西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

ガーナに行った思い出の反芻より

2011-08-08 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、テレビで「世界遺産一万年の叙事詩」の「大航海時代」を見た。

そこで、アフリカ・ガーナにある「大航海時代」のポルトガルの要塞などを見た。ポルトガルが何故ここに要塞をつくったかと言えば、近くで黄金が大量に産出したためだ。ために後にこの海岸を黄金海岸と呼ぶようになった。

実際に産出したのは、内陸部のクマ市周辺である。私は2000年7月24日から29日までの「国際家政学会19回大会」に参加するためガーナに行った。その際、時間をみて古い「都」のクマシにも行って、世界遺産の神殿などを見学した。

クマシは、古い部族アシャンティの本拠である。アシャンティは金鉱を押え、金をポルトガルに「売り」、代わりに銃を「買って」、それによって、ガーナの諸部族を押えたのである。今でもシャンティ族の祭祀が毎年行われている。

私も行ったことを記憶している神殿の石の壁には、当時の「絵文字」が書かれているが、「生れてから成長し老化しやがては死ぬ」という人生物語を記したものがあり、それは角々とした「二重らせん」で書かれているのに驚いた。DNAの形が15~16世紀頃にに既に分かっていたのだろうか。

大航海時代は、ポルトガル続いてスペインによって切り開かれた。東の地中海方面は、イタリア都市国家によって押えられ、その先にはオスマントルコがいたために、ポルトガルは南に、アフリカ沿いに進み、スペインは西の大西洋に乗り出したのだ。(その後オランダ、イギリス、フランスなどが乗りだし、ガーナはその後イギリス領になった)

こういう大航海時代は中国・明の永楽帝の時代にもあったようだ。日本の石見銀山(世界遺産)も「巻き込まれていた」ようだ。

もう一度ガーナのアクラ(首都)及びクマシに行ってみたいなあ。