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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

推理小説家・内田康夫さんの進化

2009-05-04 | 生活描写と読書・観劇等の文化
夕方、ラジオ第二放送で内田康夫さんの講演「47年の助走」というのを聞いた。

人生47年の体験(助走)を経て推理作家になった「奥手作家」の経験談で面白かった。昭和9年(1934年)生まれなので今74歳かな。

著書は150冊以上(一億部以上)世に出している。
内田康夫作品リスト:http://homepage2.nifty.com/aoi-rumi/list.files/list01.htm

内田さんは自らの経験を反芻して、確かに「進化してきた」と思う、と述べた。

第一、小説の題の付け方からして、「進化」している。最初は、とにかく「・・・殺人事件」であり、・・・の所には、伝説および「ご当地」を入れる。読者は、伝説と聞くと読んだみたいと思う、全国あちこちの「ご当地」を出せば旅行好きの国民性にもフィットする、と考えたとのことだ。

そのうち、何でも「殺人事件」というのは安易な題の付け方だ、との批評があり、それでは、と「奇麗な題」にしたとのことだ。

第二に、色々と書いていると、一種の「予言」をして当たることがある、例えば奈良の箸塚古墳の横の○○古墳から貴重な鏡が出てきた、と書いていたら実際に出てきてびっくり、考古学の「神の手」(古い石器の存在予言と自作自演)のような話を書いたら、実際にそういう人物が出てきた、とのことだ。

第三に、エンターテインメント中心なのだが、色々な社会のからくりが分かってきて、自然と社会批判をしている。(松本清張風になっている。)でも、エンターテインメントが主眼だという。

うーん、そうなんだ、研究者も、細かいテーマも大切だが、それらを踏まえて「つながり」あるストーリーテラーにならねば、と思った。『靖国への帰還』は読んでみようと思った。

もう一つ、やってみたら面白いと思ったのは、既にこの世にいない歴史的人物に「インタビュー」した記事を想像的に、かつ創造的に書いたらどうか、ということだった。


書評「吉阪隆正集に取組もう!」(1987年5月)

2009-04-07 | 生活描写と読書・観劇等の文化
『建築文化』1987年5月号「建築家の書棚」に小生は「吉阪隆正集に取組もう!」の書評を書いている。吉阪隆正さんは、早稲田大学・建築学科の教授であったが、1980年に63歳の若さで亡くなられた。で、弟子達が「吉阪隆正集」全17巻を勁草書房から刊行した。私は全巻座右に置いている。以下、その書評拙文である。22年前のもので私は45歳ころである。その頃に生まれた人は、今年大学院1回生位であろうか。「吉阪隆正集」は、彼らに是非読んで欲しい文献の一つである。

日本建築界の巨星・吉阪隆正先生は、1980年に63歳の若さで他界された。あれから、もう7年になろうとしている。もし生きておられたら、ちょうど古稀を迎えられ、早稲田大学を惜しまれて御退職になられる年頃であろう。 ところで、私は大学(京大)以来、主として関西で活動しているので、吉阪先生にお会いして直接お話を伺ったのは、毎年秋の建築学会大会の折に行なわれる「農村建築研究会」のツアーなど数度であり、先生の「ホーチンミン型」顎髯をたくわえられたあの風貌とともに野太い声が、今も脳裏に残っているに過ぎない。 しかし、同世代で早稲田の吉阪研出身の何人かとは親しくしていただいているので、彼らを通じて吉阪先生のお人柄をある程度知ることができたのでは、と思っている。先生思いの彼ら(地井昭夫、寺門征男、重村 力君ら)が、他の同窓生とともに吉阪先生の著作集に取組もうとしたのは当然であったろう。 私も大学院生時代に直接の指導教官だった絹谷佑規先生(当時、京大助教授)の突然の死にぶつかって、西山卯三先生の下、研究室でただちに絹谷先生の著作集編集に取り組んだことを思い出す。(絹谷佑規著・西山研究室編『生活・住宅・地域計画』1965年、勁草書房刊)
さて、その吉阪隆正集全17巻(勁草書房)の刊行をみた。これらを眺めさせて貰って、先生はル・コルビュジェに師事され、早い時代から「人工土地」思想を導入されるなどユニークな建築家であったと同時に、国民生活、住生活を見つめる大変な生活研究家であられたのだと改めておもい知った。これらを十二分に読み込ませていただくために、もう少し時間を貰うとして、今回は若干の感想を述べて、とりあえずの責を果たさせていただきたい。

