西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

恭仁宮(くにきゅう)跡周辺散歩-1

2007-11-26 | 訪問場所・調査地
先日の日曜日、小春日和で気温も上がって温かだった。地域SNSの友人3人と我々夫婦の5人で、木津川市の旧・加茂町にある恭仁宮(くにきゅう)跡とその周辺に散歩に出かけた。恭仁宮跡は、聖武天皇が740年から4年間営んだ恭仁京の中心であった所だ。最近、その大極殿の回廊跡の発掘調査が行なわれ、柱間隔等の検討から平城宮の移築があったのではないか、とのことだ。とすると、聖武天皇は一時的に平城京からここに移住するのではなく、はっきり遷都の意志があったと、思われる。これは何故か、又何故4年間で、又、結局、平城京に戻るのか、色々言われていて興味深いが今後の議論に委ねる。しかし、遷都に先立つ735年に光明皇后の夢の枕元に海住山寺のある所に寺を建立するようにとのお告げがあり、実際に寺を造った。又、光明皇后は豪族(藤原氏)からの初の皇后で、施薬院などもつくっていて現代の福祉の原点でもある感じで実力者、それに都を造ろうとした場所は、光明皇后の兄・橘諸兄の領地でもあり、言わば藤原家が都を「誘致」した格好になっている等は面白いポイントと思う。光明皇后「貴方!彼の地は私の発願のお寺もあり、兄の橘諸兄の領地でもありますよ。是非、あそこに恭仁京を造りましょうよ」と聖武天皇に言ったかどうか分らないが、そういうシーンも思い浮かべられる。この紀元740年前からの4、5年間は小説になると思うが恐らく誰かが既に取り組んでいるに違いない。(続く)
(写真は、恭仁宮・大極殿回廊発掘現場ーasahi.comによるー)

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