goo blog サービス終了のお知らせ 

西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

丹下健三の平和記念公園と寝殿造り

2006-03-13 | 住まい・建築と庭
今日、NHKのBSHIで「丹下健三」をやっていた。私が京大建築の学生だった頃(1960年~1966年)、丹下さんは東大教授で日本での建築家のスーパースターになりつつあった。私の京大での先生である西山夘三先生は、一見、丹下さんを批判していたが、よく考えてみると、そのことによって西山先生自身の考えを発展させていた面があると思う。西山さんが「京都計画」をつくったのは丹下さんの「東京計画」に触発されたものであるし、晩年、琵琶湖に建つ丹下さん設計の超高層「プリンスホテル」を批判することで景観としての「大空」の重要性を発見しているのだ。
丹下さんの戦後の原点は、広島の平和記念公園であると思う。原爆ドームを原点に、平和記念館、慰霊碑、そこから見える原爆ドーム等、非常にすっきりした設計だ。今回、指摘されていないが藤森照信さんは、原爆ドームと逆の方向の海(瀬戸内海)との「つながり」を指摘していて面白い。(05年8月31日ブログ参照)丹下さん自身、「伝統とつながるのが本質的」と言っているが、この平和公園を見ていて、寝殿造りの伝統も埋め込まれている、と感じた。つまり「寝殿」たる平和記念館の前にコンクリートの道路、芝生がある。これは寝殿につらなる白砂などが敷き詰められた庭である。その先に池がある。これも寝殿造りに見られる。そして、その先に樹木群、林が見えているのだ。これも寝殿造りの配置と同じである。「寝殿」(平和記念館)の左右に「西の対屋」「東の対屋」にあたる建物がそれこそ廊下を通じて接続しているではないか。このように分析し意味を指摘している人は、ひょっとして未だいないのではないか。少なくともテレビでは言っていなかった。これらは、コンセプトとして、私が自分で今日発見したように、平和記念公園は、「現代寝殿造り型配置」の一つに違いないと思うがどうだろうか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