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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

書架探索の楽しみ

2010-05-11 | 生活描写と読書・観劇等の文化
前々から本は背表紙が見えるように「展示収納」すべし、と言っている。自分が買った本、とりわけ読もうと思って買ったが、未だ読んでいない本が何なのか、一目瞭然にしておくためである。

最近、時間があると幾つかある書庫、書架を探索をしている。本宅、書庫住宅(つなね)、本宅でも書斎、階段室、寝室に分散している。

そうだな、これは、あの時に買ったのだな、とはっきり分かる場合もある。時に「手に取り」読み出している場合もある。一冊の本から関連で「そういえば、あの本も買ったはず」と探す場合もある。

時々、配列を入れ替えたりすることもある。良く似たタイトルの同じジャンルの本、同じ著者の様々な本等々、それも楽しみだ。有名な必読本で欠けているものが分かる場合もある。

まあ、そのように時々というか毎日のように書庫、書架、背表紙探索をしている。未だ段ボールに「眠っている」ものも起こして「書架デビュー」して貰う必要がある。

最近、眼力が「衰えつつ」あるので、懐中電灯で背表紙を照らして書名、著者等を確認している。

まあ、他にエクセルでの整理も進めていきたい。

『高峰秀子の流儀』を読むーライフスタイルを学ぶー

2010-05-10 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、齋藤明美著『高峰秀子の流儀』(新潮社)を読んだ。高峰秀子さんは歴史的な大女優、現在は引退して、「専業主婦」、86歳、旦那は脚本家の松山善三氏で1歳年下である。二人とも白髪の老人になったようだが元気とのこと、あやかりたいものだ。

高峰秀子さんは、私より18歳上、「でこちゃん」と言われていた。一番有名な出演作品は、おそらく「二十四のひとみ」であろう。戦後の作品で、瀬戸内海小豆島の小学校を舞台として、高峰さん演ずる大石先生と、十二人(だから二十四のひとみ)の児童との感動的な物語である。

高峰さんが稀有の女優であるということは、「昭和4年、1929年、5歳でデビューしてから55歳で引退するまで、きっかり半世紀、実に300本を超える作品に出演した。下積みはない。「天才子役」から「人気少女スター」となり、「大女優」となった。(9頁)」からである。

こういう風に、「子役」「少女スター」「女優」のステージ全てでトップスターだった人は今まで日本にはいない、とのことだ。

そのことが、人生に一種の「ひずみ」をあたえたが、彼女は冷静にそのことも自覚し、マイペースを貫き、今も貫いていると言って良い。

実母の死後、叔父の妻、つまり義理の叔母が養母となり、育てるというか、高峰さんの「働き」を搾り取ることになるが、「私は考えても仕方がないことは考えない。自分の中で握りつぶす」としてきた。彼女が「反乱」しても、その叔母の一族10人ほどは飯が食えなくなるだけだったのだ。彼女が「天才子役」を始めるのは戦前で、小学校に行く年齢になっても満足に行かして貰えず、結局一ヶ月ほどしか行っていない。

そのため文字も満足に読めなかったが、台本を読まないといけないので、懸命に努力し、文字を覚えたようだ。そのことが現在は物凄い読書家になった淵源と言えるかもしれない。現在の最大の趣味は、読書のようだ。

大女優と言われだしたころ、既に結婚を意識し、30歳で結婚、どんな「玉の輿」も可能であったが、あえて自分の考えで当時助監督で「売れない」松山善三さんの誠実さを選んだのである。それから55歳で引退することを見据えて、徐々に仕事を減らし、30歳代には31本に出演せざるをえなかったが、40歳代に激減8本となり、最後の5年に3本に出演したにすぎない。

