毎日新聞 2015年11月22日 地方版
金田一京助が差し出した封書
金田一京助(きんだいちきょうすけ)(1882〜1971年)言語学者、盛岡市出身。
アイヌの金田一、金田一のアイヌと言われるアイヌ語研究の第一人者。
昭和30年ごろ、私は徳島駅前にあった農業会館で彼の講演を聞いた。内容は忘れたが、小柄な人で熱心に話されたことは覚えている。
「北の人」(1942年5月1日青磁社発行、B6判、本文301ページ。特製本50部限定、非売品)は、彼の随筆第一集である。この本は著者自ら発送しており、もちろん封筒も手書きである。
彼ほどの人でも書名には迷ったようだ。はじめ「北島遍路」とし、やがて「盲詩人」で予告した。しかし、柳田国男に題箋を依頼すると「北の人」と書いてきたので、それを書名とした。
金田一は07年、東京帝国大言語学科卒業。28年助教授となり、41年教授に昇進。国学院大教授も務めた。
在学中からアイヌの言葉、文化、民俗の研究に没頭。代表作「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」で学士院恩賜賞受賞、54年に文化勲章を受ける。
同郷の石川啄木とも親交があった。和歌も上手で著書も多い。編者とする辞書も多い。子息の金田一春彦は言語学者として知られる。(徳島民俗学会会長・エッセイスト、湯浅良幸)
http://mainichi.jp/feature/news/20151122ddlk36070327000c.html
金田一京助が差し出した封書
金田一京助(きんだいちきょうすけ)(1882〜1971年)言語学者、盛岡市出身。
アイヌの金田一、金田一のアイヌと言われるアイヌ語研究の第一人者。
昭和30年ごろ、私は徳島駅前にあった農業会館で彼の講演を聞いた。内容は忘れたが、小柄な人で熱心に話されたことは覚えている。
「北の人」(1942年5月1日青磁社発行、B6判、本文301ページ。特製本50部限定、非売品)は、彼の随筆第一集である。この本は著者自ら発送しており、もちろん封筒も手書きである。
彼ほどの人でも書名には迷ったようだ。はじめ「北島遍路」とし、やがて「盲詩人」で予告した。しかし、柳田国男に題箋を依頼すると「北の人」と書いてきたので、それを書名とした。
金田一は07年、東京帝国大言語学科卒業。28年助教授となり、41年教授に昇進。国学院大教授も務めた。
在学中からアイヌの言葉、文化、民俗の研究に没頭。代表作「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」で学士院恩賜賞受賞、54年に文化勲章を受ける。
同郷の石川啄木とも親交があった。和歌も上手で著書も多い。編者とする辞書も多い。子息の金田一春彦は言語学者として知られる。(徳島民俗学会会長・エッセイスト、湯浅良幸)
http://mainichi.jp/feature/news/20151122ddlk36070327000c.html