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吉本隆明、「山の神」、土偶―荻原眞子『いのちの原点「ウマイ」』(藤原書店)、竹倉史人『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社)―鹿島 茂による読書日記

2021-07-29 | アイヌ民族関連
オールレビュース 7/28(水) 12:40
◆吉本隆明、「山の神」、土偶
◇×月×日
吉本隆明の『共同幻想論』の読み直しを始めて早三年。吉本は事実認識のレベルでの誤りはあっても、最も根源的なところでは「ほぼ正解」を出している気がするが、その吉本が「対幻想論」でこんな大胆な仮説を披露している。すなわち、狩猟採集と初期農耕の時代には人間と植物の再生産・生成過程は同一視され、対幻想は子を産む女性に集中されていたがゆえに共同幻想と対幻想も同一視されていた。しかし、穀物栽培導入に伴って、植物と人間の再生産・生成過程が「ちがう」と認識されると、共同幻想と対幻想との「ちがい」も意識化され、対幻想そのものが時間性の根源になったのだ、と。これをパラフレーズすると、穀物農耕開始以前にはセックスと出産が論理的に結びついていなかったので、人間と植物の再生産・生成過程は同一視されていたが、本格農耕開始で同一視が破れたことにより、初めてセックスと出産が結びつき、対幻想そのものが独自の時間性をもつ幻想へと変化したということになる。本当かしら? にわかには信じられない仮説だが、吉本の詩人的直感は侮れないので、実証的に検証してみなければならない。
ということで手に取ったのが荻原眞子『いのちの原点「ウマイ」――シベリア狩猟民文化の生命観』(藤原書店 二六〇〇円+税)。十七世紀、モンゴルの軛(くびき)を断ち切って民族的自立を果たしたロシアはコサックを先頭に毛皮を求めてシベリア進出を試み、ついでピョートル大帝のもと大規模な学術探検隊が組織されたが、探検隊はシベリア各地でウラル・アルタイ語系の狩猟採集民の諸民族と出会い、綿密な民族誌を残した。日本の人類学は戦前こそ満蒙進出に伴ってシベリア民族研究を企てたが、戦後はアメリカ人類学や構造人類学の影響か一転して興味を失い、ロシアの図書館や大学に残された膨大な民族誌が研究されることはなかった。上智でロシア語を習得し、東大大学院で文化人類学を学んだ著者はモスクワ留学中にこれら民族誌と遭遇し、以後、アイヌ文化との関連を意識しつつ、シベリア狩猟民の生命観を中心に研究を行ってきた。本書はその集大成である。
アルタイ語系の一部であるトゥングース語系の民族では霊魂が自然と動物の身体の間を循環することで生命が生まれると考えられているが、子供の霊魂も同じであり、山や樹木などの大地母神から女性の体に降りてくるとされる。シャマンとはこの霊魂の仲立ちができる人で、媒介として鳥や動物などの補助霊の力を借りる。またこうした生命観で特権的なのが山岳で、柳田国男が日本で見つけた「山の神」信仰はシベリアに遍在する。アルタイ地方の父系氏族の狩猟民においては他の氏族から嫁入りしてきた女性は聖山儀礼には参加できないというタブーがある。ゆえに聖山は男性神と思われるが、いっぽう、トゥングース系、南シベリアや内モンゴル、中央ユーラシアの民族には語源的には女性器や母胎を意味するウマイ、ウメ、オメ、ウマという言葉があり、出産と子供の生育を見守る母神として信仰されている。このウマイは鳥や樹木や山から生命の源として降りてくる山の神でもある。そうなると、柳田国男が提起した「山の神」が女神である謎も解ける。すなわち、日本列島に先史時代に渡来した狩猟民の遠い祖先の一部はこうした「山の神」としての母神ウマイを信仰していた南シベリアや内モンゴルや中央ユーラシアの人々だったのである。
“稲作と稲作文化の拡がりによって、山という自然界が狩猟民の世界であったことが遠い過去に押しやられ、山の女神はいつしか忘れ去られてしまった。大地が田畑として開墾され、田の神は刈り入れがすむと『山へ帰って山の神』となり、正月にはまた田に降りるという、田の神の不可解な行状(?)の依って来たった遠因はここにある。”
シベリアの民族誌の再発見により、日本人の起源に新しい光を当てた労作である。
◇×月×日