そして55歳になったらきっぱり引退して松山善三さんを支え、残りの時間、若い頃に読めなかった本を思う存分読もうと考えたようだ。だが、その後も開花した文才でエッセイや自分史を書かされたが、最近はきっぱり書くことも止めたようだ。著者の齋藤明美さんは幾多の女優にインタビューしているが、その経験から「こういう判断で配偶者を選ぶ女優も稀有」との話だ。印象に残った書き方で、結婚・離婚を繰り返すある女優が「一度は結婚ってどういうものって、知りたかっただけ」と言うのにあいビックリ、というのがあった。

まあ、高峰さんは、見事な「計画的ライフコース」を「演じた」、いや「今も演じている」と言えよう。他に、まだ一度も病院に「お世話になったことはない」とのことだ。うーん、と唸るしかない。他に色々含蓄に富む人生展開、物言いがあり、興味深いが、またの機会にしたい。

一読を推奨しておきたい。


読書三昧ー「古い」本の読書ー

2010-05-09 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、島 恭彦著『東洋社会と西洋思想』(筑摩叢書330、1989年再刊)を読んでいる。まあ、前にざっと読んだ梅棹忠夫の『文明の生態史観』に少し関係がある。

島 恭彦さんとは、元京大経済学部教授で、1910年に福井県敦賀市で生まれたが、既に鬼籍に入っておられる。今年は、生誕100年だ。何か記念行事があるだろうか。あれば参加したいものだ。実は、島先生が京大を63歳で定年退官される時に「最終講義」を聞いたことをおぼえているが、その時にこの本に関連する話をされたのでは、とうっすら覚えている。

こういう異分野の著名教授の最終講義を聞けるのも京大(など総合大学)の良さである。島先生は、経済学部の財政学の講座を担当しておられたと思う。未だお元気な宮本憲一先生(金沢市生まれ、旧制・四高、名古屋帝大経済学部卆、大阪市大商学部、立命館大学教授を経て滋賀大学学長歴任)が、実質師事し、学位論文を提出された先が島先生である。

この著書は、島先生が弱冠32歳の頃、昭和16年5月に和歌山高商(現・和歌山大学経済学部)の教官時代の作品ではないか。島先生は、わが師・西山卯三先生の1歳年上、西山先生は当時、京大に戻られて有名な「食寝分理論」の論文を書き、日本の住宅問題を真正面から論じた『国民住居論考』を書かれた。

同時代に生きた人々、とりわけ同空間、あるいは近くの空間で息をしていた人々の学問的相互交流、あるいは実際の交流がなくとも「相互作用」はどんなものか、ということを明らかにすることは大事だと考えている。

この本は、前に「序説」だけ読んでいたのだが、今度ややゆっくり読んでみて「凄い本だな」と感じ入った次第です。

というのは、はっきり言ってマルクス主義の、現在の言葉では科学的社会主義の立場、方法論で資料を読み込み、書いているのだが、マルクスの「マ」の字も出ず、また東洋社会には当然、日本も入るのだが、日本という言葉は数度しか出てこなくて、殆どはシナと印度が事例となっている。西洋思想としてモンテスキュー、ケネー、チュウルゴー、スミス、ヘーゲル、ジョオンズ、ヘンリー・メイン、ウエーバーなどが俎上に上がっている。『剰余価値学説史』というマルクスの著作も引用されているが、マルクス著とは書いていない。知る人ぞ知るのである。

まあ、日本の検閲官は、シナや印度の「批判」だから「まあいいか」と思って発行を許したと思うが、実は日本も痛烈に批判されている。「帝国主義」とか「社会主義」の言葉も一二度出てくる。島先生は、当時マルクスは当然としてレーニンも読んでいることが感じられる。それは、現時点で読んでいるので分かる面がある。

現在でも、当たっている点も感じられ「古くて新しい本だ」と感じた。中国や印度、あるいはアフガニスタンを理解するのに役に立つ。良く1989年に買って書棚に置いていたものだな、と自分のこういう本の「目利き」をほめておく。

井上ひさし本を読み出す

2010-04-14 | 生活描写と読書・観劇等の文化
井上ひさしさんが亡くなられて急に「井上ひさし本」が無性に読みたくなって、家にあるもの数冊に5冊ほど新たな文庫本を加えて、ボチボチ読み出した。

