西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

新井 満さんの「良寛さん」の話を聞く

2009-04-17 | 時論、雑感
昨日、今日と作家・新井 満さんの「良寛さん」の話をNHKラジオで聞いた。

新井さんが最近試みている古典等の「自由訳」シリーズ(例えば、『般若心経』『イマジン』など)で、故郷・越後の良寛さんの漢詩を自由訳された話だ。

その本はまだ読んでいないが、読んでみたいと思う。

良寛さんは江戸中期に生まれ末期に亡くなった。享年74歳と言われる。越後の出雲崎の生まれ、町の名主の家柄に生まれる、橘家で、伝では奈良時代の左大臣・橘諸兄が先祖と言う。(だとすると、私が住んでいる近くの井手町に橘諸兄の旧宅跡があるのを思い出す)

しかし、名主の仕事は性に合わず出家する。「五合庵」という庵をむすんで色も欲(財、地位、名誉)も捨てた生活をする。長岡藩主から「寺を持ったらどうか」と言われたが、「炊くだけは風が持て来る落ち葉かな」と返事した。(つまり断った。炊くのには落ち葉があればそれでいい、ということ)しかし、このように俳句は勿論、漢詩、和歌や書において優れ、強い影響を与え今日に及んでいる。

夏目漱石も、良寛さんの書や漢詩に感心しており、晩年の「則天去私」は、良寛さんの影響ではないか、との説がある位だ。

新井さんは700編もある良寛さんの漢詩から24編を精選し、春夏秋冬そして再び春という具合に編集された。音楽(創作)入りの朗読にも感心した。「千の風になって」の歌を聞いたのを思い出した。(新井さんのサインの入ったその本を持っている)

新井さん自身の急性十二指腸潰瘍で死にそうになった経験を、良寛さんの極貧の生活と重ねながら話をされ、九死に一生を得て、助かったとき、「息をして生きていること」「温かいご飯が食べれたこと」そして「ビールがコップで飲めたこと」から何とも言えず幸福感を感じたことを述懐された。

つまり、そういう最低の生きている要求が「幸せ」の原点なのだ。財も地位も名誉も、そういう「幸福」には必要ないことを良寛さんは教えてくれると言う。

しかし、と新井さんは言う。生きる「最低の生活」をしながら自由自在の生活で、漢詩、和歌、俳句そして書を嗜み文化的には「最高の生活」ではなかったか、と。

うーん、私もそういう生活、憧れるなーと思ったが、良寛さんの前には西行や芭蕉などがいたが後にはだれがいるのだろう、とも新井さんは言っていた。

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