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8月号 茨城大学教授・マヤ考古学者 青山和夫 Aoyama Kazuo 「真の世界史」から学ぶ

2014-08-15 | 先住民族関連
dot.-(更新 2014/8/14 )
 私たちが、中学・高校で学んだ世界史は、「真の世界史」では決してない。それは、西洋史が西ヨーロッパの列強とアメリカ合衆国、東洋史が中国を中心とする「偏った世界史」である。世界はいわゆる旧大陸の「四大文明」だけではなかった。メソアメリカとアンデスという、コロンブス以前のアメリカ大陸の二大文明を十分に語ることなくしては、世界史を正しく再構成できない。なぜならば古代アメリカの二大文明は、旧大陸と交流することなく、「四大文明」と同様に、もともと何もないところから独自に生まれた文明、つまり一次文明を独自に形成したからである。
 そして私たちは今、まさにアメリカ大陸の二大文明の大きな恩恵を受けている。たとえば、アメリカ大陸原産の栽培植物は、世界の作物の六割を占める。アメリカ大陸の先住民は、前8000年ごろから、トウモロコシ、ジャガイモ、カボチャ、サツマイモ、トウガラシ、トマトなど百種類以上の植物を栽培化した。コロンブスらの侵略によって、アメリカ大陸の先住民が栽培化した作物が15世紀以降に旧大陸にもたらされて、世界の食文化革命が起こった。アメリカ大陸原産の植物なくして、私たちの豊かな食生活は成り立たない。
 先史時代の環太平洋地域では、アジアの人びとが拡散して多様な環境に適応していった結果、非西洋型の多様な社会や文明が発展した。アジアの人びとは、1万年以上も前にアメリカ大陸に移住していた。環太平洋の諸文明と環境の研究は、人類が築いた文明の多様性、自然とのかかわりの中で暮らす人間社会の普遍性についての視点や知見を人類史に改めて提供し、ここ500年ほどの西洋中心的な文明史観ではない、バランスの取れた「真の世界史」の確立に大きく貢献する。
 本書は、植民地化され、歴史の表舞台から消された「敗者の文明」、中米メソアメリカのマヤ文明、南米のアンデス文明、先史・原史時代の琉球列島の盛衰と環境を実証的に読み解いていく。筆者らは、文部科学省科研費プロジェクト「環太平洋の環境文明史」(平成21~25年度)で、環太平洋の非西洋型の諸文明(メソアメリカ、アンデス、太平洋の島嶼など)の盛衰と、湖沼の年縞堆積物(湖底で1年に1つ形成される、いわば土の年輪)などを用いて復元された当時の環境との因果関係の有無を明らかにすることをめざした。
 世界に二つの重要な成果を示し、認められたことは特筆されるだろう。福井県水月湖の年縞堆積物の放射性炭素年代測定データから、過去5万2800年まで北半球の全陸域で適用できる年代測定の「ものさし」を確立したことが第一点である。イギリスのグリニッジで計測される時刻が「世界の時刻」の標準であるように、水月湖は考古学、地質学や地球の環境変動を知る「歴史の標準時」の「ものさし」になったのである。この成果を2012年10月に科学誌Scienceで公表し、2013年6月の放射性炭素国際会議で年代測定の世界標準として認定された。この「ものさし」をもとに環太平洋の諸地域で精密な環境変動や社会変動の編年を打ち立てた。
 もう一点はマヤ文明の調査において、グアテマラのセイバル遺跡の大規模な発掘調査で得られた豊富な試料を、放射性炭素年代測定によって計測し、詳細な編年を行った結果、マヤ文明の特徴である公共祭祀建築と公共広場がつくられるのは、従来の学説より少なくとも200年早く、紀元前1000年ごろだったことが明らかになり、研究成果を2013年4月に科学誌Scienceに発表した。
 私たちは、共同研究で、環太平洋の諸社会が、変動する自然環境によってインパクトを受けて単純に「勃興」し「崩壊」するのではなく、自然環境と共生し、あるいは自然環境を破壊しながらも、2000年以上にわたって持続可能な社会を築いたことを実証的に明らかにした。
 たとえばマヤ文明の諸王国では、環境の破壊や変化などに対し、地域間ネットワークを巧みに変化させながら社会の多様性を保って、社会のレジリアンス(回復力)を高めた。
 アンデス文明では、湿潤化や乾燥化といった環境変動に適応するために、居住地を変えるとともに水路などの新しい技術を導入して社会インフラを整備し、ナスカ台地に地上絵を描く社会を継続させた。
 先史・原史時代の琉球列島では、自然環境を破壊し尽くすことなく、環境調和型の生業を1万年以上展開した。
 このように、古代文明は新たな選択肢を見出して社会のレジリアンスを高め、戦争、自然災害や人口問題など、危機を連鎖させないようにした。現代社会にとってきわめて貴重な歴史的教訓がここにある。
http://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2014081400041.html