いやー、言葉とりわけ日本語を大事にする人らしく、文章が分かりやすく胸にストンと落ちる言葉が大半だ。自ら遅筆堂とも号されていたように、推敲に推敲を重ねた文章だ。

ニ三日前にラジオで、生前、井上さんと「鎌倉九条の会」活動をしていた評論家の内橋克人さんが心に残る井上さんの言葉として「むつかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」というのを紹介しておられた。

これは、私にも心に食い込む言葉である。長年、多様な文章、即ち小説、戯曲(主にテーマのある喜劇)、エッセイ、紀行文、評論などをそれぞれに相応しい文体で書き出された人にして初めて言える言葉ではなかろうか。

じっくり味わって、時々大笑いをしながら読んでいきたい。

ラジオ深夜便を時々聞く

2010-04-07 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、NHKラジオで「深夜便」を聞いた。耳に残った一つは、〔花が好き自然が好き〕アンコール:椿の花から様々なものが見えてくるで、椿専門店店主 大岡徳治さん(新潟県)の喋りである。21歳頃に「新潟には沢山の椿があるのに、誰も調べていないなあ・・」の一言から、「じゃあ、調べようじゃないか」と燃え上がり、ご両親もサポートしてくれて15年間で、どうやら「ものになった」とのことだ。

現在は、世界、日本の椿を集めて3千種と言う。全部で6千種位あると言う。日本には、日本海側の海岸近くに南北に分布している「藪椿」と、山際に分布の「雪椿」が二大品種、分かれて茶事に良く使われる「侘びすけ」、椿と「親戚」に山茶花(さざんか)があるようだ。

椿一筋に追求し、日本中、椿を求めて歩き回ったようだ。「一筋が多岐につながる」とのことだ。うーん、そうだろうな、と思う。それと専門家の一言が人生を決めた、ということも感慨深い。人間には、「薄い」情報を拡散、雲消霧散させずに「濃縮」する能力があるのだな、と確認できたからである。

著者を身近な知り合いとして

2010-03-21 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、ドイツ文学者・池内 紀さんの『ゲーテさんこんばんは』(集英社文庫、2005年11月)をつらつら再読した。ゲーテの評伝なのだが、池内さんはゲーテのことを「ぼくの伯父さん」と言っている。親しみを込めた言い方で、それこそ対談している雰囲気も感じられる。

前に斉藤 孝さんの『読書力』を紹介した時、読書の楽しみの一つは、著者から面と向って聞いている積もりで読むことだ、ということを「引用」したことがある。

http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/a18f9f522cb684669d76b54775d11875

で、今日は、池内さんの本を読んで、著者と面と向っているのだが、その上に、その著者を池内さんの言うように、伯父さんと思うだけでなく、相手との関係で、お兄さん、お姉さん、小父さん、小母さん、お爺さん、お婆さんと思ったらどうか、と考えてみた。

勿論、古い時代の著者は「お爺さん」以上だが、場合によって「お兄さん」のように感じてもいいのである。今後、本を読むとき、この著者は、自分の何にあたるのか、色々想像しながら読むのも楽しいと思うのである。

遅れた読書『文明の生態史観』(梅棹忠夫著)

2010-03-19 | 生活描写と読書・観劇等の文化
『文明の生態史観』(梅棹忠夫著)は昔から有名な本だったのに、ようやく最近「中公文庫」で読んでみた。「世界史」を考える一つの下敷きになるだろう、と思う。南北アメリカ大陸やアフリカ大陸、オーストラリアは一応「除いているが」、まことに面白く一気に読んだ。「除かれている」部分も含んで考えてみるのは一つの「応用」かもしれない。生態学から遷移(サクセッション)とか、平行進化とかいうコンセプト(概念)を適用している。今西錦司さんの『生物の世界』も思い出した。梅棹さんは、確か今西さんの弟子筋である。これらの本を、今西さんも梅棹さんも30歳代に書いている。たいしたものだ。これから一寸ノートとりつつ精読、考察してみたい。