全17巻は、大きくは四つの部分に分かれている。(編集委員会による)Ⅰ生活論(人間と住居)第1~4巻、Ⅱ造形論(環境と造形)第5~9巻、Ⅲ集住論(集住とすがた)第10~13巻、Ⅳ遊行論(行動と思索)第14~17巻。
今回は、主にⅠの第1巻「住居の発見」について述べてみたい。ここには、先生の20歳代と30歳代前半の記念的労作が収録されている。すなわち卒業論文「北支蒙彊に於ける住居の地理学的考察」と、フランス留学前1950年33歳頃に執筆された『住居学汎論』である。後者は、戦後まもなくの頃の執筆で、少し前の名作『これからのすまい』(西山卯三)、『日本住宅の封建性』(浜口ミホ)などとともに読者層は違ったかもしれないが、一つの名作と言ってよい。この『住居学汎論』は、先生のフランス百科全書派的教養に裏付けられて、全世界の地理的、歴史的な住居の概観を行なっている。その中に、先生独特の解釈も含まれる。これは日本女子大学住居学科での講義録に基づいているとのことだが、そこには今でもそのまま住居学科の新入生に言いたい言葉が含まれている。「建築家が新しい住宅を設計する。それは新しい生活を創造するためである。しかし、与えられた形は必ずしもその通りに生活を規定するものではない。建築家が住宅の革新によって、生活改善を行う可能性は確かに大きいであろう。だがそれはあくまでも可能性でしかない。 その可能性を現実としてくれるものは、結局生活である。それを導いてくれるのは建築学ではなくて、それは家政学である。勿論ここでいう家政学は従来の家事作業のよせあつめの家政学でないことは断るまでもあるまい。」(p.125) そして最後は、「私達はもっと私達の日常の生活を大切にし、大切にすることによってほんとに人間らしいものを生み出して行きたいと思う。そのために住居をそのように整備し、そのような住まい方をする事が必要なのだ。」(p.270)と結ばれている。 この作品に序文を寄せておられる先生の先生であった今和次郎先生も書かれているように、吉阪先生も今先生の言われる「生活学派的な住居研究」に共鳴しておられたことがよく判る。お弟子たちが、この作品を「焼跡住居学」と呼んでいるらしいが、現代の「新人類的」学生にも是非読ませてみたいものである。

以上のほかに、2、3のことを述べておきたい。
吉阪先生には、早稲田の庶民性さらに言えば反権力、反中央の精神がみなぎっていたと思う。本著作集全体にも窺えるが、先生も中心になってまとめられた『21世紀の日本』全2巻(「アニマルから人間へ」、「ピラミッドから網の目へ」、紀伊国屋書店刊)を読んでも、そのことを強く感じる。例えば、首都・東京を東北・北上京に遷都して、現在「コンクリート・ジャングル」とも言える東京山手線内部を正反対の緑したたる「昭和の森」にする。さらに、日本列島をひっくり返して、アメリカに向いている国土構造をアジア大陸向きに直すなどの思想に、その精神が現れているのではなかろうか。

