先住民族関連ニュース

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アマゾン先住民、ダム建設で補償求め100人を人質に 弓矢で武装

2010-07-27 | 先住民族関連
(MSNニュース 2010.7.26 11:08)
 ブラジル中部マトグロソ州のアマゾン支流付近で25日、支流でのダム建設工事に反対し弓矢などで武装した先住民約400人が建設作業員ら約100人を人質に取り、被害を補償するよう要求した。けが人などは出ていない。地元民放テレビ・グロボなどが報じた。
 建設場所近くの保護区に暮らすという10部族以上の先住民。先住民の権利保護に当たる国立先住民基金によると、建設に伴い「聖なる」場所がダイナマイトで爆破されるなどして被害を受けたと主張している。
 電力の安定供給を目指すルラ政権はアマゾン地域の約10カ所でダム建設を計画。今年4月にはパラ州シングー川で世界第3位の発電量を擁する巨大ダムの建設の事業入札が行われた。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100726/amr1007261109005-n1.htm

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釧路湿原ラムサール条約登録30周年記念事業 第2弾(標茶町)開催

2010-07-27 | アイヌ民族関連
(EICネット 2010.07.21)
 環境省釧路自然環境事務所は、釧路湿原流域自然体験イベント「みんなをつなぐ湿原 発見隊」第2弾(標茶町)を開催すると発表。
 このイベントは、釧路湿原ラムサール条約登録30周年記念事業の一環として開催するもの。第1弾は平成22年7月4日に弟子屈町屈斜路湖周辺において既に開催済み。
 第2弾は、平成22年8月8日に標茶町塘路湖・シラルトロ湖周辺において「人の暮らしと湿原」をテーマに湿原・湖と暮らした先人たちの住居跡等の足跡探しやアイヌ民族伝統の楽器づくりを行う。
 同事務所では、釧路湿原流域5市町村(釧路市・釧路町・標茶町・弟子屈町・鶴居村)在住の「子ども1名(小学3年生~高校3年生)・保護者1名」を対象に先着順で20組の参加者を募集。参加希望者は8月1日までに申し込むことが必要。

○問い合せ先
標茶町郷土館
TEL:015-487-2332
FAX:015-487-2364
E-mail:kyodokan@sip.or.jp

【環境省】
http://www.eic.or.jp/news/?act=view&word=&category=&serial=23516

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のんびり丸木舟で川下り

2010-07-27 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報社 2010年 7/26)
 苫小牧市東部を流れる勇払川で25日、アイヌの人たちが伝統の丸木舟川下りを行った。かつて石狩南部方面との交通に使われた丸木舟。体験を通じて先人の生活に思いをはせ、川の安全に祈った。
 今年が14回目。北海道アイヌ協会苫小牧支部(澤田一憲支部長)が主催し、白老、むかわ、千歳支部の協力も得て、40人ほどが参加した。
 集った人々は民族衣装に身を包み、川岸で安全祈願した後、丸木舟で川を下った。舟はカツラ、センなどの丸太を削って作られる。4そう用意し、約3キロの川の旅。
 途中の国道234号の沼ノ端橋を見上げ、長いさおを巧みに操ってゆっくり進む。晴天にも恵まれ、昔の交通の風景が再現された。
 川下りを終えて、参加者は市生活館に移り、到着報告したほか、先祖の供養の儀式やアイヌ伝統料理で会食、古式舞踊を楽しんだ。
http://www.tomamin.co.jp/2010t/t10072602.html