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お雇い外国人 8月14日

2014-08-15 | 先住民族関連
MSN産経ニュース-2014.8.14 03:07[産経抄]
 今年6月に富岡製糸場の世界文化遺産登録が決まり、改めて一人のフランス人が脚光を浴びている。明治政府の依頼を受けて、製糸場の建設と操業を指導したポール・ブリュナである。
 ▼幕末から明治にかけて、ブリュナのような多くの「お雇い外国人」の助けを借りて、日本は近代国家への変貌を遂げた。いや、作家の荒俣宏さんに言わせれば、プロ野球の助っ人外国人や大相撲の外国人力士だって、立派なお雇い外国人である(『開化異国(おつくに)助っ人奮戦記』小学館)。
 ▼とすれば、サッカー日本代表の新監督に就任した、メキシコ人のハビエル・アギーレさん(55)も、その一人ということになる。アギーレといえば、40年以上も前、当時の西ドイツで製作された『アギーレ/神の怒り』という映画があった。
 ▼16世紀半ば、アマゾンの奥地を黄金郷エルドラドをめざして、苦難の旅を続けるスペインの探検隊の物語である。主人公のアギーレの暴君ぶりが、すさまじい。先住民の村を焼き払い、命令に背いた部下の首をはねる。
 ▼選手、監督の両方で輝かしい実績を残しているアギーレさんも、激情家としての武勇伝には事欠かない。メキシコ代表監督時代には、プレー中の相手選手を蹴飛ばして、退場処分を受けたこともあるそうだ。ただ、記者会見を取材した同僚記者は、「温厚な紳士」で「親日家」の印象を持ったという。
 ▼「外国から来た異国の教師たちは、まだ近代化していないその土着技術を喚(よ)び醒(さ)まし、みずから強大な敵となって、日本人に奮起をうながした」。荒俣さんは、「お雇い外国人」の功績をこう振り返る。その系譜に連なるアギーレ監督にも、日本選手の隠れた能力を引き出し、W杯で開花させる、大仕事に期待したい。
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/140814/scr14081403070001-n1.htm

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千歳市の野本さんにアイヌ文化奨励賞 神話をDVD付きの絵本に

