ニッポンコム 2020.09.18
一青 妙 【Profile】
佐藤春夫はトラブルに満ちた日本での生活から逃げ出すように、1920年6月、日本統治下の台湾へ向かった。わずか3カ月あまりの旅が、当時新進作家にすぎなかった佐藤春夫に与えたインスピレーションは大きかった。台湾の経験を持ち帰った佐藤春夫は、台湾を舞台にした作品を次々と生み出し、昭和前半を代表する文豪へ成長するきっかけになった。そんな佐藤春夫の台湾体験が詰まった一冊が刊行された。
台湾人から教えられた「佐藤春夫」
「妙,妳知道佐藤春夫來過台南寫了一篇台南的小說嗎?(妙さん、佐藤春夫が台南に来て、台南の小説を書いたことを知っていますか?)」
今から4年ほど前、台南を訪れていたある日のことだ。大正から昭和30年年代にかけて活躍をした日本を代表する作家・佐藤春夫の台湾に関する作品について初めて耳にしたのは、日本人からではなく、台湾人の口からだった。
日本に戻り、教えてもらった作品『女誡扇綺譚』を取り寄せた。
安平、鄭成功、赤嵌城址……。大好きな街の台南と関係のある単語が次々と文中に現れ、ぐいぐいと引き込まれた。一方、「禿頭港」「女誡」など、初めて目にする言葉もあった。調べてみると、禿頭港は後に佛頭港と改められ、その昔、台南市街から安平に流れ込んでいた商用運河のことだった。女誡は女性が守るべきいましめのことだとわかり、ますます興味深く読み込んだことを覚えている。
台湾では、2016年以降、日本の文豪として続々と佐藤春夫の作品が翻訳出版され、今年も恋の世界を描いた『殉情詩集』などを収録した本が刊行されるほど人気が高い。
3カ月の旅、8本の作品
なぜ佐藤春夫の作品に台湾の読者が惹かれるのか。それまでずっと不思議に思ってきた疑問の答えを、本書を読んで見つけることができた。
佐藤春夫が初めて台湾の地を踏んだのは日本人が台湾で“内地人”と呼ばれていた1920年だ。私生活に息が詰まり、筆が進まなくなっていた時期に、台湾で歯科医院を開業した中学時代の友人の誘いを受けた。日本から麻の着物を身に纏い、マラリア用のキニーネを持ち、日台航路で基隆港に着いた。
7月の台湾の暑さに絶句しながらも、基隆から高尾、台南、嘉義、霧社、北港などを巡り、約3カ月の台湾旅行と生活を堪能した末、本書に収められた計8編の物語が誕生する。
そのなかで表題の一作、『女誡扇綺譚』は前述の通り、台南が舞台だ。主人公は日本人新聞記者の「私」。「私」とその友人で台湾人の詩人「世外民」のふたりが、台南の廃屋で遭遇した姿の見えない「声」だけの女性を探すミステリー仕立となっている。
台湾人の気質を「台湾人の古い人には男にも女にも、欧州人などと同じく演劇的な誇張の巧みな表現術がある」と描写していたところに共感した。父親が台湾人だった由縁で、まとまった幼少期を台湾で過ごし、台湾人に囲まれて生活をした私も、そう感じていたからだ。ほかにも、中国大陸の泉州や漳州から多くの人々が渡ってきた台湾人のルーツや信心深いことなども描かれており、佐藤春夫の台湾社会の風習や文化への深い理解をうかがわせる。
先住民社会の現実
埔里から霧社、能高山などを巡った際のことが記述されている『霧社』は、日本統治下の台湾で「蕃人」と呼ばれてきた先住民の暮らしぶりと境遇を織り込んで描かれた物語だ。
台湾には、日本が台湾を統治する以前から、ブヌン族やアミ族、タイヤル族など、山岳地帯を中心に暮らしていた先住民族がいた。彼らの一部は日本人による支配に激しく抵抗したため、日本政府は抑え込もうと理藩政策を実施し、教育の普及を進めて日本語で計算や漢字の勉強を教えた。先住民である自分の名前を「オハナチャン」と呼ぶ者や、片言の日本語を覚えた少女が「フタリ一円五十銭ヨ。ヒトリ一円」などと、内地人相手に売春まがいの行動を取るような場面があり、作者が垣間見たリアルな先住民社会の現実が読み取れる。
