ようやく43セットの魔笛の試聴が全て終了した。CD盤、DVD盤、CDライブ盤と3種類あるがいずれを選択するかはそれぞれ一長一短で好みの差だろう。
音質重視派はCD盤、映像重視派はもちろんDVD盤、生の演奏会派はCDライブ盤というところだろうか。自分の場合はもちろんCD盤である。
さて、締めくくりの意味で改めて魔笛の魅力を振り返ってみたい。
モーツァルトは余程このオペラに共感したのだろうか、台本の作者シカネーダーとの友情もあったと思うが作曲家として最晩年の創作力が最も充実した絶頂期の6ヶ月間(1791年3月~9月:一時中断もあった)もの長期間をかけて、それも夢中になって専念しているが、その成果は期待にたがわぬものだった。
約2時間半に亘って天国的な名曲が次から次へと展開される。洪水のように押し寄せるアリア、重唱、合唱とレチタティーヴォ(歌うより語る方に重点を置く唱法)、しかもその歌詞と絶妙の旋律が見事に織りなす豊かなオーケストレーションの展開。
まるでモーツァルトがこれまで生きてきた証として持っているあらゆる要素を詰めこんだ集大成のような作品であり、魔笛が音楽史に輝く傑作と評されるのも当然かもしれない。
モーツァルト自身も魔笛には最後まで心を残したようで、「モーツァルト魔法のオペラ」(2005年6月20日発行、アニー・パラディ著、白水社刊)415頁によると次のとおり。
「死の前日にも、彼は妻に僕の魔笛をもう一度聴きたいなあと言っていた。そしてほとんど聞き取れない声で第一幕の”鳥刺しのアリア”を口ずさんだ。そこで、枕元にいたローザー氏は立ち上がり、ピアノに向かい、この歌を歌うと、モーツァルトは明らかに喜びの表情を浮かべた。」
あのベートーベンも魔笛をモーツァルトの最高傑作としており、心酔して「魔笛の主題による12の変奏曲」を作曲し献じている。
とりわけ、魅了されるのは楽しい「人間讃歌」(2006年12月放映NHK・ハイビジョン「毎日モーツァルト」から引用)でありながら、このオペラの底流に澄み切った秋の空のような何ともいえない清々しい晴朗さのようなものを感じるのである。
これは人によっていろんな受け止め方があり、あの文豪スタンダールはこの感覚を「疾走する悲しみ」と呼んでいるようだが、何だか潔い諦念ともいえる感覚に近いものを覚える。
何だか青くさい表現になるが、人間の存在の卑小さ、生命のはかなさなどが暗示されているかのようであり、魔笛に「はまる」か「はまらない」か、人によってわりと好き嫌いがはっきりと分かれる境界線が、本人が意識するしないは別としてどうもこの辺の感覚にありそうな気がしている。
自分は「はまった」方のクチであり、魔笛の音楽に無常観を覚えてしまって、縁起でもないがかねがね身体の自由が利かなくなったときにはラジカセでもいいから枕元で魔笛を鳴らしてくれと家人に言い渡してある。
ベーム盤(1955年)、サバリッシュ盤(1972年)、ハイティンク盤(1981年)、デービス盤(1984年)のいずれかであれば思い残すことがなさそうである。
これから魔笛のどんな名盤が出てくるのか楽しみの一つだが、タミーノ役のテノール歌手が枯渇気味なのでやや期待薄である。
しかし、映画としてケネス・ブラナー監督による「魔笛」が完成し2007年7月に日本公開との情報がネットで飛び込んできた。
ケネス・ブラナーはイギリス出身でシェイクスピア俳優としても有名である。果たして音楽と映像の融合にどんな手腕を見せてくれるのだろうか。