集中連載 第3回
現代ビジネス2024.02.26 太田 昌国
「連続企業爆破事件」は、社会に深甚な恐怖を与えた。一方、実行者たちの親族などが救援運動を始める。過激な政治活動によって途轍もない過ちを犯した人々を、人類史のなかで救おうとする大江健三郎の言葉を紹介しながら、東アジア反日武装戦線がなしたことの時代への波紋を考察する。(集中連載全4回=はじめから読む)
「反日」グループを描いた韓国映画
東アジア反日武装戦線(以下、「反日」)の特異な行動指針、目的達成のために爆弾を使うという手段、三菱事件の悲劇的な結果ーーそれは、当時の社会を根底から揺るがせた。ここでは、それがどのような波紋を及ぼしたのかを考えてみたい。
コロナ禍の渦中にあった2021年、一本の韓国映画が公開された。『狼をさがして』(キム・ミレ監督、2020年)である。狼とは、「反日」の狼グループを指している。監督は旧作が日本で上映される際に来日し、朝鮮半島に深い関心を懐いて行動した70年代の若者たちの存在を知った。調査を進め、東アジアの人々の「恨みと悲しみ」を胸に抱えていた彼らが、その行動のために「加害」の立場に立つことになった軌跡をドキュメンタリーとして作品化したいと思った。
日本では、現実の受刑者を、ましてや死刑囚を撮影したりインタビューしたりすることは認められていない。映画にはすでに刑期を終えて社会復帰している「反日」メンバーも登場するが、多くはこの50年近くにわたって「反日」の救援に携わった人々や弁護士、メンバーの親へのインタビューによって構成されている。いわば「主役」は不在のまま、カメラはその周辺を彷徨うという趣になる。
映画が明かすのは、「反日」はメディアから「思想なき爆弾魔」などの厳しい言葉で批判され非難されたが、そのメンバーを救援する活動が一斉逮捕(1975年)直後から絶えることなく続けられてきているという事実だ。関わったのは親族ばかりではない。見ず知らずの、さまざまな世代の人々がそこにはいる。
「恐ろしかった」「目を背けたかった」過去へ
子が逮捕された、ある母親は「この娘のお陰で、たくさんお友だちができた」と語る。「反日」は堅固な組織ではなかったから、救援は事件を知って集まった人々による自発的な活動だ。最初の行動であった三菱爆破で大勢の犠牲者が出ていることを痛みとして身に引き受けつつも、彼らを突き動かした動機を無視することはできない、と語る人が多い。だから、あえて要約して言えば、「批判的な救援活動」だと言える。
全国のミニ・シアター30館あまりで上映されたこの作品は、予想以上の観客に恵まれた。劇場には、「反日」と同じ世代の人々も詰めかけたが、当時のことを何も知らない若者の姿も目立った。長い時間が過ぎて、人々はそれぞれの立場でようやく、あの「恐ろしかった」「目を背けたかった」過去に、向き合うことができるようになったと言えるのかもしれない。
「反日」をテーマに劇場公開される映画を作り得たのは韓国の映画人だったが、振り返れば、メンバーに対する最高裁判決がなされた1987年には、「さそり」に属していた黒川芳正を獄中監督として『(東アジア反日武装戦線の)母たち』が8ミリで制作されている。母たちは戦前の軍国主義教育の中で育った世代だが、娘や息子が行なった行為に衝撃を受けつつも、面会・文通を重ねながら、日本社会と自分自身を見つめ直す経緯が描かれている。
文学・演劇の分野でも、「反日」をテーマにした作品が生み出されている。桐山襲の『パルチザン伝説』(初出=『文藝』1983年10月号)や松下竜一『狼煙を見よ』(初出=『文藝』1986年冬季号)は、いずれも単行本化されてのち、いくつもの版で刊行されており、一定の読者に迎え入れられていることがわかる。
演劇でも、私が知る限りでは、越光照文=演出『風のクロニクル』(青年座、1985年)、坂手洋二=演出『火の起源』(青年座、1994年)、鐘下辰男=演出『あるいは友をつどいて』(劇団ガジラ、2004年)などが公演されている。個々の作品に立ち入って論評する紙幅はないが、あえてこのテーマに取り組んだ複数の作家・劇作家たちの根底にある思いを推測してみると、連合赤軍のリンチ事件を知った大江健三郎の、次の述懐に近いのではないだろうか。埴谷雄高を相手にした対談で、大江は語っている。
《かれらを救いうるのは何か。それは逆にかれらをみて、彼らは一面的な実在にすぎない、かれらの信じ、かつ見るより以外に世界と人類があるのだと、ぼくらが想像しうるならば、そして神におけるような、あるいはドストエフスキーにおけるような総合的な視野にあの兵士たちをとりこみえれば、人類史の展望の上でわずかに救われる可能性がでてくるのだろうと思うのです》(『群像』1972年6月号)
衝撃的な行為から学びとること
大江はその思いを作品化し、『洪水はわが魂におよび』(1973年)と『河馬に噛まれる』(1985年)などに書きつけた。
社会から弾き飛ばされ、糾弾されるばかりであった実在の人物をフィクション化して描く映画・文学・演劇作品には、人間がなすどんな衝撃的な行為にも、また人間が犯すどんな失敗・間違いにも、そこから学び取るものがあるのだとする確信が見えてきて、人間の可能性/過ちを訂正する可能性に対する信頼が生まれてくるように思える。
別な観点からも、「反日」の波及力を思い起こしてみる。逮捕直後から「反日」メンバーの弁護人を務めた新美隆、内田雅敏両弁護士は、1980年代後半から90年代にかけて、前述の花岡事件に関わって在留中国人が鹿島建設(戦前の鹿島組の後身)に対して起こした未払い賃金の支払い交渉の代理人を務めている。
1990年7月5日、中国側と鹿島側双方による合意事項が発表され、鹿島は当時の強制労働に関わる企業責任を認め「深甚な謝罪の意」を表明した。中国側が求めた賠償請求は認めなかったが、中国人強制労働問題について日本企業が正式に謝罪した初めての例となった。
花岡鉱山での強制労働に関わる鹿島建設に対する訴訟は、その後も異なる原告によって提起されている。それは、2000年に双方の間で「和解」にまで至っている。この「和解」に関しては、厳しく批判する中国人も日本の関係者もいるが、この文章は、そこまで深入りする場ではないだろう。
「反日」の弁護人を担当した弁護士が、「反日」との関わりを持ったからこそ、日本が抱える植民地支配責任や、外国人を強制連行したり強制労働を強いたりした責任が問われる戦後補償案件が、日本社会が生まれ変わるために大事なことだと実感したとの思いを吐露していることに注目したい。
(第4回 東アジア反日武装戦線メンバーの終わりのない悔悟と謝罪…暴力によらない抵抗は可能か? につづく)