吉阪先生の話しぶりは、要点を押さえたユニークなものであるが、慣れない間は意表を衝かれた形になって、あるいは初めは判りにくいかもしれない。「農村建築研究会」のツアーで初めて先生と話をした時、率直に言って何か大まかな論理を展開される方だなと思った。しかし、後で考えてみるとちゃんとつぼを押さえておられるのだった。先生が参加しておられる座談会の記録(例えば、第10巻『集って住む』の中の「はじめに言葉ありき・発見的方法」など)を読んでも、突如として一見何か場違いなことを言っておられる場合があるのだが、よく考えてみると「なるほど」と思うことがしばしばである。 先生のお弟子たちは実に伸び伸びしているユニークな方が多いのだが、それも大きなつぼだけは押さえて、後は自由に埋めさせるという先生の独特の教育方法が大きく影響しているのではなかろうか。第1巻での解説で地井昭夫さん(金沢大学ー当時、小生注ー)も、家族のあり方についてまだ果敢に先生に論争を挑み問題提起をしているくらいなのである。

先日、やはり吉阪研出身の重村 力さん(神戸大学)に会った時に、吉阪先生の話をしていたら彼はしみじみと言うのだった。「何せ、死んでしまったら終わりですよ。何もしなくてもよいから生きているほうが勝ちですよ」と。彼の言葉の中には、吉阪先生は実は必死に生き急いでおられた、もう少しゆったりしておられたら長生きできた、その方が若い世代には大変良かったのに・・・という気持ちがにじんでいると思った。しかし、吉阪先生は、吉阪隆正集全17巻という立派な遺産を残されたと思う。

建築や地域空間に対する付加価値を全体として高めていくためには、例えばインテリジェントビル開発やオフィス空間の再検討、インテリアデザインやウオーターフロントの活用といった、その場その場の対応だけではなく、もっと大局的に国民生活の発展を見据えた取り組みを強める必要があるだろう。そのために、この吉阪隆正集が正に光を放つ時ではなかろうか。気を取り直して、未来を見つめて、この大部な著作集に取り組んでいこうではないか。

映画「おくりびと」を見に行く

2009-03-12 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日の午後、映画「おくりびと」を見に行った。まあ、アメリカでの映画のアカデミー賞を獲得した話題性のある日本映画である。リアルな人生を終わって「あの世」に旅立つ「姿」を整えるのが仕事の「納棺師」の物語である。

私は、母方祖父、母、母方祖母、父を見送ったが、「納棺師」がいた記憶がない。地方によって、納棺儀式が違うためであろうか。今日の映画の現場は山形県の庄内地方、酒田であろうか。

この映画を見ながら「おくりびと」がアメリカ人に受けた理由として三つが頭に浮かんだ。

第一は、日本人にも、はっきりと認識されていない「納棺師」の役割、所作をはっきりと描き出したことである。

第二は、日本でも東京や京都ではなく田舎の秋田の風景を背景にしたことである。白雪の山や鮭が上ってくる川、色んな石のある河原、ひなびた街並みが良い。

第三は、主人公が弾くチェロの曲など西洋音楽がバックにあることである。単に日本の文化や風景を描くだけでは「エキゾシズム」に留まるかもしれない。そこに、
・「Symphony No9」L.v.Beethoven、・「Wiegenlied」J.Brahms、・「Ave Maria」J.S.Bach/C.Gounodなどが流れることによって、それらの音楽を生み出したヨーロッパが故郷のアメリカ白人に受けたのではなかろうか。

それは、同時に「日本文化は、西洋文化の教養も背景にしているよ」、「貴方たちとも共通項があるよ」ということも言っている形となっている。

初めて知ったことに「石文(いしぶみ)」によるコミュニケーションがある。

三砂ちづる「着物で生活革命」

2009-03-09 | 生活描写と読書・観劇等の文化
国際的な疫学研究者、津田塾大教授の三砂ちづるさんの「着物で生活革命」(2)をNHKラジオ深夜便「こころの時代」で聞いた。

(1)を聞いていないので、本筋の「着物で生活革命」そのものの意味を本人から聞いたわけではないが、(2)の趣旨として、日本人の昔の生活で見直すべきこと色々あるのでは・・・、何が何でも西洋流がいいとは限らない、ということなので、その線で着物も位置付けうるだろう。

