サーチナ 2011/08/25(木)
尖閣諸島の久場島北北東で24日、中国の漁業監視船2隻が日本領海内に侵入し、日本が中国に抗議した件で、中国のインターネットでは日本に反発する書き込みが相次いだ。
■尖閣諸島問題 - サーチナ・トピックス
中国では「釣魚島(尖閣諸島)は古くからの自国領。日本に奪われた」と考える人が圧倒的に多く、疑問を感じているとしても意見発表は極めて難しい。
中国の漁業監視船の日本領海への侵入、日本側の抗議、中国政府の「釣魚島は自国領。漁業監視船の巡視は当然の活動」との見解表明など一連の報道を受け、日本に反発する声があらためて高まった。
「愛国論調」を“売り物”にする環球網には「軍艦2隻を常駐させよ。(日本の)抗議など構うな」、「中国側がやっと強気になった。うれしいぞ」、「日本も抗議ができるんだな」、「核兵器打ち込めば問題解決」などのコメントが並んだ。
中国では「沖縄も本来は中国領」との考えが強く、「琉球(りゅうきゅう)群島を取り戻せ」、「日本が持てるのは(北海道、本州、四国、九州の)4島だけ。残りの島は戦勝国の言い分による。琉球は中国に復帰させよ。独立でもよい」などの書き込みも目立つ。
**********
◆解説◆
中国人は、かつて「中華皇帝」に対して朝貢を行っていた地域すべてを「本来は自国領」と考える傾向がある。朝貢とは、「中華皇帝」の権威と、全世界を統治する「潜在的権利」を認めるもので、中華皇帝の実質的な支配を意味するものではなかった
中国の周辺地域の統治者の多くは、中国に朝貢すれば自らの統治の「正当性」を認められ、経済面などでも便宜を図ってもらえるので、進んで朝貢した。現在で言えば、韓国/北朝鮮、ベトナム、チベット、沖縄などが中国に朝貢を続けた。
沖縄は「琉球王国」として実質的に独立した存在だったが、江戸時代初期に薩摩藩が侵攻して服属させた。しかしその後も中国に対して朝貢を続けた。
明治維新以降、日本政府は琉球王国の「名義上の二重所属」という状態を解消し、国際法上も自国領と認められる動きを続けた。1871年に台湾に漂着した琉球人が殺害された。日本政府は清(しん)国に抗議したが、清国政府は「台湾原住民にまで統治が及ばない」などと説明したので、日本は「ならば、自国で解決する」と回答して台湾に出兵。大久保利通は日本の出兵と台湾占拠にあわてた清国政府との交渉で琉球人を日本人と認めさせ、賠償金を得ることに成功した。日本が「台湾人は中国国民、琉球人は日本国民」との解釈を、中国政府に認めさせたことになる。
日清戦争の結果、清国は台湾を日本に「割譲」、沖縄(琉球)についてはあらためて「日本の主権を認める」ことになった。
中国の古い歴史書では沖縄が「大琉球」、台湾は「小琉球」と書かれている場合がある。中華を中心とした「文明化の度合い」を大小で表現したと考えられている。台湾については、先住民以外に中国人が本格的に住みだしたのは明朝期。台湾を支配したオランダ人が、労働力として福建省などから中国人を入れた。明朝の臣として清朝に抵抗した鄭成功がオランダ人から台湾を奪取し、後に清朝が支配することになった。台湾先住民が中華皇帝に「朝貢」したことはない。(編集担当:如月隼人)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0825&f=politics_0825_007.shtml
尖閣諸島の久場島北北東で24日、中国の漁業監視船2隻が日本領海内に侵入し、日本が中国に抗議した件で、中国のインターネットでは日本に反発する書き込みが相次いだ。
■尖閣諸島問題 - サーチナ・トピックス
中国では「釣魚島(尖閣諸島)は古くからの自国領。日本に奪われた」と考える人が圧倒的に多く、疑問を感じているとしても意見発表は極めて難しい。
中国の漁業監視船の日本領海への侵入、日本側の抗議、中国政府の「釣魚島は自国領。漁業監視船の巡視は当然の活動」との見解表明など一連の報道を受け、日本に反発する声があらためて高まった。
「愛国論調」を“売り物”にする環球網には「軍艦2隻を常駐させよ。(日本の)抗議など構うな」、「中国側がやっと強気になった。うれしいぞ」、「日本も抗議ができるんだな」、「核兵器打ち込めば問題解決」などのコメントが並んだ。
中国では「沖縄も本来は中国領」との考えが強く、「琉球(りゅうきゅう)群島を取り戻せ」、「日本が持てるのは(北海道、本州、四国、九州の)4島だけ。残りの島は戦勝国の言い分による。琉球は中国に復帰させよ。独立でもよい」などの書き込みも目立つ。
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◆解説◆
中国人は、かつて「中華皇帝」に対して朝貢を行っていた地域すべてを「本来は自国領」と考える傾向がある。朝貢とは、「中華皇帝」の権威と、全世界を統治する「潜在的権利」を認めるもので、中華皇帝の実質的な支配を意味するものではなかった
中国の周辺地域の統治者の多くは、中国に朝貢すれば自らの統治の「正当性」を認められ、経済面などでも便宜を図ってもらえるので、進んで朝貢した。現在で言えば、韓国/北朝鮮、ベトナム、チベット、沖縄などが中国に朝貢を続けた。
沖縄は「琉球王国」として実質的に独立した存在だったが、江戸時代初期に薩摩藩が侵攻して服属させた。しかしその後も中国に対して朝貢を続けた。
明治維新以降、日本政府は琉球王国の「名義上の二重所属」という状態を解消し、国際法上も自国領と認められる動きを続けた。1871年に台湾に漂着した琉球人が殺害された。日本政府は清(しん)国に抗議したが、清国政府は「台湾原住民にまで統治が及ばない」などと説明したので、日本は「ならば、自国で解決する」と回答して台湾に出兵。大久保利通は日本の出兵と台湾占拠にあわてた清国政府との交渉で琉球人を日本人と認めさせ、賠償金を得ることに成功した。日本が「台湾人は中国国民、琉球人は日本国民」との解釈を、中国政府に認めさせたことになる。
日清戦争の結果、清国は台湾を日本に「割譲」、沖縄(琉球)についてはあらためて「日本の主権を認める」ことになった。
中国の古い歴史書では沖縄が「大琉球」、台湾は「小琉球」と書かれている場合がある。中華を中心とした「文明化の度合い」を大小で表現したと考えられている。台湾については、先住民以外に中国人が本格的に住みだしたのは明朝期。台湾を支配したオランダ人が、労働力として福建省などから中国人を入れた。明朝の臣として清朝に抵抗した鄭成功がオランダ人から台湾を奪取し、後に清朝が支配することになった。台湾先住民が中華皇帝に「朝貢」したことはない。(編集担当:如月隼人)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0825&f=politics_0825_007.shtml