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北京から初チャーター便 アイヌ舞踊で歓迎 帯広空港

2010-07-27 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 07/26 14:40、07/26 16:32 更新)
 【帯広】とかち帯広空港に25日午前、中国・北京からの初のチャーター便が観光客152人を乗せ到着した。ロビーなどでは、歓迎のアイヌ舞踊披露などが行われ、「北海道の玄関口」としての帯広空港をアピールした。(川原田浩康)
 チャーター機は中国東方航空が運航するエアバスA320(157人乗り)。空港では、とかち帯広空港利用促進協議会のメンバーが、地元の牛乳やチョコレートを無料配布するなどして出迎えた。帯広カムイトウ・ウポポ保存会(酒井奈々子会長)も、アイヌ民族の衣装に身を包んだ8人が到着ロビーで歌と踊りを披露した。
 一行は6班に分かれ、池田ワイン城や牧場など十勝管内を観光した後、宿泊地の十勝川温泉や阿寒湖温泉、札幌市などに向かった。4泊5日で道内を巡り、29日に旭川空港から帰途に就く予定。また、チャーター機は25日午後、道内観光を終えた中国人客を乗せ、北京に向かった。
 とかち帯広空港には8月2日も北京からチャーター機が乗り入れるほか、9月2日には上海からの初チャーター機が入る予定。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki3/243299.html

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今週の本棚:池澤夏樹・評 『メイスン&ディクスン 上・下』=トマス・ピンチョン著

2010-07-27 | 先住民族関連
(毎日新聞 2010年7月25日 東京朝刊)
 (新潮社・各3780円)
 ◇南北の境界線上に建つ物語の迷宮
 さらっと短い淡彩の小説がある一方、重厚長大な小説もある。これは後者の典型というか極致というか。
 上下二巻で千ページを超える本を前にすれば誰しもひるむ。ちょっと中を覗(のぞ)けば文体は錯綜(さくそう)して、話題はどうやら見知らぬ土地と時代のことばかりのようだ。しかし……
 地面に境界線を引く話。測量の話である。時代は十八世紀の半ば、場所は独立以前のアメリカ東部。
 この地域にはイギリス国王の勅許で開かれた植民地がいくつもあった。そのうちのペンシルヴァニア植民地とメリーランド植民地の間で境界線争いが起こり、いっそ真(ま)っ直(す)ぐな線でこれを確定しようということになって、イギリスから二人の測量士が呼ばれた。すなわちチャールズ・メイスンとジェレマイア・ディクスン。なぜわざわざイギリスからかと言えば、彼の地では「囲込(エンクロージャー)の御陰で、一介の測量屋(カタツムリ)が一人ならず御大尽となっております」という事態だったから。
 数百キロに渡る測量だからその基礎は天測。従って彼らは半ばは天文学者である。巨大な天頂儀を行く先々に運んで観測をする。実際、東西に伸びる境界線はほぼ北緯三九度四三分二〇秒の緯線に沿って確定された。この線は後に「メイスン・ディクスン線」と呼ばれた。
 これは歴史的事実である。ピンチョンは事実を土台にしてその上に何層もの階を重ね、無数の広間や小部屋や物置を構築して、通路と階段と配管と抜け道でつなぎ、とんでもなく複雑な建物を造った。この小説を読むことは、この建物の中を限りなく彷徨(ほうこう)することである。
