西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

「原子力発電所」と地域開発(続き)

2011-08-25 | 京都の思い出(助手時代)
昨日の続きである。今日から読まれる人は昨日の分から読んで欲しい。また、昨日読まれた人で「文字面がおかしいな」と思われた人もいたかと思いますが誤字を訂正しました。


<現状で「原発」が地域に与えるマイナス>
 以上によって、「地域開発に役立つ」という内容の一応の批判・検討を終り、その他現在のようなやり方ではどのようなマイナスを地域に与えるかについてふれてみよう。
 まず、「土地の買収」と「漁業補償」である。これらについては極めて早い時期に電力会社が「手」を打ってくる。「土地の買収」にしても目的を明らかにせぬまま行われることもある。また土地を手放したがらない住民には土地収用法の適用をちらつかせたり、地域ボスに金がばらまかれることもしばしば耳にする。「漁業補償」も漁協の一部の幹部と話をつけるというやり方が一般的である。これは地域民主主義、住民自治の観点から明らかにマイナスである。その上、地方自治体の幹部もそれに加わるとき、自治体行政が歪曲されていく。福井県大飯町の前町長は町民に不利な「仮協定書」を秘密裏に電力会社と結んでいたことからリコール運動が起こって辞任せざるをえなくなったのである。
 「土地買収」「漁業補償」はまた結局、農業や漁業の継続にマイナスの要因である。
 次に、「原発」はかなり多量の洗浄用淡水をも要求し、そのことが、農業用水や生活用水と競合する。若狭湾岸大飯町の例では、117.5万kw2基で4千立方㍍/日の淡水が必要といわれ(「安全専門審査会答申」後の資料による)、それは、町人口約6千人の生活用水千8百立方㍍/日に比較しても莫大な量だということがわかる。これを、町を流れる二級河川佐分利川の表流水、伏流水から取水するとすれば、生活上、農業上きわめて問題である。というのは、過去にも5~6年に一度の割で渇水が起こり農作物に被害があることが知られており、また最近の「クーラー」の普及がただちに地下水位の低下に連なったという事実もあるからである。(「同上書」p.52~54)
 その他、「原発」への核燃料や、そこからの廃棄物の貯蔵や運搬の問題、高圧線の電波障害の問題、揚水発電所への送電問題などがある。
 このような問題は、現状のような臨海工業地帯の電力危機論を背景とした強引な原発の過疎地立地主義では解決できない。それが又事故その他安全性の低下にも連なっているのである。地域開発の面から考えても、原子力開発の三原則、自主・民主・公開が守られる必要があるのではなかろうか。(下線は2011年8月25日)

<住民本位の地域開発と「原発」>
 「原発」は現在、日本列島の中の「海岸過疎地」に建設されようとしている。そこは、主として農業、漁業地域であるといえよう。又、その多くは景勝地であり、国立、国定公園の一角、近傍を占めている例も多い。従って、原発によって大々的に田畑を売らされ、漁業権を放棄させられることは、日本の農業、沿岸漁業をくずす重要な要因となり、また国民的レクリエーション地をせばめることに連なっている。
 ところで、大企業本位の地域開発を代弁している『日本列島改造論』ではギマン的な「福祉型発電所」の建設などが主張されている。「上」からのおこぼれとしての「福祉」は地域住民の一部を迷わせるが根本的に住民生活の向上には連ならない。
 現在、町議会で「原発反対」を決議している北海道岩内町では、良好な港を持ち、養殖漁業にも力を入れだした漁業の盛んなところで漁業者は漁業で基本的に生計を成り立たせており、「原発反対」の主力の一つが岩内漁協なのである。又、以前「新宮津火力発電所」を拒否した若狭湾岸京都府民の先頭に立ったのは伊根漁協であった。ここでも、「育てる漁業」を長年にわたって追求し、漁業はほぼ「飯の食える」生業となっている。
 「原発」の「過疎地」への急速な進出という傾向は、残念ながら農漁業の一角を現実に破壊したが、他方その地域の住民本位の発展策を考えさせられる機会となった。このような地域での住民本位の開発といえば、恐らく農業、漁業を中心にすえ、農漁業の安定収入の増加をはかるということにならざるをえない。その上に、地域の条件にマッチした「地場産業」を振興させるということとなろう。それには恐らく地域の環境を生かした観光開発も含まれよう。それは、地域外大資本による環境破壊的開発ではなく、環境保全、資源保護に徹したものであることは言うまでもない。
 このように地域がしっかりした生活基盤を住民本位につくっていれば、かりに「原発」が進出したいと言って来ても(より抵抗の少ない「過疎」な代替地へ流れるかもしれないが)、住民や自治体は安全性や住民福祉などの点を徹底的に追求し、自主・民主・公開の三原則を貫徹しうるであろう。そして、農漁業を守り育てることこそ、日本国土の破かいを防ぎ、過疎化を防ぎ、国内資源の荒廃を防ぐ道に通ずると考える。
 (参考文献:『原子力発電と住民』日本科学者会議京都支部編、その他)
(追)本稿は、西村が「原発研」の研究活動にもとづいて起稿し、木村春彦氏の補筆の上、西村がまとめたものである。


これは私が京大工学部の助手をしていた31、32歳頃の頃の「論」である。木村春彦氏とは、当時、京都教育大教授で「国土研」理事長だった人、故人。若狭湾に一緒に行ったかな。京大理学部助教授だった佐藤文隆さん(現・名誉教授)とも一緒に行ったなあ。

この3月に起こった東電福島第一原発事故以来、原発の安全性については多くのことが判明しつつあるが、「原発設置」は地域住民のための(同時に国民全体のための)地域開発の観点からも極めて問題なものだ、ということを35年以上前に考えていたという記念・記録として明らかにしておきたい。なお論の進め方に「弱い」点があるのも気になる。

機会があれば、若狭湾岸の原発や自治体、住民に再度接して色々確かめてみたい。北海道の岩内にも行ってみたいな。衛生工学で助手をしていた青山君と行ったことあるなあ、科学者会議のシンポジュウムが岩内であった。帰りに積丹半島(しゃこたんはんとう)をぐるりと回り、雷電温泉で湯に浸かって日本海に沈む夕日を見たね。メロンも美味しかったね。