まあ、近著『日本辺境論』(内田 樹著)や古典『風土』(和辻哲郎著)、『雑種文化ー日本の小さな希望ー』(加藤周一著)などを読んでいて、関連で読み出して、『日本辺境論』の次にこちらを読破したのである。

唯物史観の世界史があるのかどうか知らないが、マルクスが資本主義の最先進例としてイギリスを主に取り上げて『資本論』を書いたが、イギリスはマルクスの予想や期待の通り進まなかった。では、どうしてロシヤや中国で「革命」が起こったのか。梅棹さんの「第一地域」「第二地域」分類から、また「遷移」理論からも一定説明がつく。

「先進文明」は地域的に遷移するのだ。古代の四大文明は、皆、大沙漠の近くでたまたま水の豊富な「第二地域」に発生したが、やがて「第一地域」(西ヨーロッパと日本)に向って移動(遷移)する。その後「第二地域」ではやがて四つのブロック(中国、インド、ロシア、トルコ)が成立、まあ、その中のロシアと中国で、「近代化」のための「革命」が起こったのだ。インドや(広い意味での)トルコでも「独立」「改革」が起こっている。

梅棹さんは、東洋、西洋の中間が「中洋」で、旧インド、トルコ帝国地域はそれにあたる、と言っている。私らは、その辺りの知識が殆どないに等しい。学校教育では、十分に位置づけて習わなかったのだ。(梅棹さんの造語は他にイン僑ー華僑から類推ーというのもあった。比較宗教学、比較○○学の構想をしている。別の所での造語ー京阪神千・・・これは京阪神に千里ニュータウンを加えた地域、関西文化学術研究都市・・・この「文化」を入れるのを梅棹さんが提起した。)

「世界史」や「世界地理」を構造的に理解するための一つの下敷きになるのでは、と思った。

『生きてるだけで百点満点』(鈴木せい子さん)

2010-03-16 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、今日とNHK「ラジオ深夜便」の「心の時代」(午前4時台)で、助産師の鈴木せい子さんが「いのちの授業」という話をしておられた。全部きちんと聞いたわけではないが、いい話だったので、ここに書いておきたい。表記の著書もあるようだ。http://www.amazon.co.jp/gp/reader/476319660X/ref=sib_dp_pt#reader-link

鈴木さんは、助産師なので、二つの命(生む母親と生まれ出る子どもの命)を預かっているのだが、最近の世相でいうと、中学生位になった子どもが「なんで私なんか生んだのよ、何もいいことがない、生まれてこなければよかった」と平気でいう。また親のほうでも子どもを大切に扱わない、特に男性(父親)は母親サポートや育児に関心が薄い状況がみれる。

で、鈴木さんは子供たちのところ、親達のところに出かけて、自らの体験から「命の発生、成長、分娩」のプロセスを大きくなった子供たちにも生々しく伝え、「命の大切さ」を訴えている。その極め付きの言葉が「生きているだけで、自分にも親達にも百点満点よ」ということだ。胎内で成長し、生まれ出ることも大変なことだし、大きく成長して生きていることも、ある意味で「奇跡に近い」こと、とにかく先ず「勉強など出来なくとも、生きているだけで百点満点」、これは、子供たちや親達の「自尊心、自愛心」を高め、間違っても「いじめたり」、「自殺に追い込んだり」するブレーキとなる言葉であろう。

また、父親の「思いやり」や共同育児の必要性も具体的に強調しておられた。

風呂に入りつつ最近思ったこと

2010-03-11 | 生活描写と読書・観劇等の文化
寒い日に寝る前にゆっくり入浴するのは気持ちよい。私は、二度湯船に浸かる。

その時、足を伸ばして「ゆったり」肩や首まで浸かる。で、考えてみると、手・足は胴や胸周りよりも「細い」、その分、手・足では湯の温かさは、より早く芯にまで到達する。

だから、胴や胸の「芯」まで温まる感じを得るまで浸かっている。その間、手足の先の指のマサージをする。手足の付け根もマサージする。それは、血液やリンパ液の流れを滑らかにするためだ。