我々の分野での関連で言うと、「椅子座」が日本人の姿勢を悪くしたのではないか、という。そういう面があると思う。「近代住居学者」とも言うべき西山夘三先生が、晩年、「最近、正座がしづらくなった。若いころ、もう少し正座をする機会をつくるべきだったかな。」と言われるのを聞いて驚いたことがある。
私自身は、法事やお茶事の時に特に困る。皆さんはどうですか。

三砂さんは、西洋の女性、コーカサスの女性、アフリカの女性の体格と日本人女性の体格を比較すると、誤解を恐れずに言うと、日本人女性の体格は一般に貧弱、それを立ち居振る舞い、着物、薙刀などの武道等で補ってきたのでは、という。洋服は、西洋人のように肩の筋肉が元々しっかりしていないと肩が凝る。日本人の「なで肩」では着物の方が合理的、という。

長年の外国住まいから日本人の生活上の良さを指摘している。

(1)誰がすべきと決まっていないことでも、やったほうが良いなと思って率先してやる精神・・・例えば、ゴミが落ちていると自然と拾う、落ち葉を自然と掃除する・・・、(外国ですると、「よその人の仕事を奪う」などと非難されることがある)
(2)お金を一円まで厳密に考えない。ブラジルで日本人移民が成功したのは、使用人に対しても、そういう態度(悠長な態度)で接したからでは・・、という。
(3)主張すべきことは、しっかり考えて言うが、べらべら喋るのがいいわけではない。(べらべらは、べらべらでしかない!あまりディベート等の技術論にいくべきではない!)

このほか聞くべきこと:
○津田塾の創始者の津田梅子が言ったのは「全たき女性を目指せ」ということで、それは良妻賢母の女性でも職業婦人の女性でもない。

○乳児のおむつは出きる限り早くとれるように・・・、実際、赤ちゃんの立場になると「したいときに泣く」のであり、「して、おむつが気持ち悪いから泣く」のではない。昔は赤ちゃんのサインを読み取って「持ち上げて例えば庭に向かってした」ものだ・・・。母子のコミュニケーションはそういうことからも始まる。読み取れるようになったお母さんは嬉しそうだ。

節分での巻き寿司の丸かじりなど

2009-02-03 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日は節分、「鬼は外、福は内」の豆まきの日だ。また恵方に向かって巻き寿司の丸かじりをする日だ。これは海苔業界、寿司業界のしかけた行事だ。

で、奈良に行ったついでに巻き寿司を2本買った。まあ業界の仕掛けに乗った形だが帰宅して恵方の「東北東」に向かって丸かじり、これで「冬」も終わり、明日は立春である。

名古屋の孫たちからの電話連絡によると末孫の男の子(2歳弱)が大人の縫いぐるみの鬼に「恐い恐い」と逃げ回ったようだ。そういえば娘も3歳ころに京都の吉田神社で「鬼」に恐がっていたな、と思い出した。当時は、吉田神社の裏の吉田上大路町のアパートに住んでいた。

私の入浴作法

2008-11-22 | 生活描写と読書・観劇等の文化
私は、お風呂や温泉が好きである。でも「忙しく」最近、温泉に殆ど行っていない。しかし、毎日のように家で入浴し楽しんでリラックスしている。

まず、湯の温度は39℃から40℃位の温い湯である。最初に「前」にかけ湯して入る。足から徐々に入り、半身浴から寝そべって首から下を湯に浸す。10分位入っているであろうか。その間、指マッサージ、リンパ節マッサージを試みる。

あがって体を洗う、頭から、次に足、手、腹、背という順で石鹸つけて洗うのだが、洗う方向は末端から幹部に向けてである。まあ老廃物処理臓器の肝臓や腎臓に向けて、であると言ってよい。石鹸をシャワーで流す場合も末端から幹部に向けてである。