 歴史小説だから名のある人物が何人も登場する。ジョージ・ワシントンもジェファーソンもフランクリンも出てくる。しかし作者は彼らをほんの点景としてしか扱わない。歴史に主導権を渡さず、ひたすら細部が増殖するに任せる。
 メイスンとディクスンはアメリカに来る前、イギリスから南アフリカに渡って金星の日面通過という天体現象を観測し、さらに聖ヘレナを経て、一度イギリスに戻っていた(ピンチョンはこの部分に全体の四分の一のページを割いている)。南アフリカで彼らはオランダ系の植民者が先住民を虐(しいた)げるさまを目撃する。
 アメリカに来て彼らは費府(フィラデルフィア)でパクストン団(ボーイズ)と名乗る白人の組織が米蕃(インディアン)を虐殺したとの報(しら)せに接する。この連中は更なる殺戮(さつりく)のために百四十人の米蕃が避難しているこの町に向かっている。
 二人は、「やれやれ。亜米利加(アメリカ)がこんな(丶丶丶)風だと知ってたら……」と嘆き、更に「白人の蛮行なら、喜望岬で散々見てきた。だが今になっても、あの頃(ころ)同様、さっぱり訳が判(わか)らない。自分たちは何かを理解し損ねているのだ。喜望岬でも費府でも、白人こそ、彼等の最悪の悪夢に現れる野蛮人に対し、受けた挑発に凡(およ)そ釣合わぬ暴力を揮(ふる)う悪鬼に成果てている」と考える。
 この問題はそのままアメリカの奴隷制に繋(つな)がっている。たかが東部の二つ三つの州の境界を決めたにすぎないメイスン・ディクスン線という名が歴史に残ったのは、これがやがてアメリカを南部と北部に分ける線とされ、南北戦争の象徴となり、その影響は今にまで残っているからだ。ピンチョンはもちろんそれを承知でいささか凡庸なメイスンとディクスンという人物をこの大作の主人公に選んだ。いわば彼らは多くの主題を囲い込む牧場の柵(さく)にすぎない。
 もう一つの主題として科学を挙げようか。十八世紀のヨーロッパは啓蒙(けいもう)主義の時代だった。天測の技術を持った測量士は科学の申し子である。それでもピンチョンの語る科学は生成の途中にあってしばしば不思議な道に迷い込む。
 一例を挙げれば、一七五二年九月二日、イギリスはそれまでのユリウス暦からグレゴリオ暦に切り替えた。十一日の空白が生じ、二日の翌日は九月十四日となった。後に人々は十一日間を盗まれたと言った。
 その時、メイスンは独り空白の時間に残ったと同僚に話す--「いいかディクスン、物質世界に只(ただ)一人私は居たのだ、十一日を独り占めして」。ずっと満月が子午線にかかるその世界でメイスンはゴシック・ロマンスのような冒険をする。
 こういうエピソードがこの小説には何百も詰まっている。読者はそれを一つ一つ賞味しながら先へ進む。自分がどこにいるか不明になることも多いが、やがて見知ったところに出る。
 言い忘れたが、メイスンとディクスンの物語は、その旅に同行したウイックス・チェリコークという牧師がずっと後になって甥(おい)や姪(めい)たちに語るという枠の中に入っている。というよりこの枠が時おり参照のために引き出される。
 引用したわずかな範囲でもわかるとおり、翻訳は元の擬古文を巧妙に日本語に移し、更にカタカナ語を漢語に置き換えてふりがなを振るという工夫で時代色を演出している。
 読み始めたらしばらくは現世に戻れないと覚悟した方がいいが、それに値する名作である。(柴田元幸訳)
http://mainichi.jp/enta/book/news/20100725ddm015070015000c.html