2014-08-15 | アイヌ民族関連
苫小牧民報  (2014年 8/13)
 アイヌ文化振興・研究推進機構のアイヌ文化奨励賞に、千歳アイヌ協会副会長の野本敏江さん(63)の受賞が決まった。アイヌ文化の継承・発展に功績のあった人に贈られる賞で、野本さんは「うれしいというのが1番。私にいろいろなことを教えてくれたフチ(おばあさん)や会員の皆さんのおかげです」と喜びを語る。
 野本さんは千歳出身。娘が卒業した縁もあり、15年前から千歳末広小学校でアイヌ文化学習の支援に取り組んできた。アイヌの伝統舞踊、工芸品作り、カムイユカラ(神謡)などの保存や普及活動に取り組み、伝統料理に関する本も作成した。今年3月には千歳の烏柵舞地域に伝わるカムイユカラ「キツネのチャランケ」をDVD付きの絵本にして出版している。
 受賞はこれらの功績が総合的に評価された。受賞の報を受けて、野本さんは「伝承活動をできることが幸せ。さらに料理や工芸品を作る意欲が湧きました」と話す。
 野本さんの夫久栄さん(63)もアイヌ文化伝承者として活動する。その功績がたたえられ、久栄さんは昨年、同賞を受賞している。夫婦での受賞に敏江さんは「夫がいないと(活動を)していなかったかも。お互いに協力することができたのがよかった」と振り返る。
 これまで活動を続ける中でうれしかったことは、末広小の卒業生が入学した中学校の先生から手紙が来たこと。「末広小出身の生徒は物や友人を大事にする。なぜかと聞いてみると『末広小で6年間、アイヌ文化学習をやってきたから』と言われた」。仲間や自然と共に生き、物を無駄にしないアイヌ文化。その手紙を読んで「伝承活動をやってきてよかった」と感じたと言う。
 千歳アイヌ協会の会員も高齢者が増え、若い世代も仕事が忙しく活動に参加しにくいのが現状。「若い人たちにも参加したいと思ってもらえる環境をつくりたい」。今後の抱負を語った。
 受賞式は9月下旬に札幌市内で行われる。
http://www.tomamin.co.jp/20140815824

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【報道参考資料】8月9日「世界の先住民の国際デー」国の成長から取り残される先住民の子どもたち

2014-08-15 | 先住民族関連
財経新聞-2014-08-13 14:04:24
プレスリリース発表元企業:公益財団法人日本ユニセフ協会
今年のテーマは「ギャップを埋める」-先住民の権利の実現を
※本信は ユニセフ本部の情報を、日本ユニセフ協会 広報室が翻訳、独自に編集したものです
※原文は http://www.unicef.org/media/media_74728.html でご覧いただけます
【2014年8月8日 ニューヨーク発】
8月9日の「世界先住民の国際デー」にあたり、ユニセフは、先住民の子どもたちが自分たちの権利を享受できないまま、日々差別に直面していると述べました。
1989年に子どもの権利条約が採択されて以降、子どもたちには多くの進展がみられ ました。しかし、先住民の子どもたちにはその責務が果たされておらず、恩恵を受けられていません。低所得国であれ、中所得国であれ、高所得国であれ、先住民の
子どもたちは、人間開発指標で明らかな格差に直面しています。
ユニセフのプログラム事業部で子どもの権利を担当する副部長のスサナ・ソットリは「子どもの権利条約が批准されて25年が経つにもかかわらず、世界中で先住民の子どもたちが取り残されているのは受け入れがたいことです。すべての先住民の子どもたちが直面しているギャップを狭める時です。そうすれば、先住民の子どもたちにも、子どもの権利条約は実現されます」と述べました。
