🎵午前中にFさん宅をお暇し、白老町に向かった。なぜ白老? こちらも思い出の地なんだよ。札幌から白老は道央道(高速道路)を使えば簡単だし早いが、思い出を辿るんだからやっぱり一般道を行かないとね。峠を越えて支笏湖を眺めながら走る。快晴で気持ち良いねー。
🎵さて、白老の一つ目の目的地は2020年にオープンした「民族共生象徴空間ウポポイ」。 うわー、すごく広くていろいろある見るところがある施設だな。昔札幌に住んだ時にボクの両親と白老に来たことがある。その時は小さなアイヌ資料館みたいなのしかなかったと思うが、すごいのが出来たね。
施設内の国立アイヌ民族博物館。こちらも見応えがある。
チセ(家屋)群はアイヌ民族の普段の生活を再現している。ホンモノの鮭が吊るされ、囲炉裏に炭火が熾っている。
うーむ、こんなに見るべきモノがたくさんあるとは。もっと事前に調べてから来るんだった。アイヌの伝統的舞踊や歌などもやっていたが、時間がなくて全然見れなかった🥲。
でもソフトクリームは食べるぞ!
🎵そして本日の一番の目的はここ。仙台藩陣屋跡。ここは幕末の鎖国時代に蝦夷地を外国の侵略から守るために、仙台藩が幕府の命により陣屋を築いたところだ。土塁が巡らされて天然の堀もあり、立派な平城だ。
敷地内には仙台藩白老元陣屋資料館がある。 で、なんでここに来たかというと、この陣屋の最後の代官が草刈運太郎という方。ハイ、我が母親のご先祖に当たる方なんですよ。 ボクの祖父(賢治の最後の主治医だった)の更におじいさんの年齢の人なんだけど、直系のご先祖さんか運太郎さんの兄弟系列なのかははっきりしていない。でも元を辿れば間違いなくボクと血が繋がっているんです。
草刈運太郎さんは、(ボクと一緒で😆)とても人徳のある人で、村人やアイヌの人たちのためにいろいろ尽力を注いだという。その後戊辰戦争で仙台藩が幕府側だったため、官軍と小競り合いがあり深傷を負ってしまう。みんなを仙台に帰した後も自分1人白老に残り、最後は武士らしく切腹して自ら命を経った。
白老の村人や地元のアイヌ民たちは、面倒を見てくれた運太郎さんの恩をいつまでも忘れずに、今の時代まで墓を守り功績を讃えている…というお話。
館長さんに繋がりをお話ししていろいろ資料をいただいて来たので、戻ったら勉強してみようと思う。ここも25〜26年前に両親を連れてやって来たところなんだよね。
運太郎さんのお墓は白老から苫小牧に向かう途中の社台というところにある。地元の方が立派な屋根まで造ってくれて毎年供養しているという。今回は時間がなくて寄ることができなかった。とっても残念❗️
さぁ、仙台に帰ろう。帰りのフェリーは「きそ」、往きの「きたかみ」より一回り大きくて国内最大級のフェリーだそうだ。
ロビーの階段も3階まで吹き抜け、船内にはレストランだけでなくホール兼シアターもある。今晩はエレクトーンの生演奏をやっていたよ。そのあとは映画上映もある。
あー、このまま明日も名古屋まで行きたいなぁー。