”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2012年06月12日 21時07分02秒 | Weblog

6月12日(火)曇のち雨

いよいよ本格的な梅雨に入ってきたようです。この機会に自転車での通勤を中断して、地下鉄の駅まで歩いてみようと思います。歩数計で計測してみたところ4000歩ぐらい増える結果になりました。少し通勤時間がかかりますが、しばらく続けてみて減量にどの程度効果があるか調べてみることにします。ちなみに自転車通勤での歩数では全然効果はなかったので、今度は少しは効果が出ることを期待しています。それでもダメなら更に歩数を増やすことになるかもしれません。

さて、昨日はサド侯爵夫人のルネ・ペラジーの話でしたが、今日はワンダ・リューメリンの話をすることにします。サドがあればマゾがあると言うことで、マゾヒズムの元祖レオポルド・フォン・ザッヘル・マゾッホと奇妙な契約結婚をしたワンダ・リューメリン(本名はオーロラ・リューメリンと言う)と言う女性の話である。時は19世紀末のオーストリアである。マゾッホも貴族で警察署長の息子として、恵まれた環境の中で育ち、20歳でグラーツ大学の歴史学講師になり、その傍らで小説を書いていました。この大学講師の書く小説は、きまって驕慢な女とその女に屈従することを喜ぶ男がでてくるのです。いわゆるマゾヒズム小説なのである。こんな小説でマゾッホはたちまち流行作家になるのです。もっとも有名な小説は「毛皮を着たヴィーナス」と言う小説だそうですが、この小説では残酷な美しい女ワンダが、彼女の崇拝者である男の前に素肌の上に毛皮のコートを着て鞭を持って出て来るのです。そしてどうするかは御想像にまかせますが、とにかく多くの人に読まれるようになるわけです。そしてマゾッホの前に不思議な女が現れました。彼女はワンダ・リューメリンと名乗り、マゾッホの小説の愛読者であり、洋裁学校に通う娘でした。彼女は27歳、まだ未婚でしたが、結婚経験者のように振る舞い、マゾヒストの彼に喜ばれるような態度で接し、ある契約を交わして夫婦となりました。つまりワンダが絶対権力のある女主人で、マゾッホは彼女の命令を何でも聞く卑しい奴隷になると言う小説の筋書き通りの契約を結ぶのです。この奇妙な関係が10年も続いたと言うから驚きます。マゾッホはほんとうにマゾだったのだろうし、ワンダも負けず劣らずのサドだったと言うことになります。
やがて10年後二人は別れ、ワンダは別の男といっしょになり、マゾッホも若い女性と再婚します。その後のことは何も記録がないのでよくわかりません。ただワンダと言う女性は生まれつきのサドだったのか、それともサディストの役目を演じていたのか、演じている内にサディストになってしまったのかと言うことは永遠の謎のようです。

昨日、今日とサド・マゾの元祖となった貴族と結婚した女の話をしてみました。ヨーロッパにはいろいろ伝えられている女性の話は尽きません。レスビアンの元祖サッフォー、冷血女のサロメ、稀代の女毒殺魔ド・ブランヴィリエ夫人等々。
日本にも数奇な人生を歩んだ細川ガラシャ夫人、建礼門院平徳子など話のタネになる女性はたくさんおります。またいつかこれらの人の話もしてみたいものです。それではまた。

コメント
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