先住民の子どもたちは、先住民でない子どもたちと比べて、学校へ通い、学業を優秀に修められない傾向にあります。こうした背景には、貧困やジェンダー、先住民言語と公用語によるバイリンガル教育、学校と自宅の距離、学校の年間予定など、いくつもの要素が複雑に絡み合っています。
例えば、ペルーでは2011年、先住民の言語を話す人々の7倍、スペイン語を話す人々が読解力において満足な基準に達しています。ナミビア全土では、中等教育の出席率は およそ55%です。その一方、サン語を話す子どものわずか7%しか中等教育に在籍せず、 高等教育に在籍した人は1%以下でした。調査によって、先住民の女の子は、先住民の男の子や先住民でない女の子と比べ、学校に通えていないこともわかりました。
先住民の子どもたちは、暴力や搾取、虐待にも、明らかな影響を受けます。ラテンアメリカ では、先住民の子どもたちは先住民でない子どもたちと比べ、極度の貧困により働かざるを得ない子どもが多い傾向にあります。
ユニセフは、先住民の人たちの権利が促進されることを目指し、先住民言語と公用語による教育や異文化間の教育、文化を尊重した保健サービスや出生登録、子どもの保護に至るまで支援活動を行っています。また、よりよい統計を提供することで、先住民の子どもたちの置かれている状況や問題をより明確にし、国がギャップと不平等を削減する政策や取り組み を立案できるようになると考えています。
今年9月には、国連本部で初となる先住民に関する世界会議が開催されます。この会議は、 先住民の子どもたちの権利を政策立案において考慮するために必要な喫緊の変化に焦点を絞る重要な機会となります。
ソットリ副部長は「すべての子どもたちの権利が実現されて、はじめて、子どもの権利条約の約束は果たされたことになります。世界中のすべての子どもたちに到達し、生存と発達、 生まれ持った力を最大限に生かすようにできる機会を提供するためには、さらなる取り組み が必要です」と述べました。
■ 本件に関するお問い合わせ
日本ユニセフ協会 広報室
TEL:03-5789-2016  FAX : 03-5789-2036  Eメール:jcuinfo@unicef.or.jp
または
Rita Ann Wallace, UNICEF New York, Mobile: +1 917 213 4034, rwallace@unicef.org
■ユニセフについて
ユニセフ(UNICEF:国際連合児童基金)は、すべての子どもの権利と健やかな成長を促進するために活動する国連機関です。現在190の国と地域※で、多くのパートナーと協力し、その理念を様々な形で具体的な行動に移しています。特に、最も困難な立場にある子ども たちへの支援に重点を置きながら、世界中のあらゆる場所で、すべての子どもたちのため に活動しています。(www.unicef.org)
※ユニセフ国内委員会(ユニセフ協会)が活動する36の国と地域を含みます
※ユニセフの活動資金は、すべて個人や企業・団体からの募金や各国政府からの任意拠出金で支えられています
■日本ユニセフ協会について公益財団法人 日本ユニセフ協会は、先進工業国36の国と地域にあるユニセフ国内委員会のひとつで、日本国内において民間として唯一ユニセフを代表する組織として、ユニセフ活動の広報、募金活動、政策提言(アドボカシー)を担っています。
(www.unicef.or.jp)
http://www.zaikei.co.jp/releases/188216/

