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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

生活リズム

2008-09-29 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日から、15回、学生に「生活概論」を話すことになった。

まあ生活とは、家政学、生活科学、生活環境学等における衣食住、家族関係、近隣関係の全体である。

今日は、生活の哲学として戸坂 潤の「生活は、空疎な興奮でも平板な執務でもなくして計画ある営みである」ということをあげ、解説することからはじめた。

そして次に「基礎的生活力」を身につけることが大切という話をした。「基礎的生活力」とは、炊事、洗濯、掃除、介護(育児)、お洒落、買い物、近所付き合いの七つがきちんとできる力である。

これらは老若男女全てに必要なものである。

そして計画ある営みに関連して、生活リズムが必要という話をした。つまりメリハリのある、つまり動と静、外と内、集団と個などの生活が次々と展開することが必要なのだ。

それを、休みにはお喋り、授業中には緊張というのもメリハリだよ、と言ったら、皆シーンと聞き出したのには驚いた。

次回は、炊事の話を、健康調理教室体験を交えて話す予定。

「広島は私の街」「人生はあなたに絶望しない」

2008-09-23 | 生活描写と読書・観劇等の文化
ラジオ深夜便でのインタビュー2題:「広島は私の街」新藤兼人、「人生はあなたに絶望しない」永田勝太郎

新藤兼人さんは映画監督、96才で現役(4人兄弟の末っ子、両親、兄弟は皆亡くなっている)、最近、新作で「石内尋常高等小学校 花は散れども」をつくられた。広島の故郷の小学校を舞台とする自伝的映画である。新藤さんの一貫しているテーマは、家族(私と家族、私とお母さん・・・)、学校(私と先生、友達・・・)、広島(原爆、戦争反対・・・)のようだ。

新藤さんが、故郷の小学校の卒業生に宛てた手紙がよかった。趣旨は、自分を良く見つめなさい、相手(友達)も自分を見つめているのだから、相手が何を見つめているかも良く考えなさい、そうすれば自分が何者か分かってきて自信がもてると共に相手のこともよく分かってくるよ・・・。

小学校の先生の「うそをつくな。真っ直ぐに生きなさい」の言は、その後、自分の生き方の基礎。お母さんに「何で私を生んだのよ」などと言ってはいけない、お母さんが生んでくれたからこそ今の自分がある。個人は、人との「つながり」、関係性の中で生きているのだ、ということを生きていく基礎にする。

広島・原爆は、落としたほうは「成功、乾杯!」とやったかもしれないが、落とされた数秒間で市民が何万人も殺されたのだ。一人の後ろには家族がおり親戚がおり先生がおり友人がいる。今も世界で戦争をやっているが、同じく一人が殺されると、その妻がおり子どもがおり、つながっている人々がいる。そこでは生活が崩れ、人間関係が崩れる。(私の言い方では、戦争は人々を生木を裂くようにバラバラにする!) だから、戦争は絶対してはいけない。

新藤さんの全ての作品には、故郷・広島の空気がただよっているようだ。

新藤さんの凄いなあと思ったのは、次の作品のシナリオをもう書いて持っている、というところだ。(建築家・フランク・ロイド・ライトが90歳近くになって「貴方の最高傑作は?」と聞かれて「Next one!」と答えたのに通じる。)


永田勝太郎さんは、浜松医科大学附属病院心療内科科長でNHKの番組紹介によると「ナチスの強制収容所から生還し、『夜と霧』を書いた精神科医ビクトル・フランクルに薫陶を受けた永田さん。筋萎縮症になり一度は人生に絶望したが、フランクル夫人に励まされ両づえをついて大学に復帰。リハビリを続けながら診療活動を行ってきた。永田さんが、フランクル夫妻から学んだ人生観を語る。」とある。

筋萎縮症になって、寝たきりになった時、「もう駄目だ」と思ったが、フランクル夫人の励ましの手紙がきた。趣旨「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない。待っている人がいるかぎり・・・」があったが、「人生はあなたに絶望していない」の部分が良く分からず何十回と読んだらしい。

当時、主宰していた医局から医師が離れ、患者も離れていったが、若い学生が見舞いに来てくれて「早く元気になって教室に帰ってきてください」と言われたのが転機、「よし、以後は医学教育にかけよう」となって生きる希望が出てきて、西洋医学以外のものを色々試した。元々、フランクル先生の薫陶もあり、「全人医療」を目指していた。体だけでなく、心、取り巻く社会環境そしてフランクル先生の言う「実存的乗り越え(?)」の四つの要素に注目して診療していた。

