西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

学習「平衡老化」(佐々木英忠著)-4

2011-11-27 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
結論的部分である。

五、非薬物療法

「認知症で、向精神薬の代わりに大脳辺縁系に心地よい刺激を五感を通して与えることによりBPSD(精神行動異常症状)は、治療でき、患者からも感謝の言葉を引き出せる方法は非薬物療法である。高齢者医療をすべて医療(薬物)でまかなうとすれば、無制限に医療費は増大しよう。しかし、非薬物療法は医療者ばかりでなく、介護者やひいては家族も実践しうる。しかも費用はほとんどかからない。(私注:五感を心地よく刺激しようとすると、それなりの費用はかかる!)
今後、科学的根拠にもとづいた非薬物療法を大いに開発する必要があろう。

 高齢者が肺炎をはじめとする多くの病気になるとき医療が必要なことは言うまでもないが、病気に到らないように、大脳辺縁系を心地よく刺激するようにする非薬物療法は、亡くなるまでの長期間も考えて、より重要な比重を持っているのではないかと考えられる。

 高齢者に非薬物療法を医療より重視することは、あきらめたのでは決してない。むしろ、効果の少ない医療で最後までがんばるのではなく、非薬物療法で大脳辺縁系を楽しませ、満足させ、平衡老化を保つ積極的治療である。

 今日の社会を見廻してみると、子供には試験を課して、点数という新皮質の良さで分別をしている。社会人になってからはお金という手段で分別される。その結果、いじめ、不登校、非正規雇用労働者、自殺など多くの問題を生じさせてきた。高齢者になっても、認知症という、誰でも生じる脳の老化、特に新皮質の良し悪しで、病気にされる。認知症は、大脳辺縁系を大切にする方法をとると、にこにこして満足した顔にすることができる。つい先頃まで、縁側で日向ぼっこをして、隣近所の人が入れ替わりお茶を飲みに来て、誰が来たかすっかり忘れても、良い日だったと過ごせる能力を持っていたのである。

 子供から高齢者まで新皮質を大切にする社会を作ってきた結果、負け組と言われる人達を生み出したばかりではなく、勝ち組もいつ失うかと不安になり、結局は両者が犠牲になってしまっていると言えよう。新皮質に主眼をおく社会は間違っていると言わざるを得ない。

六、結語

「平衡老化から考えて、道具という新皮質を大切にする社会規範ではなく、大脳辺縁系という目的を大事にする社会規範を作る必要がある。これまでは、新皮質を目的とし大脳辺縁系を軽視するあやまった方向に向かってつき進んできたのではないか。

 小さなグループを考えると、全員参加型ののグループはグループ内のいざこざという余計な紛争もなく、結局は満足の得られるグループになることは経験から言えよう。

 認知症から教えられる平衡老化から考えても、全員が満足できる社会規範が今後の方向の一つと考えられる。かって、分子生物学を専門とする研究者から、老人医療はまもなく亡くなるような人を対象とするレベルの低い学問であるから不用とまで言われたのを散見したが、分子生物学という新皮質の道具を大切にしてきたゆえの考えであったからだろう。」(

認知症のとらえ方から始まって、新皮質「一辺倒」批判、新しい社会規範の必要性まで論じるという幅広さと面白さをもつ論考だった。(最後、一寸分りにくいところもあった)

認知症は、新皮質のどうしようもない劣化から起こっていて、一方、古い起源のある旧皮質である本能や情動をつかさどる大脳辺縁系がまだ有効に作動しているとすると、そこに非薬物的に働きかけ、楽しませる方法、例えばアロマ療法(臭覚、触覚刺激)、音楽療法(聴覚刺激)、食餌療法(味覚刺激)、風景療法(なんてあるのかな、視覚刺激)、・・・などを楽しく開発・応用していったら、という展望が見えてくるが、どうであろうか。
(新皮質もなおせる、と考えられるのかどうかも大きな問題!・・・)