豊饒神である山の神がウマイだとすると、穀物農耕以前の対幻想はセックスを伴わない出産のみだったとする吉本説はかなり有力になったが、これを補強するように思われる新刊が竹倉史人『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社 一七〇〇円+税)。著者が冒頭で触れているように、土偶の謎は邪馬台国論争と並び、素人の参入を許すホットな話題で、土偶の謎を解いたという人はたくさん現れるが、土偶が具体的に何を表象しているのかという最も肝心な問題はいまだ未解決のままである。しかるに、著者はこう宣言する。「そこで私は宣言したい。――ついに土偶の正体を解明しました、と。結論から言おう。土偶は縄文人の姿をかたどっているのでも、妊娠女性でも地母神でもない。〈植物〉の姿をかたどっているのである。それもただの植物ではない。縄文人の生命を育んでいた主要な食用植物たちが土偶のモチーフに選ばれている」。といっても、その食用植物には、縄文人にとって「採集」すべき植物と認識されたということで、種明かしすれば、「水のある森」であるところの海で採集された貝類も含まれる。肝心なのは、土偶はデフォルメでも抽象でもなく、目の前にある食べ物、すなわち、縄文人が採集していた本格農耕以前の食べ物をそのまま写し取ったものであるにもかかわらず、その食べ物に手足がついていたのでだれも気づかなかったという点である。着想のもとになったのは、「縄文人においては植物利用にともなう儀礼が行われていたことは間違いないのであるが、なぜか縄文遺跡からは植物霊祭祀が継続的に行われた痕跡がまったくといっていいほど発見されていないのである。一方、それとは対照的に、動物霊の祭祀を行ったと思われる痕跡は多数見つかっている」。ということはなにを意味するか? 植物霊祭祀の痕跡は見つかっているのに、「われわれがそれに気づいていないだけ」なのではないか? そう、土偶が植物霊祭祀の痕跡だったのである。
だが、推論は的を射ているとしても、問題はどうやってこれを証明するかだ。著者が採用したのはイコノロジー的方法(つまり形象の類似)と考古学的な統計データによる方法である。つまり、土偶と似ている縄文時代の食用植物を考古学的に探索することである。具体的に見てみよう。まず「ハート形土偶」だが、著者はこれをイコノロジー的に分析したあと、長野の山中で見つけたオニグルミの殻を二つに割った形象ではないかと当たりをつける。事実、縄文遺跡におけるオニグルミとハート形土偶の出土分布はぴったりと重なっている。しかし、一つの例だけでは帰納はできない。かくて合掌土偶と中空土偶の検証に入り、イコノロジー的考察からクリの実ではないかと推定され、考古学的にも合格が出されるが、まだこれでもサンプルが足りない。そこで今度は頭部が三角形の椎塚土偶が何に似ているか調べることになるが、該当するような植物が見つからない。そこで現地に出掛けて「縄文脳インストール作戦」を敢行したところ近くに貝塚があり、「椎塚土偶はハマグリをかたどった土偶だった」と判明する。貝もまた縄文人にとっては採集すべき植物だったのである。この調子で同定作業が進み、ついには土偶の華である遮光器土偶はサトイモの形象であったと結論される。
考古学者からの反論が予想されるが、私には「ほぼ正解」のように思える。ひとことでいえば偉大なる発見なのである。しかし、本書は設定した三つのテーマ「①土偶は何をかたどっているのか(what)②なぜ造られたのか(why)③どのように使われたのか(how)」のうち①しか答えていない。吉本説の検証には②とりわけ土偶の多くが女性的特徴をもっている理由の解明が必要である。次作が待ち遠しい。
◆【関連オンラインイベント】2021年7月28日 (水) 20:00 - 21:30 竹倉 史人 × 鹿島 茂、竹倉 史人『土偶を読む』を読む
書評アーカイブサイト・ALL REVIEWSのファンクラブ「ALL REVIEWS 友の会」の特典対談番組「月刊ALL REVIEWS」、第31回はゲストに人類学者の竹倉 史人さんをお迎えし、竹倉 史人さん『土偶を読む』(晶文社)を読み解きます。 メインパーソナリティーは鹿島茂さん。
https://peatix.com/event/2076154/view
[書き手] 鹿島 茂
フランス文学者。元明治大学教授。専門は19世紀フランス文学。
1949年、横浜市生まれ。1973年東京大学仏文科卒業。1978年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位習得満期退学。元明治大学国際日本学部教授。
『職業別パリ風俗』で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど数多くの受賞歴がある。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。新刊に『日本が生んだ偉大なる経営イノベーター 小林一三』(中央公論新社)、『フランス史』(講談社)などがある。
Twitter:@_kashimashigeru
週刊文春 2021年7月29日号掲載
鹿島 茂
https://news.yahoo.co.jp/articles/99cd2f8f7b51356e428366a89cbd793475029563
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