それで、近くの老婦人の鍼灸師に毎日来てもらって、鍼灸をためした。これが良かった。その技術もそうだが、老婦人の人柄がよかった。愚痴も聞いてくれた一緒に泣いてくれた。(まあ「全人治療」と言いうる)
リハビリもきっちりやった。今では杖もつかず、医局に復帰し、教育現場にも復帰している。(西洋医学からスタートしているドクターが、このように東洋医学その他も含め「全人医療」に移行しているのが心強い。)

今晩も(2)が聞かれますよ。

(写真は、永田勝太郎さん)


ラジオ族の復活、深夜便の賑わい

2008-09-17 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、ラジオをよく聞いている。「ながら」族だ。テレビよりラジオの方が「ながら」しやすい。

考えてみると、我々戦中生まれから戦後の団塊の世代位まで中学校、小学校のころまでテレビは普及していないから、殆ど夕方などラジオを聞いていた。長じて高校に行き受験準備となると深夜の旺文社の「ラジオ講座」を聞いていたのではないか。(私自身は、NHKのラジオ講座は聞いたが、旺文社の講座のあの「音楽」が始まる頃には寝ていた。)

それらの世代は、定年を過ぎてるか、定年になりつつある。昔、聞きなれていたラジオを再び「ながら」聞いている図が現在である。ラジオ族の復活と言えるかもしれない。私のブログ記事に「ラジオ深夜便こころの時代」の感想が良く出てくるのも、4時台ではあるが時々「うつらうつら」聞いているためだ。「ラジオ深夜便」への便りもよく紹介されるが、殆どが年配者だ。

朝の挨拶の効用

2008-09-10 | 生活描写と読書・観劇等の文化
前に子どもの躾について森 信三先生の「原則」を紹介した。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/0c0b13e65f5c277150ed75060a0ed7dd

森 信三先生による   しつけの三大原則
 一、朝のあいさつをする子に──。
   それには先ず親の方からさそい水を出す。
 二、「ハイ」とはっきり返事のできる子に──。
   それには母親が主人に呼ばれたら必ず「ハイ」と返事をすること。
 三、席を立ったら必ずイスを入れ、ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に──。

若干異論のあるところもあるが、基本的に賛成である。

で、最近、私は率先して朝起きたら妻に「お早うございます」と挨拶するようにしている。すぐ応じてくれて気分がいい。今日も始まるぞ、という気分になる。又、最近は、私は基本的に月水金が「職場」行き、他は「在宅」ということだが、妻も週の半分は趣味や「ボランティア」で出歩いているので、朝の挨拶の後「今日の予定は?」と互いに聞いて、相手のその日の行動像を頭に入れておくのに聞きやすい。

でも、土日など前日までに疲れてぐっすり寝てしまったら、起きた時一寸「お早く」ないので、一寸言い方に困ってしまう。「今日は」も何だし・・・。


半農半Ⅹ、半々のライフスタイル

2008-09-06 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今朝の『朝日』に塩見直紀さん(半農半Ⅹ研究所)が「半農半Ⅹ」のライフスタイルについて書いている。農業は、やりだすと大変なことは分かるが、今、「半農」を入れることは魅力的なライフスタイルに映るようだ。

社会的にも地球温暖化、食料自給率低下にストップをかける方向の生き方も良い、と思われるのではなかろうか。塩見さんは、屋久島居住の作家・翻訳家の星川淳さんの「半農半著」という言葉に「これだ!」と思ったようだ。

現在、例えば、半農半歌手、半農半NPO、半農半デザイナー、半農半社会企業家、半農半ヘルパー、半農半翻訳家等々がいるようだ。半農半サラリーマン、半農半主婦というのもあっても良いだろう。
ただ、農と言っても農薬、化学肥料漬けの「農」は頂けない。自然農に範をとったものであるべきではないか。そうでないなら地球環境に優しいとは言えない。

これを見て、私は、昔から色々「半々」を考えてきたな、と思い返した。1982年に在外研究員でロンドンに10ヶ月行った時、「半学半遊」の旅と位置づけて気が楽になった。(この言葉は福沢諭吉が言ったと聞いたが、私には原典が分かっていない)辞書にある「半々」には、例えば「半信半疑」「半知半解」みたいのがあって必ずしもポジティブな意味ばかりではないが、私は、その後、人生一筋(趣味と実益が一致する幸せな場合はいい)もいいけれど「息が詰まる」面もあるかな、と思い、色々な「半々」を考えてきた。ブログにも色々あるので引用する。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/dff40b48591470d85c0b936a1e54f478
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/9cd36e2469102a35c31e92cc827b90f3
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/25d37ef15b24314496d1264329523c54