もう一度、湯船に浸かり再度マッサージ、上がって体を拭く。拭き方も先の洗い方と同じである。脱衣室に出て、再度、体を拭く。拭く方向も洗う方向と同じである。そして下着、パジャマを着る。

これでも20分から25分位で「カラスの行水」と言ってよい。

一寸した「けつまずき」

2008-11-15 | 生活描写と読書・観劇等の文化
一寸前に駅の階段で足がもつれて転んだことをブログに書いたことがある。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/0f1dd09c38434f8a66117a2414adb574

今日も玄関先の階段で履物が「蹴上げ」に引っ掛かって前のめりに転んで手をついた。指を一寸すりむいた。頭もドアに少しぶつけて星が出た。でも、骨も折れず、事なきをえた。

まあ、まだまだ「若い」と思っているが、客観的にはエージングは進んでいる。足もきちんと上がって歩いているか、すり足に近づいているか、絶えず意識的にチェクすべきであろう。歩くときも意識的に足をあげて進もう。


湯たんぽ

2008-11-13 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、寒くなってきたこともあり、体を色々と温かくする対策を講じつつある。

腹巻きは買った、お腹がしまって、かつ温かくなっている。夜、寝るときに足先が冷えると、妻が言い、今まで(昨年度まで)は、電気あんかを布団の足先に入れていたが、私が「電気毛布や電気あんかは、電磁波の関係で、あまり体に良くないのでは・・・」と言ったので、今年の冬から湯たんぽを入れることになった。

生協製品で、2280円、昔の「あばら骨」タイプである。私が「その方が良い!」と強力に主張したものだから、私が、毎日、湯を入れる「係」となった。まあ、私自身は、何をしなくても足先は温かいので、湯たんぽは一つだけ買うことになった。



腹巻きを買いに行く

2008-11-11 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日思いついて、今日腹巻を近くのイオン・SATYの男性衣料売り場に行って買った。素材の違いは3種類しかなく大きさの(M,L,LL)との掛け算して全部で9種類である。

色々考えて「遠赤外線セラミック加工」のMサイズ(胴囲76~84cm,身長165cm~175cm)を選んだ。1280円だ。製品説明には、「遠赤外線効果の高いセラミック加工をほどこしたハイテク素材です。超微粒子から放射される遠赤効果がえられます。」とある。素材は、綿97%、ナイロン2%、ポリウレタン1%である。生産者は、日本ニット工業組合連合会である。

まあ、家に帰って、「二重」にしてやってみた。伸びてフィットしているが一寸「苦しいかな」、妻が「そりゃL買った方が良かったのに・・」といった。

いや、もうちょっとスリムになればぴったし、と言おうとして、飲み込んだ。

遠赤効果は感じられるのであろうか。ま、何事も体験だ。いまのところピシッとして温かい。



基本的生活力10ヶ条

2008-10-27 | 生活描写と読書・観劇等の文化
このブログで「基本的生活力」を検索すると幾つか出てくる。その一つを挙げておく。:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/eb6162f9cc44af240b02a8f59367a7e9

で、数日前、地域SNSで、今までの七つ余りの項目を増補して、切りよく「10ヶ条」にしたらと思い書いた。より広い皆さんにも披露しておきたい。

「私は、今まで老若男女全てで、基礎的生活力が必要、と言ってきた。

特に定年になり「会社人間」から「居住地(地域)人間」にならざるをえない還暦過ぎの男性にとって必要なのは、この基礎的生活力なのだ。

それは何かといえば、今まで(so far)次の七つ(ラッキーセブン)と言ってきた。即ち、炊事、洗濯、掃除、介護(育児)、お洒落、買い物、近所づきあい である。

そのことをある会合で話していたらマイフレンドの「のりちゃん」さんが、「もう一つ必要よ」と言った。それは何かと言えば「家計力(やりくり、きりもり力)」だと言う。うーん、定年後に必要なのは、経済、健康、生きがいの三つというが、その一つの「経済力」が「家計力」である。

