”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2012年06月27日 20時58分02秒 | Weblog

6月27日(水)曇時々晴

こんばんわ。街を歩いていたら1000円のリュックサックがあったのでつい買ってしまいました。リュックは通勤にもヨットにもウォーキングにもいつも使っているので実はたくさんあるのですが、ほとんどが黒なので、ウインドで見かけたグレーのリュックが気になって手にとって見ると1000円の値札につられて買ってしまいました。今度のウォーキングにでも使ってみようと思います。

ところで今日は男ならきらいと言う人は世界中に一人もいないではないかと思うハリウッド最後の大スターマリリン・モンローの話をしましょう。本名ノーマ・ジーン・ベーカーは私生児として生まれ、7才の時に母親が発狂し、孤児院に入れられ、14才で最初の結婚をしたと言われています。彼女は貧困と逆境の中で育ち、この悲惨な幼年期のトラウマから誰かに愛されたい、保護されたいと言う激しい欲求、ノイローゼ、気まぐれな性格が由来しているとも言われていますが、それ以上に僕はハリウッドと言う特別な社会でもみくちゃにされてしまい、平和な家庭の幸福を犠牲にしてしまったのではないかと思うのです。誰もが知っているように二度目の結婚は大リーグのスタージョー・ディマジオとでした。新婚旅行では日本にやってきて、甲子園球場での話は日本人なら誰でも知っていることと思います。ジョー・ディマジオはやさしい夫でしたが、非常に嫉妬深かったと言われてます。「七年目の浮気」のなかで、地下鉄の通気口の下から吹いてきた強い風によってモンローのスカートがぱっとまくれあがる有名なシーンがありますが、この撮影の時、居合わせたジョー・ディマジオは真っ青になって怒ったそうです。ディマジオの気持ちもわからない訳ではないけど・・・・・。結局離婚して3度目は劇作家アーサー・ミラーと結婚します。最初はきわめて順調な結婚生活だったようですが、この結婚生活も、モンローが疲労と不摂生によって、愛する夫の子供を二度も流産してしまい、二人の仲は急速に冷たくなり、やがて離婚へと発展します。その後モンローは孤独になり、カメラ恐怖症になり、神経科の治療を受けたり、睡眠薬を用いるようになりました。そして1962年8月5日、ロサンゼルス郊外の自宅で多量の睡眠薬を飲んで死にました。自殺なのか事故死なのかは現在も不明のままです。34才と言う若さでした。寝る時は何を着てる?と聞かれ「シャネルの五番」と答えたモンロー、モンローウォークは「生まれて6ヶ月目から、あんな歩き方をしていたわ。」と答えたモンロー、彼女の最後はベッドに仰向けに寝て、首までかけた蒲団の下は全裸だったと言うモンロー、スキャンダラスで気ままでわがままな女なのになぜか惹かれる可愛い女がマリリン・モンローなのです。ハリウッドのスターとして栄光の絶頂にありながら、34才と言う若さでこの世を去ってしまったから50年と言う月日が経っても昔のままのモンローなのかもしれません。
今日はここまでです。

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