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極北のボリウッド

2014-08-15 | 先住民族関連
ロシアNOW-2014年8月12日
ウラジスラフ・モイセエフ, ルースキー・レポルチョル誌
サハ共和国の首都ヤクーツクでは、冬の気温が– 65°Сまでさがる。この永久凍土の地では20年以上も、ヤクート語の映画が毎年撮影されている。映画は盛況で、回収できている。映画関係者は冗談まじりに、ヤクーツクをロシアのボリウッドと呼んでいる。
神様とは土地であり、自然である
 サハ共和国のロシア人と先住民の人口比率は半々。交通機関の停留所もレストランのメニューもロシア語とヤクート語で書かれている。モスクワの映画評論家から愛されている、ミハイル・ルカチェフスキー監督は、こう話す。「我々は自然を信じ、自然と交流する。遠出する時は道にパンケーキを与えるし、川に対してもいろいろな伝統がある。そしてしっかりと効果がある。何かがうまくいかない時、川と会話しに行って、何かをお願いする。神様は人間ではなくて、土地であり、我々を食べさせてくれる自然である。このおかげで、きっと言語も失わなかった…」
ヤクートの皇帝とチンギス・ハンの秘密
 サハ共和国には公営映画スタジオ「サハフィルム」があり、たくさんの監督がいる。サハフィルムが創設されたのはソ連崩壊後。ニキータ・アルジャコフ氏はサハフィルムの監督で、来年には自身の人生で一大作品となる映画を撮影しようとしている。「民族作家ヴァシリー・ダランの長編小説『トィグィン・ダルハン』を映画化する。ロシア人が来る前の時代の最初のヤクートの皇帝に関するもの」。新作の予算は500~1000万ドル(約5~10億円)。
 サハ映画史上2番目に高額な映画だ。もっとも高額な映画はアンドレイ・ボリソフ・サハ文化相が2009年に制作した「チンギス・ハンの秘密」。制作費は1000万ドル(約10億円)ほど。これは例外的と言える。民間映画スタジオは細々と活動している。映画全体の予算は、ハリウッドのヒット作の1日の撮影料ほどである。
極北のアクション映画
 ジャッキー・チェンがキュウリ畑で水をまき、ブルース・リーがウシの乳しぼりをし、モータル・コンバットのサブゼロが納屋にいる。サハ共和国の辺境の地で、アクション・スターに扮した映画ファンが、チャンピオンの座を獲得するために闘う。映画「英雄 カップをかけた戦い」の話だ。ヴァシリー・ブラトフ・アマチュア監督は、友人とともに、この映画に10万ルーブル(約30万円)を投じたと話す。街中の映画館(3館)で上映され、DVDも発売された。その結果、この映画の収入は500万ルーブル(約1500万円)になった。これは民族映画の概念の実現である。
 ブラトフ監督は少年時代、ジャッキー・チェンやジャンクロード・ヴァン・ダムの映画を見て育ち、学校でケンカをするのが好きだった。大人になってカメラを手にとり、アクションの撮影を始めた。「友だちがカメラを持っていたから、短編映画などを撮影していた。しばらくしてから長編映画を撮影して、収入を得るためにクラブで上映することにしたら、街中から人が集まってきた。『うまくいくもんなんだ』と思った。40分のギャング映画で、大ゲンカのシーンもあった。学校まるごと出演した」
 次の映画「ヤクーツク2053」で、ブラトフ監督は資金の借り入れをしてみたが、隣のホールで上映されていた競合映画「鉄人3」に負け、失敗した。ブラトフ監督は現在、ホームコメディーを撮影しようと考えている。
厳寒の地のホラーは身も凍る
 シャーマニズムとたくさんの神話は、多くのヤクート人の世界観の源となっている。人気の映画ジャンルがホラーなのも、それと関係があるのかもしれない。「ハアハラ」、「ハラナ・ホス」、「超常的なヤクーツク」は、笑えるほど少額予算の映画だ。だがこれら制作費2万ルーブル(約6万円)の映画は、映画館で上映され、大人気となった。
 コンスタンチン・ティモフェエフ監督はアジアのホラーに詳しく、独自のホラーを制作した。自身の作品について、こう説明する。「ヤクート人の信仰には、イエス・キリストが洗礼のために水に入ると、すべての悪魔(シュプリュキュン)が水から中界に出て行くというものがある。もし人が夜中に外に行き、毛布で体を包んで、氷上に開けた穴のわきに座ると、シュプリュキュンに頭を殴られる。痛みを我慢できれば、未来を教えてもらえるが、我慢できなければ、魂を抜かれる」
 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」風の「超常的なヤクーツク」の制作費は6万ルーブル(約18万円)。興行収入は200万ルーブル(約600万円)。ティモフェエフ監督はこれ以降、映画の撮影をやめた。「映画を撮影したいという気持ちは病。セックスをするようなもの。終わって、数日間は落ち着くけど、その後でいろいろなことが頭の中に浮かんでくる。あらすじのアイデアとか」
ヤクートの映画ビジネス
 サハ共和国は、ダイヤモンド、金、石油の産地だ。そして映画でも収入を得られることがわかった。ゲオルギー・ニコラエフ氏は映画館「レナ」で働いている。上映目録の担当者だ。「ヤクートの映画が出てくると、事前にどんな映画か調べる。作品に自信を持てれば宣伝に自費を投じる。初期の映画では慎重だったから、上映1回などに抑えていたが、たくさん人が来るようになった」
 ヤクートの映画は地元の映画館のビジネスモデルに融合し、配給側は喜んでアマチュア監督の映画を採用している。ニコラエフ氏は、映画のレベルがあがり、観客の関心も高まっているが、今のところ現地の配給側に大きな力はなく、ボリウッドを追いかけ、それをこえるようなチャンスをつくるにはいたっていないと話す。
http://jp.rbth.com/arts/2014/08/12/49607.html

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ブラジル生まれのコアップガラナはなぜ北海道で人気なの?