半公半私・・・半分公的空間、半分私的空間 英語でCOMMUVACY
半内半外・・・半分内部空間、半分外部空間 縁側もそれに入る
       半分内での生活、半分外での生活
半専半素・・・半分プロ、半分アマ
半顧半望(はんこはんぼう)・・・半分過去を顧みる、半分将来を展望する
半耕半読・・・晴耕雨読と同じ
半体半神・・・半分肉体労働、半分精神労働に取り組む
半亜半欧・・・半分亜細亜、半分欧州
半空半時・・・半分空間、半分時間を考える
半村半町・・・半分村、半分町の生活

まあバランスの良いライフスタイル、と言うことだろう。
勿論、半農半専(Ⅹ)に賛成だ、憧れるが今は無理かな。

CDで古典落語入門を聞く

2008-09-03 | 生活描写と読書・観劇等の文化
代替セラピー論Ⅱのオムニバス講義で、「笑いの治癒力」を2時間話す「羽目」になり、岩波現代文庫でノーマン・カズンズさんの『笑いと治癒力』同『続 笑いと治癒力』などを読んで勉強している。

ある先生が、単に理屈だけでは面白くないから2時間目は、落語をCDで聞かせたらどうか、と言われたので、私の生半可洒落話より古典落語の方が文化的な笑いを取り、気分すっきりになるかな、と一ヶ月先の準備で、古典落語入門をCDで聞いてみた。

今日は3本、柳家小さん「粗忽の釘」、柳家小三治「高砂や」、三遊亭円生「がまの油」である。昔、聞いた記憶が蘇ってきた。ただ色々解説しないと今の若い学生には分らない言葉や「光景」があると思った。それはメモしておこう。

話だけを聞いて、光景が思い浮かぶ話術は流石だな、と勉強になった。今日は笑う暇がなかった。

小説家・平野啓一郎の言い方

2008-09-01 | 生活描写と読書・観劇等の文化
NHKの衛星テレビの「ブックレビュー」に小説家・平野啓一郎が出演し、最近作『決壊』に絡んでインタビューに応じていた。未だ読んでいないが、上・下のある大作を読んでみようかな、と思った。

平野さんは、衆知のように京大法学部在学中に当時最年少で『日蝕』により芥川賞を1999年に受賞したことで知られる。そこから、ほぼ10年経って『決壊』を発表、話題になっている。

平野さん自身の言い方によると、「『日蝕』以来、過去のことを題材に書いてきて、最近は『決壊』のように現代的問題を題材に書いている。で、将来は、未来のことをモデル的ではなくリアルに(未来事象がリアルと言うのも何だが・・・)描きたい・・・」と。

『決壊』については、公式ブログで次のように言っている。


「『決壊』刊行後、この一月半ほどの間に、数多くの感想と接することが出来て、改めて色々なことを考えました。

とりわけ、終わり方については、様々な意見がありました。

あれをどう解釈するかは、もちろん、個々の読者に委ねられていますが、作者としては、もう一度、「決壊」というタイトルとあわせて、最後の一文を読み直してもらいたいなと何度か感じました。何が起こっているのか。

一般に、自殺する人間に対して、生きたくないヤツは勝手に死ね、みたいなバカなことを言う人がいますが、自殺した人間が、本人の意思として「生きたくなかった」などとどうして言えるのか。

死ぬことで自分を壊すのか、それとも、自分でもどうしようもなく壊れてしまった結果、死ぬのか。単純にそのいずれかとは言えませんが。……

状況を問わず、とにかく生き残れという戦中的な発想が僕は嫌いです。

生きようとする意思は尊重すべきですが、現状そのものに問題があり、システムに明らかに幾つもエラーがあるのに、それを直視して、修復することを考えるのではなく、その条件下でとにかくがんばれと言うのはナンセンスです。


『決壊』で僕がやったことの一つは、どんな形であれ、暴力をヒロイックに描き出すということを拒絶して、それを徹底して「イヤなもの」として描くことです。

単純ですが、僕は基本的に「暴力反対」です。

『葬送』のように、困難な状況の中で、何事かに熱心に取り組んで生きようとしている人間の姿は、深い愛情を以て美しく書きたい。けれども、僕自身が、こうあるべきじゃないと感じ、考えていることについては、醜くしか書きようがないです。

まぁ、それは、あんまり倫理的な面に偏った自作解説で、小説としてもっと見てもらいたいところは色々ありますが、いずにせよ、小説というものが、必ずしも『決壊』のようであるべきだとは考えません。

笑い転げて終わるのも小説。言葉のおもしろさを堪能するのも小説。神話的な英雄が活躍するのも小説。……というわけで、僕自身も、もっとrelaxin'な小説も書きたいと思っています。」(平野啓一郎公式ブログ:http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/