とにかく胴や胸の体幹部をしっかり温めることが健康に良いと信じている。皆さんはどうですか。

過去ブログ・・・湯船で検索:http://blog.goo.ne.jp/in0626/s/%C5%F2%C1%A5

色々書いているなあ。

末孫男(満2歳、もうすぐ3歳)の「世話」に名古屋へ

2010-02-25 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、名古屋に住む娘家族の末孫男(満2歳、もうすぐ3歳)の一時世話に出かけた。今までは妻が出かけていたが、今回は都合悪く、お鉢が私に回ってきた。この日は、次孫女(小2)の授業参観と担任と親達の話し合いの会があり、娘は満2歳の男の子を連れて行くと、動き回って「困る」と思い、我々に「助け」を求めたのだ。

私は、最近、一寸した「遠出」がなかったので、喜んで出かけた。「ジパング倶楽部」料金で乗車券・特急券3割引、「ひかり」号である。昼前に着き、昼過ぎから16時ころまでの「世話」である。彼は、もう2本足で走り回っており、言葉も「ぺらぺら」である。彼の歓心をかうため「好きな」玩具の自動車を一台土産に持っていった。フォードのマスタングである。最近の玩具自動車は精巧に出来ていて「リコール?」などはないのであろう。

昼食は、大人の私と娘は私が京都駅で買って行った「柿の葉寿司」、彼はうどんである。朝食べたお握りも未だ食べている。午後に娘が出かけた後は、2歳の孫とあれこれ「遊んだ」。彼は玩具の自動車を30台ほど持っていて、ずらり並べて名前を次々言うが、私はご存知「ノーカー」全然知らない。「じーじはどうして知らないの」と不思議そう。

自動車名鑑のような本も見せてくれた。私は「しまじろう」の絵本を読んでやった。積み木ブロックで「オートバイに乗っているしまじろう」もつくってみた。

15時頃に次孫女(8歳)が帰宅、16時頃に娘が帰宅、「おやつ」は豆乳ドーナッツと煎餅、次孫と娘、末孫が外(公園)に遊びに出る。私は在宅、洗濯物一部取り入れ。16時半に3人が帰ってくる。末孫の彼が涙顔、急にさっき「おやつ」の煎餅を食べなかったのを思い出して帰ってきたのだ。

私は、ご飯時以外に「おやつ」などをだらだら食べるのは拙いと思い、「一つだけ」と約束して一枚与えた。が、彼は、更に要求、私は「約束だから」と拒否、大泣きに泣かれた。「ねーね(姉さん、次孫)」が本を読んでやり盛んに慰めている。私も涙や鼻水は拭いてやったが「間食をだらだら食べるのは良くない、ご飯のときにちゃんと食べなさい」とした。

17時半頃に長孫男(中1、13歳)が部活を終えて帰ってきた。ひょろひょろと大きくなっているが、未だ私の方が「高い」。3人の孫の顔も見れたし、末孫とも「仲直り」でバイバイした。

帰り、名古屋から京都までの「ひかり」で飲んだ缶ビールが体にしみる一日だった。

最近、『孫の力』(島 泰三著、中公新書)を買ったが、まだ読んでいない。
まあ、孫が「祖父さん(お祖母さん)の力」を受け継ぎ成長し、祖父さん(お祖母さん)が「孫の力」を吸収して「若返る」好循環が求められている時代と思う。

マイケル・ムーア監督・出演「キャピタリズム」を見る

2010-02-23 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、近所の「シネマ・コンプレックス」に行ってマイケル・ムーア監督・出演『キャピタリズム』を見た。私は「シルバー料金」で何時行っても千円ぽっきりだ。