2014-08-15 | 先住民族関連
マイナビニュース-   [2014/08/12]
観月陸
地域限定飲料は数あれど、もともとその地で生まれた飲料ではないのに、いつのまにか地域に根付いているパターンは珍しい。その飲料とは、小原の「コアップガラナ」だ。コアップガラナは現在、ホッピービバレッジやカゴメ食品など数社で製造されているものの、同社製造のものに限っては北海道限定で発売されているのだ(通信販売を除く)。
身体にいい成分もたっぷりのヘルシー飲料
商品名にも使用されている「ガラナ」とは、ブラジル・アマゾン川流域に自生するツル性植物の果実のこと。正式学名は「パウイニア・クパーナ」。「ガラナ」の呼び名は、長寿で勇敢なブラジルの先住民「ガラニス族」に由来するという。
コリン、カリウム、カルシウム、アミノ酸、サポニン、ガラニンなど身体に有効な成分を豊富に含有しているため、健康で長生きできそうなところが名前のルーツ通り。また、アルツハイマーの症状を和らげる効果が期待されている、カテキンを含有しているのもうれしい。
コーラへの対抗策として誕生した「コアップガラナ」
さて本題。こんな飲料が北海道だけで販売されているのは一体なぜなのか。その答えをひもといてくれたのが、小原代表の小原光一さんだ。
「この飲料の誕生は、コーラと深い関係があるんです。どういうことかというと、昭和30年代前半、コーラの販売が日本で自由化されることへの対抗策として、全国の中小飲料メーカーが大同団結して開発したんです。そして、昭和35年(1960)4月、『コアップガラナ』の統一商標で販売が開始されました。
当時、ブラジルでコーラが売れずに販売元が苦戦しているとの情報をキャッチして調べたところ、ガラナ飲料が圧倒的なシェアを誇っていることが分かったため、ブラジル大使館の協力を得て、日本人向けガラナ飲料を開発しようということになったんです」。
ちなみに、「コアップ」とは「協同」を意味する「CO-OPERATION」と高揚の「UP」を掛け合わせて作った言葉なんだとか。発売当時の価格は200mlで25円。ボトルのデザインは京都の舞妓(まいこ)さんの立ち姿をイメージして作成しており、見た目にも大変美しい一品だった。
北海道は開拓精神でブラジルと響きあう!?
ところが、コーラの台頭により商品は思うように売れず苦戦。そんな中、本州に比べてコーラの進出が2~3年遅れた北海道では、「コアップガラナ」が現地のソウルドリンクとして定着していった。
「コーラの進出時期に加えて、北海道民の嗜好に合ったということも大きかったんでしょうね。私見ですが、規模は違えど、ブラジルも北海道も新天地を切り開くエネルギーにあふれた土地なので、そこで暮らす人々のおおらかな気性に響き合う"なにか"を、ガラナ飲料が有しているのではと思っています」。
ガラナにも様々な種類がある。例えば、ガラナ本来の旨み・コク・苦みをそのままいかすことにこだわった究極の1本「金のガラナ」(オープン価格)や、北海道一の老舗珈琲店「美鈴珈琲」(1932年創業)とコラボした「箱館カフェ・ド・ガラナ」(オープン価格)、売上の一部は白くまのエサ代として寄付している「ホワイトガラナ」(147円)などである。
ガラナのキャッチコピーは「ブラジル生まれの北海道育ち、ガラナのルーツ函館にあり!」。商品を飲めば、北海道民のおおらかな気性にあやかることができるかも!?
http://news.mynavi.jp/articles/2014/08/12/guarana/

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夜のチセ、伝統芸能でおもてなし アイヌ民族博物館特別プログラム

