”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2012年06月30日 22時01分38秒 | Weblog

6月30日(土)晴時々曇

こんばんわ。この時期の天気予報はあたりませんね。おかげで明日のウォーキングは中止になりました。折角のウォーキングプランもグルメプランも没となってしまいました。まぁ中々思うように行かないのが世の中ですから、あまりカリカリしてもしかたありません。自然の摂理に合わせてエンジョイしていくのが人間の宿命のようなものですから、これでよかったのだと思うことにしました。俳句の会が明日なのだそうですが、こちらも予定していなかったので、今更行くとも言い難いし成り行きで考えることにします。

ところで今日の女性の話は中国四大美人の一人、王昭君の話をしようかと思います。中国の四大美人と言えば真っ先に唐の楊貴妃が出て来て、あとはあまり知られていないようですが、春秋時代の呉・越の西施、三国志に出て来る貂蝉(ちょうせん)、漢の王昭君のことを言うようです。楊貴妃は羞花美人と言われ、宮廷の庭を散歩するとその美しさと芳香によって庭の花も恥らい萎んでしまうほどであったそうです。西施は貧しい薪売りの娘でしたが越王に見初められ宮廷にあがり、やがて呉王・夫差の元に送られ、その美しさに溺れた呉王は国を滅ぼすことになるのですが、沈魚美人と言われ、川で洗濯する姿に見とれて魚が動けなくなったと言われるほどの美人でした。貂蝉は閉月美人と言われ、彼女が天下を憂いて物想いにふける様の美しさに月が恥じて雲に隠れてしまうほどでした。そして今回の本命、王昭君ですが、彼女は漢の元帝の妃でしたが、元帝の後宮には三千人の美女達がおり、彼女達は帝の寵愛を得るために画家に賄賂を贈って、それぞれ自分の肖像画を美しく描いてもらおうと懸命に争っていました。元帝は美しい女は自分のためにとっておいて、いちばん醜い女を匈奴の王に与えようとしたのです。ところが王昭君だけは自分が後宮で一番の美人であることを良く知っていたので、肖像画家に賄賂を贈らなかったので、画家に醜く描かれてしまい、北方の蛮族ののもとに嫁がされることになってしまったのです。匈奴の国に旅立つ前に、元帝が王昭君を呼び寄せると、案に相違して、彼女こそは後宮三千人の中の一番の美人であり、しかも礼儀作法や応対ぶりも並はずれて立派だった。そこで元帝は大いに後悔するが、もはや後の祭りであった。のちに元帝は王昭君を醜く描いた画家を怒りにまかせて処刑したと言う。漢の時代は隣国との友好関係を結ぶために、隣国の王に身分の高い女性を提供するというのですから、今の世では考えられない野蛮な風習があったのです。この悲劇のヒロイン王昭君はいよいよ国境を越えて匈奴の国に入る前に故郷を偲んで琵琶を奏でたと言う。故郷漢の方向に向かって飛んでいた雁たちが、その美しい音色と王昭君の美しさに見とれて次々と落ちてしまったことから彼女は落雁美人と呼ばれたそうな。
この中国四大美人の中で王昭君だけが悲劇のヒロインと言えるのであって、楊貴妃は玄宗皇帝が国を滅ぼす元凶となるし、西施は呉を滅ぼす元凶となるし、貂蝉は三国志だけの架空の人物とも言われ、呂布と董卓の争いの元凶なのです。まぁ世の中絶世の美女と言うのは諸悪の根源になりやすいと言うことかもしれませんが、なぜか王昭君だけは僕が惹かれるいい女なのです。賄賂も贈らず醜い肖像画を描かれても毅然としている姿が目に浮かぶからかもしれません。現代で言えば化粧で化けなくても十分に美しい人だったのでしょう。と言うか誰でも素の美しさを持っているものです。そんな素を大切にしてほしいものです。
今日は長くなってしまいましたがこれまでです。ここまで読んでくれてありがとう。

コメント
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