この映画では、昨今の金融崩壊前からとその後のブッシュ時代、更にはオバマ登場まで、アメリカの「資本主義(キャピタリズム)」の奇怪さを既存フィイルムを使い、監督自身も出演して描いている。少し遡ってフランクリン・ルーズベルトの「権利章典」演説も心に残った。

だが「エンタテイメント映画」という触れ込みの割には「深刻さ」ばかりが浮き彫りになっている。

心に残ったポイントいくつか:
 最後にカントリー調の「インターナショナル」が歌われていたのにびっくり、
この映画で認識を新たにしたのは、
(1)サブプライム・ローン問題(住宅追い出し問題)、
(2)アメリカの航空会社のパイロットの給料が案外安く年収1~2万ドルと聞いてびっくり、アルバイトをしないとまともな生活が出来ない。事実、航空事故も起こった。(アメリカの航空機に乗りたくない!とつい思ってしまう。)
(3)アメリカの会社は自社の労働者に勝手に生命保険かけている、労働者が死ぬと会社が保険金を「丸儲け」だ。社員の死すら儲けのネタにしている、ハゲタカ資本主義だ。
(4)金融崩壊が避けられなくなって、当の大手金融業者は政府に700億ドルを出させる法案を出す、民主党下院が莫大な税金を使うことに反対して一旦否決、金融業界「大物」が乗り出して民主党下院議員を切り崩して「成立」に持ち込む。
(5)これに反対のオバマ大統領の当選、一旦追い出された住民が住宅に(実力で)戻る。
(6)大統領選挙過程で世論調査で「資本主義」とほぼ肩を並べて「社会主義」(20%位か)が支持されるのは「驚き」だ、かってアメリカでこういうことがなかったのではないか。
(7)過去の大統領では第二次世界大戦終了間際のフランクリン・ルーズベルト大統領の「権利章典」が重要、当時ルーズベルトのラジオ・テレビ演説で明らかにされた、「第二憲法」の位置づけだった。1年後にルーズベルトが亡くなり、「権利章典」は成立しなかった。

ルーズベルトがあげた国民の享受すべき権利は次の通り;
○社会に貢献し、正当な報酬を得られる仕事を持つ権利 
○充分な食事、衣料、休暇を得る権利 
○農家が農業で適正に暮らせる権利 
○大手、中小を問わず、ビジネスにおいて不公平な競争や独占の妨害を受けない権利 
○すべての世帯が適正な家を持てる権利 
○適正な医療を受け、健康に暮らせる権利 
○老齢、病気、事故、失業による経済的な危機から守られる権利 
○良い教育を受ける権利

その精神は、敗戦国のイタリア、ドイツ、日本の新憲法に入っているようだ。「そうなのか」と思った。そしてアメリカ国民は今でも確実に確保していない、と言っていた。良く調べてみよう。

一球入魂、一線入魂、一弓入魂

2009-12-09 | 生活描写と読書・観劇等の文化
バイオリニストの梅沢和人さん(大阪フィル・コンサートマスター)と話をしていると、色々と勉強になる。

先日聞いた話で、現在有名なチェリスト、ヨーヨー・マの持っているチェロは、過去のさる有名なチェリスト(名前失念)のものだが、そのチェロをヨーヨー・マが弾く時、ある曲のある場所にくると、どうしてもヨーヨー・マが出したい音が出なくて、昔の持主の音になる、とのことだ。

その音は、昔から「素晴らしい」と言われていたもので、ヨーヨー・マがそれを乗り越えようにも乗り越えれない、とのことだ。

梅沢さんは、名人が使い込んだ名器には名人の魂が乗り移り宿っている、と言いたげだった。

私は、それを聞いて、野球で言われる「一球入魂」という言葉を思い出した。また建築学科の学生だった時、先輩から図面を引く時は「一線入魂でやれ」と言われた言葉も思い出して梅沢さんに言ってみた。

すると、梅沢さんに「我々、弦楽奏者の場合は、”一弓(いっきゅう)入魂”ですね」と軽く返されてしまった。

ハイボールが流行りなら「焼酎生姜湯割り」もどうぞ!