2014-08-15 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2014年 8/12)
 白老町のアイヌ民族博物館で9、10の両日、夜間特別プログラム「ポロトコタンの夜」が行われ、道内外から来場した多くの人がアイヌの伝統文化を体感した。今年は開館30周年記念事業としても企画され、初日は約150人が来場。幻想的な雰囲気の中、博物館見学や伝統舞踊などを観覧した。
 プログラムは午後5時40分の博物館見学からスタート。1組50人のグループに分かれ、学芸員の説明を受けながら博物館内を見学。アイヌ民族の伝統的な生活に関わる道具などの解説を聞きながら、文化の一端に触れた。
 この後、伝統家屋の「チセ」ではエカシと呼ばれる長老の案内で古式舞踊などを披露。神に祈りをささげるカムイノミから始まり、「イヨハイオチシ」(即興歌)やアイヌの民族楽器ムックリやトンコリの演奏と舞、アイヌ民族の男性が踊る「クリムセ」(弓の舞)、女性3人による「サロルンチカプリムセ」(鶴の舞)が紹介された。
 また、食文化の説明では、チセの天井でいぶしているサケの薫製「サッチェプ」の試食も行われ、会場のあちこちで「おいしい」との声が上がっていた。
 場内にはかがり火も用意され、観覧を終えた観光客がコタンの幻想的な雰囲気に魅了された様子。東京から夫婦2人で来場した宗万秀和さん(52)、素子さん(52)夫妻は「とても面白かった。男性が踊った弓の舞は迫力があって感動しました」と満足そう。
 苫小牧市錦岡の林眞人さん(71)夫妻は、帰省中という神奈川県在住の娘と孫を連れて来場。前日には釧路市阿寒町のアイヌコタンも訪れたといい、「白老で見た剣の舞や鶴の舞がとても良かった。孫も喜んで見ていた」と話した。
 来場者は閉館の午後8時まで園内を散策。かがり火の明かりに照らされたチセの様子をカメラに収めたり、民族衣装を着た博物館職員との記念写真を撮影するなど、普段は見られないアイヌ文化にじっくりと触れていた。
http://www.tomamin.co.jp/20140815790

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「道内地名の約8割」白老でアイヌ語初級講座が開講

2014-08-15 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年8月12日(火)朝刊】
 アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌)主催のアイヌ語初級講座が8日、白老・アイヌ民族博物館で開講し、10人がアイヌ語地名などを学んだ。
 同博物館職員の山道ヒビキさんが講師を務めた。まず「アイヌ」の意味を「神に対しての人間、異民族と区別した自分たちの呼び名、女に対しての男、尊敬される男性の名前にも使われる」と説明。アイヌ語地名について知床、平取、白老、興部の意味を説き、「北海道の地名の約8割がアイヌ語由来といわれている」と話した。
 同講座は来年3月まで毎月第2、第4金曜日の午後5時半から2時間開かれる。受講は無料。誰でも受講でき、2回目からの受講も可能。問い合わせは同博物館、電話0144・82局4199番。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/08/12/20140812m_08.html


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アイヌ文化、夫婦で伝承 野本さんに奨励賞

2014-08-15 | アイヌ民族関連
北海道新聞(08/12 07:00)
 【千歳】アイヌ文化振興に努める功労者を表彰するアイヌ文化振興・研究推進機構(札幌)の本年度のアイヌ文化奨励賞に千歳アイヌ協会の野本敏江副会長(63)=千歳在住=が選ばれた。夫の久栄(ひさえ)さん(63)も昨年、奨励賞を受けている。機構によると夫婦での受賞は珍しいという。
 最高賞であるアイヌ文化賞には本年度、木彫家の奥山幸男さん(76)=日高管内新ひだか町=が選出された。続く奨励賞には敏江さんを含めて8人が選ばれ、9月27日に札幌市で表彰式が行われる。
 敏江さんは、母校の千歳・末広小で約15年前、ホリッパ(踊り歌)やウポポ(座り歌)を教え始め、2年前からホリッパは同校の運動会の演目となった。伝統料理を本にまとめたり、カムイユーカラ(神謡)を語るDVDも制作している。
 夫久栄さんは、長女が通っていた末広小で20年以上前からアイヌ文化学習の講師役を務め、命の尊さを重んじる民族の精神世界を伝えてきた。敏江さんは子供のころに差別を受けた経験などからアイヌ文化と距離を置いていたが、こうした夫の姿に「アイヌの血が騒いだ」。二人三脚で普及活動に尽くし、今では江別や苫小牧などの小学校にも講師として招かれている。<どうしん電子版に全文掲載>
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/556408.html

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