスイッチを再度入れるのが億劫になるようなときがそれ。
答えは三つあって、聴く側の「脳」(精神も含む)の状態がおかしいとき、さらには音を出す側つまりシステムに問題があるとき、そしてこの二つが微妙に絡み合ったときのいずれかとなる。
言い換えると、「疲れる音」というのはシステムから「耳障りな音」が出ており意識下で「脳」が勝手に拒否反応を起こしている可能性が大いにありそうだ。
肝心のご本人は、つくづく「ええ音やなあ!」と悦に入っているのにね~(笑)。
このことに関して実に興味深い本がある。
「超自然なオーディオハイファイ音の第一歩」(著者:大熊三郎氏)である。
本書の15頁に次のような記述がある。
「人の耳には常に外界から種々様々な音が耳に入っている筈である。しかし、我々はそれを意識することなしに生活している。
この無意識下にある音の中に、その人の意に合わない音、つまり、排除したくなるような音を常時聞かされていると、人間の脳の中で排除する努力が常時行われる。
本人は意識していないから、結果として、あとから、あとから、と容赦なく精神的圧力が加えられるため、無意識のうちに、疲れを覚えてくる。これが”聞き疲れ”の正体である。
諸先輩の中には、”聞き疲れ”の背景も考慮せずに、オーディ機器について「高音のレベルが上がっている、すなわち聞き疲れする」というように、物事を短絡し、簡単に考えている方がいる。」
以上のとおりで、成る程と素直に頷けると思っているが、「排除したくなる音」の正体が何せ意識下のことだから分からないので厄介である。
敷衍すると、「自然の音」(コンサートなどの生の音を含む)に比べて、「電気回路」を通した人工的な音は耳(脳)を疲れさせる何らかの歪みや音響のアンバランス(低音と高音の比率など)があると思ってよさそうだ。
どんなに高価で優れたシステムでも例外なくその運命を逃れ得ない。
そもそもオーディオシステムの目指すものは「原音の再生」に尽きるわけだが、どんなに狙ってみても所詮は「生の音」に届かない虚しさを味わうのも一興と思っておけば無難ですかね(笑)。
となると「疲れる音」の程度の差こそあれ、家庭で音楽を2~3時間ほど聴いたら脳を休めるために「スイッチオフ」するのが一番の方策のような気がする。
いずれにしても「疲れる音」か、そうでないか、その判断の根拠が前述のように「システムのスイッチを嬉々として入れたくなるかどうか」という心理現象に求められるところが興味深い。
読者におかれても体調不良以外にオーディオシステムのスイッチから何となく”遠ざかりたい気分”(飽いてくるも含む)になっているときは「疲れる音」になっている可能性があるので要注意ですよ~。
とはいえ、以上はあくまでも個人的な意見に過ぎないし、所詮は「要らん世話」ですけどね(笑)。