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■ 蝦夷地の風俗描く―白老で絵図が伝えた漁場の営み展

2010-07-27 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2010年7月25日(日)朝刊】
 近世から明治初期におけるアイヌ民族の生活ぶりを伝える「絵図が伝えた漁場の営み展」が24日から、白老町の仙台藩白老元陣屋資料館で始まった。8月15日まで。
 蝦夷地調査の記録として公の命を受けて描かれた絵図19点が並ぶ。同資料館の武永真館長は「和人が欲した蝦夷地の姿を探る資料として、あるいは和人が認識していた蝦夷地の風俗を探る手段、和人が蝦夷地に注いだ関心の例示として有効な資料」と同展の多面的意義を強調する。
 1・8×3・6メートルの「江戸屏風」(北海道開拓記念館所蔵)は、江差におけるニシン漁、弁財船の往来、河口付近で行われている造船の様子、交易に赴いたアイヌ民族などが描かれている。ニシン漁のかつての漁具も展示している。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2010/07/25/20100725m_08.html

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熊と救世主──サステイナブル・ディベロップメント随感

2010-07-27 | アイヌ民族関連
(サーチナ コラム 2010/07/24(土))
 かつてアイヌ文化には、「熊送り」儀礼があった。これはおそらくシベリアの北方狩猟文化にその淵源があり、オホーツク文化経由で伝播してきたものだろう。
  それによると、天の神が人々の飢え苦しむ様子を哀れと思い、それを救うために熊(食料としての獲物)の形をとって下ってきたというのだ。だから人間は、そのことに感謝して肉を戴かねばならない。さもなければ、宿った動物の体が重荷となって、神を天に帰してやることができないからだ。これが象徴的に洗練されると、仔熊を飼育しておき、成獣になった時点で犠牲とする儀式になる。
  こうして人は救われ、神もまたそのことに満足するのである。
  これはちょうど、現代の「サステイナブル・ディベロップメント(持続可能な開発)」思想にも相通ずるものがあり、必要以上のものを取って環境に回復不能な負荷をかけないという点からも、大いに省みられる生活文化形式だ。
  しかし考えてみれば、北方の狩猟民の人々には、それ以外の生き方は、本来不可能なのである。余剰物、つまり富の蓄積と利潤の再投資というようなことは、自然条件から言ってもできない。それに獲物を取りすぎればたちまちにして生態系のバランスは崩れ、結果として人間の生存も絶滅の危機にさらされる。つまり人口増ということは不可能であり、またそれを望むこともないし、できない。つまりは、一定の均衡下に動物から人間までの生態系が維持されざるを得ないわけで、その制約を理解し納得し説明づけるためにも、上記のような神話(自然理解)と祭祀儀礼が生まれてきたのだろう。
  だがこうした自然理解は北方狩猟文化に限ったことではなく、農耕文化においてもまた見られるところで、たとえば山の神が田の神となるという民俗学のセオリーも、これと同一次元にあるのだろう。山の神は水という生命力として里へ下り、田を潤して稲の実りの形で収穫をもたらし、食料を与えてくれる。だから人は稲穂を刈り取って感謝を表わしながら食し、「ア~山の神様お帰りダ~」という木遣り唄とともに送り返すのである(この生命力を受胎させる触媒としての男性原理が何者であるかは私は知らないが、おそらくは雨、稲妻、それを象徴する蛇、注連縄、紙垂などがそれに当たるのであろう)。ただし農耕社会においては、備蓄という要素が、しだいに大きく加わっていくところがある。
  いずれにせよわれわれは、人類の危機と苦難(飢餓)を救うための神の降臨および自己犠牲という類型を、ここに見ることになる。狩猟・収穫という「殺生」行為の、それは合理化でもある。とはいえそれは、「神に与えられたもの(=必要)以上には奪わない」ということにおいてのみ許される。逆に言えば、必要以上に収奪することは許されず、その行為は神からの罰(=絶滅)を受けるのだ。
  だからもちろんわれわれは、史上最大のベストセラーと呼ばれる、あの“ザ・グッド・ブック”を思い浮かべることができる。搾取と貧困の苦難にあえぐ人々をふたたび憐れんだ神は、人間の最大の願い「原罪のあがない」を叶えるべく、救世主を遣わされた。だから人々は、その人を「犠牲にしてやらねば」その神性を天に返してやることができない。われわれは、その人を犠牲にすることで心の飢餓を満たし、感謝して神の右に置いてやらねばならないのである。そして、その方はパンを裂き、ワインを注いで言われなかったろうか、「私のからだを食べ、血を飲みなさい」と。
  かくして、「鳩(プネウマ/息吹)=鳥として下り、血=水で清め、一粒の麦となった」この方の「赦し」の物語は成就する。
  だが、人の心は満たされずに迷ったままだ。飢餓が毎年なくならないのと同様に、争いもまたなくならない。だから、〈ヘブル人への手紙〉はそうでない解釈をするのだが、熊のカムイが毎年来るように、田の神が毎年実るように、苦しむ人間の心を救うためにも、イエスもやはり毎年クリスマスに誕生し、生涯と死とが繰り返し追憶され、復活が祝われねばならないのだろうと、私は考える。
  それにしても、ねたみ、そねみ、憤懣、対立、紛争、戦争…が、他ならぬ啓典を奉ずる人々の間で最も熾烈なのは、悲しむべきアイロニーだ。奪取と蓄積のエンジニアリングにばかり血道を上げ、人間の外面(社会)にも、内面(心理)にも、さらには自然にも負荷ばかりかけるのはなぜだろう。
  毎年の「赦し」が、その合理化のみに利用されるのであってはならないはずである。
  農耕文明といえども、あまりに必要以上に消費しないという歯止めは、どこかであるべきではないだろうか。
考えを触発される参考文献:藤村久和『アイヌの霊の世界』(小学館創造選書56、01982)、中沢新一『熊から王へ』(講談社選書メチエ239、02002)(執筆者:濱田英作 国士舘大学教授  編集担当:サーチナ・メディア事業部)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0724&f=column_0724_007.shtml

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