収録された8編の物語のうち、私が特に気に入ったのは『蝗(いなご)の大旅行』だ。6ページという超短編の作品だが、他の7編は全て人対人の会話であるのに対し、主人公の「僕」が昆虫の「蝗」と対話する設定が面白い。
嘉義あたりから彰化の二八水駅(現・二水駅)までの汽車で、「僕」の真向かいに座ったのが「蝗」。この小さな同行者との旅物語を筆者は“本当の童話”と断って綴っている。筆者自身が童心に返り、明るくて軽い気持ちになっていることが随所に散りばめられているが、結末は「蝗君。大旅行家。ではさようなら。用心し給え——『途中でいたずらっ子につかまってその美しい脚をもがれないように。失敬。』」と締めくくり、何かグリム童話のような残酷さも漂っている。
緻密な風景や建物の描写
それにしても、3カ月ほどの台湾旅行でこれだけの物語を編み出せたのは、よほど台湾が筆者に新しいインスピレーションを残したからに違いない。
特記すべきは、どの物語でも、建造物や風景の描写が緻密であることだ。読者はたちまちその世界へと想像を広げ、実際に訪れた気分になれる。佐藤春夫自身が「女誡扇綺譚の建物や安平の風景は実景のつもりである。その他は中部地方での見聞きに空想を雑えて作った」と書く通り、旅紀行物語として溢れ出すほどの情報が詰まっており、現実と物語の境界線がわからなくなるほど写実的だ。
私は、台湾で幼少期を過ごし、記憶のなかの「台湾」を持っている。佐藤春夫が織りなす物語から、自分の中に眠っていた40年前の台湾の記憶がみずみずしく蘇った。廃墟と榕樹が似合う街。虹、鳥、花……。台湾の景色や空気感などは、幾年月が経とうとも、今も昔もあまり変わっていないことを本書から教わった。
新型コロナウイルスの影響で、これまで何の足枷もなく往来できた台湾が一気に遠くなった。台湾好きの日本人は「台湾ロス」に陥っている。私も間違いなくそのうちのひとりだ。だからこそ、佐藤春夫の台湾作品に一層引きつけられる。
台湾旅行から百年、台湾では展示も
今年、台南の台湾文学館にて「百年之遇——佐藤春夫1920台湾旅行文学展」が開かれている。今を生きる台湾人が、100年前の日本人の目を通し、どのように描かれているかに注目が集まっているそうだが、心配無用だと思う。
なぜならば、台湾人ならなおさら、作者の描く台湾の往時の姿に自分たちが暮らす現在の台湾を重ね、ノスタルジーにかられるからだ。100年前の佐藤春夫が感じた台湾を、台湾の人たちも受け入れるに違いない。
本書では、佐藤春夫を研究してきた実践女子大学文学部の河野龍也教授が作品の選定を行い、解説を寄せている。この解説を読めば、さらに佐藤春夫が台湾に渡った時代背景が浮き彫りとなるだろう。各物語の扉絵のモノクロ写真が、各作品をより立体的に増幅させる一助となっている。
再び台湾を訪れることが叶うときには、本書を片手に、舞台となった場所を見つけたり、あれこれと想像したりしながら、佐藤春夫の足跡をぜひ辿りたい。それまでは、100年前の記述を頼りに、脳内で台湾の余韻に浸ろう。
佐藤春夫台湾小説集『女誡扇綺譚』
佐藤春夫(著)
発行:中央公論新社
文庫判:320ページ
価格:1000円(税別)
発行日:8月21日
ISBN:978-4-12-206917-6
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/bg900205/