2009-11-27 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、ウィスキー業界では、炭酸割りの「ハイボール」が流行っているようだ。

これは、昔、流行ったことがあるので、初めてではない。まあ、ウイスキーを炭酸で薄めたものだ。「ウイスキーの水割り」が流行る前に流行っていたのだ。

私は、同じ薄めたもので、「焼酎生姜湯割り」というのをつくってみた。世界初とも言えるのではないか。

焼酎も生姜も湯割りも全て「体を温め、体温を上げる物質」である。まあ、こういう「体温力」アップに向けての理くつ酒というわけではない。

実際、飲んでみて、いい感じですよ。今日も、ゆっくり飲んでいる。

『學士會会報』来るー石原結實さんに注目ー

2009-07-05 | 生活描写と読書・観劇等の文化
数日前に『學士會会報』2009-Ⅳ(7月号)が来た。877号である。実は、今回から雑誌名(漢字)が『学士会会報』から変わったのだ。表紙のデザインも44年振りに変わったようだ。見てすぐに分かった。

今までの『学士会会報』に関するブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/s/%B3%D8%BB%CE%B2%F1%B2%F1%CA%F3

「学士会」とは、旧制・帝大(設立順に東大、京大、東北大、九大、北大、阪大、名古屋大、戦前の台北帝大、京城帝大含む)及びその流れの新制七大学卒業生、修了生の合同同窓会である。元々は東京帝大同窓会から出発しているので、東京帝大、東大出身者が圧倒的に多い。で、私も20年ほど前から一会員である。

この「会報」の記事は主に毎月のように東京の学士会館で行われている午餐会、夕食会でのテーブル・スピーチである。スピーカーは、殆ど学士会会員であるが、時々異色な人も登場する。今回、おやっと思ったのは、長崎大医学部1975年出身の石原結實さんが「薬のいらない健康法」を語っていることだ。

私は、昨年の5月頃から近所の「健康調理教室」に月一、二回の割で行き出してから、安保 徹さん(新潟大教授、東北大出身、免疫理論)などとともに、医療実践家の石原結實さんにも注目してきた。『体温力』(php新書)という著書もある。

「学士会」会員は、高齢者も多く、現役でないから、既存学問にとらわれず、「知識人」として、とにかく「健康で豊かな生活」がしたい、という思いが強いと想像できる。だから、「学士会」会員でなくても「有効な考え方」には目を向けて行こう、ということだと思う。結構なことである。

今や西洋医学だけでなく、民間療法を含めた「統合医療」、古い歴史のある「東洋医療」を含めた「総合医療」、食物摂取の考え方を含む「予防医療」が21世紀の医療像ではなかろうか。

(写真は、石原結實博士)


歯医者定期健診・・・

2009-06-20 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日は、三ヶ月に一回の「インプラント、入れ歯」の定期健診に奈良に行った。

毎日、寝る前に15分ほどかけて電動ブラシと歯間ブラシを使って「磨いて」いるが、未だ不十分のようで、歯の裏も丁寧に磨くように、と言われた。

他にインプラント周辺の磨きについても「しっかりと」と言われた。まあ15分ほどの処置で8千円ほど、3割負担で2千円台の支払いだが・・・。(やはり、医者?!は「儲けすぎ」では、と思わざるをえない。1時間で数万、1日で20万円近くの収入?!、なるほど、それで女性の「助手」を沢山やとっているのだな。)

まあ、この歯医者ではなく別の「セカンド・オピニオン」では、「出来るだけ金属を使った入れ歯などしないように・・・、金属が溶け出すと体に悪い!とのことだ。

歯医者、眼医者、耳鼻咽喉科に数ヶ月に一回、検診に行く「健康維持生活」の一齣だ。