「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーディオ談義~「いい音の基準は疲れない音」~

2012年04月03日 | オーディオ談義

オーディオマニアとは1日のうちでどのくらいの時間、システムのスイッチを入れておくものだろうか。

これは会社などに勤めている人、あるいは自由業、さらには現役を引退してたっぷりと時間がある人など、置かれた環境によって様々だろう。

たとえば前者の場合、土曜、日曜などの休日は別にして、平日の夜のうちのせいぜい3~4時間程度充てることができれば上出来だろうし、一方、後者の場合ともなるととても大きな時間が割り当てられることになる。

自分の場合で言えば、早朝5時頃に起床してすぐにテレビ番組試聴にセレクトしてスイッチオン。朝食や朝風呂に入っている間もつけっぱなしで、9時頃に運動ジムに出かけるときに、ようやくスイッチオフ。これで4時間。

10時半ごろに帰宅してまたもやスイッチオン。昼食をはさんでNTTの「光TV」で「麻雀番組」や録画などを観ながら14時半ごろにスイッチオフして自宅の周辺をウォーキング。これも4時間。

16時ごろに再び、スイッチオン。夕食をはさんで音楽鑑賞に浸りながら21時ごろに就寝するときになって、ようやく「おやすみなさい」とスイッチオフ。これは5時間。

こうして、日によって多少の波はあるもののスイッチオンの時間を通算してみると少なくとも1日10時間程度にはなる!

一つのシステムだけでこんなことをやっていると、早晩、故障の憂き目を見るのは火を見るより明らかだが、なにせ二つのシステムを交互に使い分けしているので大いに助かっているものの、それにしてもシステムの真空管がかなり悲鳴を上げていることは間違いない。

余談になるがつい先日、懇意にしている電気屋さんが太陽光発電システムの売り込みにやってきた。その話によると普通、二人暮らしの家庭は1か月の電気代がせいぜい12,000円程度というのだが、我が家の場合は、それをはるかに上回っており、「この分なら太陽光発電の初期投資を回収するのに十分採算が取れますよ」と熱心に勧められた。

「我が家の電気代と他家との比較はカミさんには内緒にしておいてね」と、そっと耳打ちしながら、前向きに検討することを約束したが、相変わらず「内なる敵」はオーディオにとって強敵なのである。

話は戻って、とにかくこれだけの時間をオーディオに利用していると、「うらやましい」と思う方がいるかもしれないが、その反面、ときにシステムのスイッチを入れるのにどうも気が進まないことだってときどきあるのが実状である。

そういうケースとしては、まず病気などで体調がすぐれないときで、とても「音楽」どころではないし、こういうときはマイペースでいける読書の方がはるかによろしい。次に何らかの理由により十分に睡眠がとれないときなども頭の回転が鈍くなるし、気分も重たくてそれどころではない。

ところが、体調もいいし、睡眠不足でもないときでも、一度聞いた後にある程度の時間を経て再びシステムのスイッチを入れようとしても何だか億劫に感じるときがある。なぜか”そういう気”にならないのだから不思議。

結局、「音」は「鼓膜の振動」を通じて脳で聴く(情報処理する)ものなので、脳自体が疲れているのだろうとおよそ推測がつく。

しかし、「脳がなぜ疲れるのだろう?」と考えるうちに、これはシステムの方に明らかに問題がある、そう、再び喜んで聴く気にさせてくれないような耳障りな音を出しているに違いないと、ようやく最近気が付いた。

長年、オーディオをやってきて今頃気づくなんてかなり鈍感である。

とはいえ、少なくとも自分では「いい音」だと判断している一方で、脳の方が意識下で勝手に拒否反応を示すなんて、そういうことが現実にあり得るんだろうか。

つまり、意識上にある「判断」と意識下にある「脳」とのアンバランス。こういう厄介な問題があるからオーディオは難しい。

「直感は誤たない、誤るのは判断だ」と言ったのは文豪ゲーテだが、「直観」とは広辞苑によると「説明や証明を経ないで、物事の真相を心でただちに感じ知ること」とある。いわば感覚的な世界。


このことに関して実に興味深い本がある。「超自然なオーディオハイファイ音の第一歩」(著者:大熊三郎氏、1998.8.31)である。

                             

本書の15頁に次のような記述がある。

「人の耳には常に外界から種々様々な音が耳に入っている筈である。しかし、我々はそれを意識することなしに生活している。この無意識下にある音の中に、その人の意に合わない音、つまり、排除したくなるような音を常時聞かされていると、人間の脳の中で排除する努力が常時行われる。本人は意識していないから、結果として、あとから、あとから、と容赦なく精神的圧力が加えられるため、無意識のうちに、疲れを覚えてくる。これが”聞き疲れ”の正体である。

諸先輩の中には、”聞き疲れ”の背景も考慮せずに、オーディ機器について「高音のレベルが上がっている、すなわち聞き疲れする」というように、物事を短絡し、簡単に考えている方がいる。」

後段はちょっと余計だが、往々にして「聞き疲れ」と「高域の出過ぎ」を直接結び付けて考える傾向があるのであえて記載してみた。

さて、我が家の場合の”聞き疲れ”の正体だが具体的に言うと、第二システムのJBLの3ウェイシステムの3つのユニットのバランスが該当しているのだが、何せマルチ・チャンネルなので駆動するアンプが3台もあって”いじる”ところがやたらに多いものの、ボリュームのレベルを適正に調整したり、クロス付近のコンデンサーをマイカコンデンサーに変えたり、アンプの真空管の銘柄を替えたりしてどうやら”大過なき”を得ているのが実状。

とにかく、我が家のように長時間聴く場合は「いい音の基準は疲れない音」にならざるを得ないが、その判断の根拠はシステムのスイッチへの距離感というアナログ的というかきわめて心理的かつ抽象的な事象に求めているというわけ。

いわば意識下にある現象が”頼り”となっているものの、一方では物理学の粋ともいえるオーディオ機器との対比が実に面白いが、皆さんの場合も体調不良以外にオーディオシステムのスイッチから何となく”遠ざかりたい気分”になっているときは「疲れる音」になっている可能性があるので要注意である。

 


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