一青 妙 【Profile】
佐藤春夫はトラブルに満ちた日本での生活から逃げ出すように、1920年6月、日本統治下の台湾へ向かった。わずか3カ月あまりの旅が、当時新進作家にすぎなかった佐藤春夫に与えたインスピレーションは大きかった。台湾の経験を持ち帰った佐藤春夫は、台湾を舞台にした作品を次々と生み出し、昭和前半を代表する文豪へ成長するきっかけになった。そんな佐藤春夫の台湾体験が詰まった一冊が刊行された。
台湾人から教えられた「佐藤春夫」
「妙,妳知道佐藤春夫來過台南寫了一篇台南的小說嗎?(妙さん、佐藤春夫が台南に来て、台南の小説を書いたことを知っていますか?)」
今から4年ほど前、台南を訪れていたある日のことだ。大正から昭和30年年代にかけて活躍をした日本を代表する作家・佐藤春夫の台湾に関する作品について初めて耳にしたのは、日本人からではなく、台湾人の口からだった。
日本に戻り、教えてもらった作品『女誡扇綺譚』を取り寄せた。
安平、鄭成功、赤嵌城址……。大好きな街の台南と関係のある単語が次々と文中に現れ、ぐいぐいと引き込まれた。一方、「禿頭港」「女誡」など、初めて目にする言葉もあった。調べてみると、禿頭港は後に佛頭港と改められ、その昔、台南市街から安平に流れ込んでいた商用運河のことだった。女誡は女性が守るべきいましめのことだとわかり、ますます興味深く読み込んだことを覚えている。
台湾では、2016年以降、日本の文豪として続々と佐藤春夫の作品が翻訳出版され、今年も恋の世界を描いた『殉情詩集』などを収録した本が刊行されるほど人気が高い。
3カ月の旅、8本の作品
なぜ佐藤春夫の作品に台湾の読者が惹かれるのか。それまでずっと不思議に思ってきた疑問の答えを、本書を読んで見つけることができた。
佐藤春夫が初めて台湾の地を踏んだのは日本人が台湾で“内地人”と呼ばれていた1920年だ。私生活に息が詰まり、筆が進まなくなっていた時期に、台湾で歯科医院を開業した中学時代の友人の誘いを受けた。日本から麻の着物を身に纏い、マラリア用のキニーネを持ち、日台航路で基隆港に着いた。
7月の台湾の暑さに絶句しながらも、基隆から高尾、台南、嘉義、霧社、北港などを巡り、約3カ月の台湾旅行と生活を堪能した末、本書に収められた計8編の物語が誕生する。
そのなかで表題の一作、『女誡扇綺譚』は前述の通り、台南が舞台だ。主人公は日本人新聞記者の「私」。「私」とその友人で台湾人の詩人「世外民」のふたりが、台南の廃屋で遭遇した姿の見えない「声」だけの女性を探すミステリー仕立となっている。
台湾人の気質を「台湾人の古い人には男にも女にも、欧州人などと同じく演劇的な誇張の巧みな表現術がある」と描写していたところに共感した。父親が台湾人だった由縁で、まとまった幼少期を台湾で過ごし、台湾人に囲まれて生活をした私も、そう感じていたからだ。ほかにも、中国大陸の泉州や漳州から多くの人々が渡ってきた台湾人のルーツや信心深いことなども描かれており、佐藤春夫の台湾社会の風習や文化への深い理解をうかがわせる。
先住民社会の現実
埔里から霧社、能高山などを巡った際のことが記述されている『霧社』は、日本統治下の台湾で「蕃人」と呼ばれてきた先住民の暮らしぶりと境遇を織り込んで描かれた物語だ。
台湾には、日本が台湾を統治する以前から、ブヌン族やアミ族、タイヤル族など、山岳地帯を中心に暮らしていた先住民族がいた。彼らの一部は日本人による支配に激しく抵抗したため、日本政府は抑え込もうと理藩政策を実施し、教育の普及を進めて日本語で計算や漢字の勉強を教えた。先住民である自分の名前を「オハナチャン」と呼ぶ者や、片言の日本語を覚えた少女が「フタリ一円五十銭ヨ。ヒトリ一円」などと、内地人相手に売春まがいの行動を取るような場面があり、作者が垣間見たリアルな先住民社会の現実が読み取れる。
