西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

映画「ローマの休日」裏話より

2011-05-23 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、BS(CS)用にパラボラアンテナを設置したので時々BS(CS)を覗いてみる。二三日前にNHKBSで、まあ映画「ローマの休日」の制作背景、裏話があって面白かった。

私は若いころ、特に高校時代、期末試験の後などに洋画を良く見た。多分「ローマの休日」もみたのではないか。当時、私はハリウッドで急速に人気が出てきていた「新人」オードリー・ヘップバーンに惹かれていた。「戦争と平和」「昼下がりの情事」「ティーファニーで朝食を」等を見た。大学に入ってから「マイ・フェア・レディ」も見たと思う。

それらの中でも「ローマの休日」が一番だと今でも思う。

で、この「ローマの休日」は、戦後アメリカで行われたハリウッドに狙いを定めた「赤狩り」(マッカーシー旋風)の真っ最中に、ウイリアム・ワイラー監督の下でローマでロケで行われた。ハリウッドでの「セット」は全くなかったようだ。これもワイラー監督が、自由に演出し自由に撮影したい、ハリウッドではそれは出来ない、と判断したためだ。

映画会社パラマウントとの交渉で、当初主役アン王女にエリザベス・テイラーを会社が推してきたのをワイラー監督は、オードリーヘップバーンを推し、「お相手」の新聞記者ジョー・ブラッドリーにグレゴリーペックを推して押し通した。

スタッフで一番の目玉は、原作・脚色であるが、スクリーン上ではアイアン・M・ハンターとなっていたが、実は「赤狩り」で「追放されていた」ダルトン・トランボが実作者だったのだ。次に協同プロジューサーにレスター・コーニックを起用したのも決断だった。

実はワイラー監督自身を始め皆「反赤狩り」陣営、とりわけダルトン・トランボがそうだった。

これらは歴史上の「物語」で、非常に興味を覚えた。何か資料を調べてみたい。

今日、急に「ローマの休日」のビデオが家のどこかにあったのを思い出したので屋探しして見つけた。古いビデオ映写機を通して新品の地デジ用の液晶画面に映してみたい。

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