呑む気オヤジ/蔵王山麓蓬莱庵便り

蔵王山麓暮らしのオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

観る・聴く・丸呑み!~Classical Vocal Concert

2007-11-22 | コンサート・LIVE・演劇などの話
友人のYが出演するというので聴きに行った。
もっとも出演者が大勢いて、2~3曲ずつ歌うので3時間を越す長丁場のため
そのうちYの前後数人しか聴けなかったので、「覗く」程度だ。

Yはソプラノとアルトのデュエット1曲だけの出演。もっと歌えばよかったのに。
四谷の住宅街にある「石響ホール」という数十人も入ればいっぱいの小さな会場だ。
Yからはコンサートの趣旨や主催を聞いていなかったので、どういう方々が出演しているのかよく分からなかった。
正直言えば、人前で歌うレベルに達していない方もいらっしゃったが、それぞれの出演者がみんな、「歌うことが楽しくて仕方がない」という雰囲気に溢れていた。
世の中ではこれだけカラオケが普及し、歌うこと、それを人に披露することの楽しさを相当数の日本人が謳歌している訳だから、クラシック好きの方や声楽を学んでいる方たちが、人前で歌いたいと願望することは、極めて真っ当な欲求だろう。
だからこのような発表会形式(無料)のコンサートも有意義だし楽しいものだ。
それにこのような場に接すると、音楽好きのオジサンの血が騒ぐのも事実で、とてもよい刺激となった。
大きな声で、腹の底から心の奥から歌いたくなった。

仕事の関係で、折角入団した神奈川フィルの合唱団も休団(実質退団?)を余儀なくされた。
喉の調子も、相変わらず嗄声(させい)でイマイチどころかイマサンだ。
何か楽器をやりたくても、合唱に参加したくても、時間がないし気力も沸かない。
でも最近、人間は生まれながらにして「声(=歌)」という最高の楽器を持っているということに、改めて気付かされた。
その楽器が人のより多少は使えるものならば、何もギターだ、ピアノだ、サックスだなどと、いろいろ手掛けなくても、生まれつき持ち合わせているものをもっと大事に育んでやれば良かったと後悔している。
音楽、特に演ずる部分では、いろいろな楽器やジャンルに手を出し過ぎて、また努力もツキもなく、結局モノになったものがない。
返す返すも残念だ。
「(合唱でもソロのレッスンでも)歌は今からでも遅くないよ」と慰めをいただくが、やっぱり遅きに失した感は否めない。
なに、プロになる訳じゃないんだから、早いも遅いもない?
はい、仰るとおりであります。




コメント
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