収録された8編の物語のうち、私が特に気に入ったのは『蝗(いなご)の大旅行』だ。6ページという超短編の作品だが、他の7編は全て人対人の会話であるのに対し、主人公の「僕」が昆虫の「蝗」と対話する設定が面白い。
嘉義あたりから彰化の二八水駅(現・二水駅)までの汽車で、「僕」の真向かいに座ったのが「蝗」。この小さな同行者との旅物語を筆者は“本当の童話”と断って綴っている。筆者自身が童心に返り、明るくて軽い気持ちになっていることが随所に散りばめられているが、結末は「蝗君。大旅行家。ではさようなら。用心し給え——『途中でいたずらっ子につかまってその美しい脚をもがれないように。失敬。』」と締めくくり、何かグリム童話のような残酷さも漂っている。
緻密な風景や建物の描写
それにしても、3カ月ほどの台湾旅行でこれだけの物語を編み出せたのは、よほど台湾が筆者に新しいインスピレーションを残したからに違いない。
特記すべきは、どの物語でも、建造物や風景の描写が緻密であることだ。読者はたちまちその世界へと想像を広げ、実際に訪れた気分になれる。佐藤春夫自身が「女誡扇綺譚の建物や安平の風景は実景のつもりである。その他は中部地方での見聞きに空想を雑えて作った」と書く通り、旅紀行物語として溢れ出すほどの情報が詰まっており、現実と物語の境界線がわからなくなるほど写実的だ。
私は、台湾で幼少期を過ごし、記憶のなかの「台湾」を持っている。佐藤春夫が織りなす物語から、自分の中に眠っていた40年前の台湾の記憶がみずみずしく蘇った。廃墟と榕樹が似合う街。虹、鳥、花……。台湾の景色や空気感などは、幾年月が経とうとも、今も昔もあまり変わっていないことを本書から教わった。
新型コロナウイルスの影響で、これまで何の足枷もなく往来できた台湾が一気に遠くなった。台湾好きの日本人は「台湾ロス」に陥っている。私も間違いなくそのうちのひとりだ。だからこそ、佐藤春夫の台湾作品に一層引きつけられる。
台湾旅行から百年、台湾では展示も
今年、台南の台湾文学館にて「百年之遇——佐藤春夫1920台湾旅行文学展」が開かれている。今を生きる台湾人が、100年前の日本人の目を通し、どのように描かれているかに注目が集まっているそうだが、心配無用だと思う。
なぜならば、台湾人ならなおさら、作者の描く台湾の往時の姿に自分たちが暮らす現在の台湾を重ね、ノスタルジーにかられるからだ。100年前の佐藤春夫が感じた台湾を、台湾の人たちも受け入れるに違いない。
本書では、佐藤春夫を研究してきた実践女子大学文学部の河野龍也教授が作品の選定を行い、解説を寄せている。この解説を読めば、さらに佐藤春夫が台湾に渡った時代背景が浮き彫りとなるだろう。各物語の扉絵のモノクロ写真が、各作品をより立体的に増幅させる一助となっている。
再び台湾を訪れることが叶うときには、本書を片手に、舞台となった場所を見つけたり、あれこれと想像したりしながら、佐藤春夫の足跡をぜひ辿りたい。それまでは、100年前の記述を頼りに、脳内で台湾の余韻に浸ろう。
佐藤春夫台湾小説集『女誡扇綺譚』
佐藤春夫(著)
発行:中央公論新社
文庫判:320ページ
価格:1000円(税別)
発行日:8月21日
ISBN:978-4-12-206917-6
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/bg900205/