では、と以後それら三つを加えて「基礎生活力十ヶ条」にしたら、と思う。

炊事、洗濯、掃除、介護(育児)、お洒落、買い物、近所づきあい、健康管理、家計管理、生きがい追求  である。どうでしょうか、皆さん。」

自然生活、自然エネルギー、自然農法、自然医学、自然住宅・・・

2008-10-26 | 生活描写と読書・観劇等の文化
我々人間も大自然の一部であるのは、誰でも知っている。

だから、その一部であることを自覚して全生活をおくっていきたいものだ。

自然エネルギー:例えばのサイト:http://www.seidensha-ltd.co.jp/~musenlan/clean_energy.html

自然農法:例:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E8%BE%B2%E6%B3%95

自然医学:例:http://homepage1.nifty.com/morishita_/

自然住宅:自然素材の住宅という狭い意味ではなく、大自然と「つながり」「交流できる」住宅という広い意味で捉える。大空、星、太陽光、雲、風、水、動植物、大地、近所の人々などとの「つながり」「交流」が確保できる住宅。典型的サイトは未だない。

究極は、自然生活、自然人間だろうな。

グレン・グールド演奏「ゴールドベルグ変奏曲」を聞く

2008-10-23 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、地域のSNSフレンドのピアニストに招かれてミニ・ピアノ・コンサートを聞いてから、家でCDやレコードでピアノ曲を聞くようになった。

最初、勤めた豊田高専では、独身宿舎に住んでいて、隣近所も独身で夜な夜な「持ち回り」でレコード・コンサートをやっていた。事務係長のH.さんがバッハ、同僚のF.さんがモーツアルトというものだから、私はベートーベンをとらざるを得なくなって、給料日には三人そろって町のレコード屋にそれぞれのを買いに行った。

お陰で、ウイルヘルム・ケンプ演奏のベートーベン作曲のピアノ全曲のレコードをボーナスで買って、今でも「宝物」で持っている。

で、当時(1966年頃)、話題になっていたユニークなピアニストは、グレン・グールドだった。批評家の誰かが「クラシックはジャズではないんだから」と評するような演奏だった。

それを思い出して、最近、1955年録音のグレン・グールド演奏のバッハ作曲「ゴールドベルグ変奏曲」のCDを買った。モノラールだがいい音色だ。最初と最後に「アリア」があり、中間に30の変奏曲があって、約38分の演奏だ。

ゴールドベルグとは、ピアニストで、ある貴族の要請で眠る前に「睡眠剤」として貴族寝室の隣の部屋で弾いたのがこの曲、バッハに作曲を依頼したもののようだ。

私は、今、この曲を静かに聞きながら、この文を書いている。

(写真は、若い頃のグレン・グールド)

『源氏物語』のライフスタイルと心情を支持した人々

2008-10-21 | 生活描写と読書・観劇等の文化
私は、今まで『源氏物語』を平安王朝の「一権力者」プレイ・ボーイの恋の遍歴物語と思って読むのを少し忌避してきた。

ところが数日前、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり 』(朝日新聞社刊)を書いて、「サントリー学芸賞」を得た山本淳子さん(京都学園大学教授、京大文学部卒、48歳、私の高校ー金沢大学付属高校ーの後輩)の「源氏物語の時代ー紫式部のひそかなたくらみ」の講演を聞いた結果、少し考えてみる気になった。各時代の各階層の人々は、『源氏物語』をどう捉え、支持したかである。
講演を聞いた後のブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/75d85f3849a0c01d14d945b7565a62a2

・平安王朝以後の天皇家、貴族の見方・・・こういう「政略結婚、交渉」も仕事、公務である。つまり自分たちの子孫をしっかり残すのが、私事ではなく公務、仕事なのである。天皇中心の貴族社会を確実に残すための公務なのだ。そうだとしたら、全知全能をあげてプレーするのは当然だ。(娘が生まれたら、より上の地位の男に嫁がせ、息子なら一番賢い子を跡継ぎにする。藤原道長は、娘・彰子を一条天皇の后にするのに成功した・・・。)
 だから、江戸、明治の頃まで「続いた貴族社会ー権力は失っていたがー」は、自分たちの源流の証として『源氏物語』的ライフスタイルと心情を支持したのだ。

