西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

フランダース地方訪問(1)アントワープ(ルーベンス絵画)

2011-11-02 | 訪問場所・調査地
ベルギーのフランダース地方(英語名、フランス語でフランドル、オランダ語でフランデレン)のアントワープ、ブリュージュそしてゲントに行ってきた。

フランダース地方は、ブリュッセルより北側、オランダに国境を接する、オランダ語が公用語の地方である。アントワープは、ブリュッセルより、ほぼ北に45kmバスで約1時間である。2日目の午前中に行った。まず、市庁舎やギルドハウスの建ち並ぶ「クロート(グローテ)・マルクト」(ブリュッセルではフランス語のプラスー広場ーがアントワープではオランダ語のマルクトー実は市場ーとなる)に行き、都市名にも関係ある「ブラボーの噴水」も見た。

そこから「グルン広場」に行き、中央に立つルーベンス像を見上げた。背後に後に行く「聖母大聖堂(世界遺産、フランス語では「ノートルダム大聖堂」)」の123㍍の塔がそびえて見えている。ルーベンスは、フランドル絵画の代表、アントワープ生まれ、1577年―1640年、1600年から8年ほどイタリア「留学」、新しい画法を持ち帰った。

ところで、「フランダース」と聞くと、日本では小学生の時に読んだ『フランダースの犬』という童話が有名(但しベルギーでは全く無名)、少年ネロ(ネルロとも)と犬パトラッシェの「胸の詰まる」物語である。ネロはアントワープ郊外の村に住んでいるが、画家ルーベンスに憧れ、大きくなったら画家になりたい、と思っている。村でおじいさんの手伝い、おじいさんが病に倒れてから自分とパトラッシェとで村から町へ牛乳を運ぶ仕事をしていた。アントワープでは、ルーベンスの絵を「教会」(聖母大聖堂)で見ようとするが、カーテンで閉じられていて、お金を出さないと見られない。貧乏で、お金がなくずっと見られなかった。

その後、おじいさんが亡くなり、女の子(友達)アロアの家が火事になり、ネロが疑われたり(放火)、家賃が払えず家を追い出される。途中、パトラッシェがアロアのお父さんの財布を見つけ、ネロが届ける。頼みの絵画展に応募していたが落選、失意のネロは、雪の中アントワープの教会にルーベンスの絵を見に行く。クリスマス前でカーテンが開いていて憧れの絵(キリスト降架)を見ることができる。クリスマスの朝、人々はネロとパトラッシェがルーベンスの絵の前で抱き合って冷たくなっているのを見つける・・・。(何だか、アンデルセンの「マッチ売りの少女」に最後が似ている。)

このネロが憧れたルーベンスの絵を我々も見に行った。教会は、宗教空間ではあるが、彫刻や絵画の展示空間でもあることが、ここにルーベンスの絵が4枚、飾られていることでもわかる。ルーベンスの絵以外でも見事な説教台、ステンドグラスなども見ものであった。

さてルーベンスの絵であるが、祭壇正面には「聖母被昇天」(聖母マリアの昇天画)、向かって左には「キリスト昇架」そして向って右には、ネロとパトラッシェの見た「キリスト降架」(1612年、上写真ー検索写真ーキリストが十字架から降ろされる図)である。解説によると、これらの絵はルーベンスのイタリア留学の成果として、画面の斜め線方向を強調して巧みに人物を配している、という。

アントワープに来た最大の成果は、ルーベンスの本物の傑作を、美術館ではなく本来あるべき場所において見られた、ということだな、と帰りのバスでかみしめていた。


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