・鎌倉以後の武士・・・上記とほぼ同じく「貴族社会」を武家社会に置き換えて支持。江戸時代の「大奥」も将軍にとっては私的空間というより公務空間だったと言って良い。「貴族社会」を表向きたてていた面もあり、『源氏物語』が読み継がれるのを黙認していた。

・江戸時代の庶民・・・王朝文学の本を読む余裕。上流社会へのあこがれ。

・明治以降の政治家、高級官僚・・・多かれ少なかれ「政略結婚」的傾向が強い。

・戦後の市民・・・あこがれ、自由恋愛の認定傾向。平安時代の歴史認識等。

膨大な生活描写なので、様々な学問にとってもまたとない歴史材料でもある。ex.「飲水病(いんすいびょう」→糖尿病→病気史の研究。 寝殿造りの研究、平安時代の食事の研究・・・。

とにかく奥深い『源氏物語』である。

ピアノリサイタルの楽しみ

2008-10-05 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日、近所・生駒のピアニスト・上田賀代子さんの家(日独ピアノ芸術学院)にピアノを聴きに行った。「日独」と付いているのは、彼女がドイツの音大で修行したことによっている。(1979年ドイツ国立カールスルーエ音楽大学大学院卒業)


ピアノ等の音楽を聴く楽しみは、元々は王侯貴族がピアニスト等を招いて夕食時などに演奏させたことに端を発する。

その後、モーツアルト時代位から、大衆・市民が演奏会場に多数集まって楽しむことになってきた。ドイツ語オペラ「フィガロの結婚」などは、その内容と共に市民が多数集まって楽しんだ嚆矢・象徴であろう。
 そして、今や我々庶民が10人前後でピアニストの家に集まって楽しむ段階に入ってきたと言えるのではないか。

今日は、ショパンから始まってシューマン、ドビッシー、バッハ、ベートーベン、モーツアルトのピアノ曲を堪能した。上田さんは、集まった9人に対してイメージする1曲づつ弾いてくれたので、皆、大感激だった。私も大感激、シューマン作曲「子どもの情景」より7番の「トロイメライ(Traumerei、夢想)」を弾いていただいた。まだまだ少年のような「夢見がちな男」という含意だろうか。

我々は、王侯貴族ではないので、庶民としてワイン、つまみ等を持ち寄った。

単に曲を堪能するだけでなく上田さんのピアノ文化のミニ講義も聴いた。ピアノは、イタリアでピアノ・フォルテとして生まれたが、略してピアノとなった。まあ上田さんのフォルテは「ドーン」と胸に響く演奏だったと思う。曲の最後の決めの「ピアノ」も心に響いた。

こういうことが地域で出来たのは、「地域SNSけいはんな」の「お宝探検隊」コミュニティのお陰である。ピアニスト上田賀代子さんが地域の人材「お宝」第一号なのである。今度は、もう少し広い人達に楽しんで貰えるよう、上田さんに頼んでおいた。適当な舞台を準備したい。

高齢者の生活(空間)問題のプロを目指せ

2008-09-30 | 生活描写と読書・観劇等の文化
本日、地域SNS「けいはんな」のフレンド数人と京都の町家を改装して様々な文化活動を後押しする「プロジェクト」を運営する責任者の女性を訪ねた。有意義だった。

訪問したのは7人、5人が還暦後の高齢者、2人が「若手」、男性は私一人。相手は1人、勿論?高齢者入り口の人。

色々と話してみて、私も高齢者の域に入ってきたのなら、その生活(空間)問題が良く分かるプロを目指すべきでは、と当然だが思った。