テレビでの言い方より:(1)自分が、リアルにはなりにくいが、小説ではすぐなれる。(しかし)(2)貧乏を描くのは、貧乏であってはならないという意識、殺人を描くのは、殺人はあってはならないという意識があるから描くのではないか。

と、一寸(1)(2)で「矛盾」も感じる言い方をしていた。

平野さんは、未だ三十台に入ったばかり、将来どう「変身」するか興味がある。「将来からのメッセージを含む次作」にも期待したい。(勿論、彼我の年齢差から最後までは見届けられないが・・・)



「立っち」の視点

2008-08-20 | 生活描写と読書・観劇等の文化
以前、今年の正月に孫達三人+母親(娘)+父親がやって来たときの「エッセイ」を「おじいちゃんの這い這い」として書いたことがある。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/774066407f6c9f55028d37d8b11d4c5a

今回、その時に「這い這い」だった末孫(男、1歳4ヶ月)が今度は「立っち」でやってきた。私も、今度は自然と「立っち」の視点で家中を見ることになった。
「立っち」で歩き回る彼の視線を追うと、小学生の兄姉や我々大人を先ず見ているので、視線は上を向くことが多い。

で、その視線の範囲にあるものに注意が行く。そこで、棚の上に吊るしてあるバナナに気づいて「アン、アン」と「食べること」を要求する。別の棚の「眼鏡の小父さんの貯金箱」に注目し、指差して「もっと近くで見せろ」と要求する等々である。だから、注目したら困るものは、そういう棚には置かない。逆に注目して欲しいものは置く、という対応が必要だ。

机の上のものは、椅子によじ登って手を伸ばす。椅子によじ登れるのだが、後ろ向きに足から下りる方法が未だ分っていないので、前から下りようとすると危ないので注意が必要。

丁度、目線の高さにあるものは、とにかく近づいて触る。拙宅のレコード、CD、テープ、ラジオセットは丁度彼の目線の高さ、近づいてボタンをいじくり回して、電源スイッチオンにしてラジオをつけてしまう・・・。背伸びした所にスイッチのあるテレビは目を離すとつけたり消したりする。

床の上には「這い這い」の時より注目がいかないようだが、母親が半分冗談に「這い這いできる?もう忘れたのでは・・・」と言ったら、嬉しそうに這い這いしてみせたので、覚えていることは覚えているのだ。

今度「立っち」最初の「儀式」で柱に立たせて背丈を計って印をつけた。
彼の兄(12歳)や姉(7歳)の「柱のきず」も隣りにあって孫達の成長記録になっている。

5泊6日対応で、疲れたが良い思い出となった。

基礎的生活力の点検

2008-08-12 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日から「夏休み」(お盆休み)の所も多い。私の職場もそうで、今週の後期に名古屋の孫達(3人+親)が「遊び」に来るので、その準備に余念がない、というと格好いいが、実際は妻の指示で家中整理といったところだ。

私の「基礎的生活力」がチェックされる機会でもある。

「炊事」・・・毎日、朝食は「つくっている」と報告しているが、まずこれは簡単。納豆を冷蔵庫から出して粘りを出し、醤油をかけ、一方、大根おろしをつくって混ぜる。(消化しやすくする)ご飯を「チン」して少し準備。野菜・果実ジュースを200ccコップに入れる。トマトを一個洗って四つ切。ヨーグルトとコーヒーの準備。   昼食、夕食は妻が準備している現状。時々、夏なので昼食に素麺を茹でて食べるときがあるが、それは私が茹でる。卵を茹で、キュウリなますをつくることもある。まだまだ冷蔵庫を覗いて、ああこれがあるからあの料理をつくろう、という域に達していない。

「洗濯」・・・夏なので毎日大量の洗濯がある。時々「干す」手伝いをしている。干す場所は2階ベランダ、脱衣室、浴室である。雨がきそうだとベランダのは取り入れて脱衣室に移す。夕方の「取り込み」の半分くらいは私がやっているが、最後の「収め」はやれていない。

「掃除」・・・掃除機をたまに使う。今朝も、台所にゴキブリが出たので吸い取った。そこまではいいのだが、掃除機の紙袋を替えるのが難しい。各社の掃除機に合う紙袋なので、家の掃除機に合わせて「調整」しなければならない。初めてやった。

「介護・育児」・・・日常やっていない。今度の孫の世話は「育児」になるのかな。

「お洒落」・・・外出に帽子を被る程度。もう少し積極的にトライ!

「買い物」・・・自分で計画的に買い物に行くことはない。妻のメモに従って買いに行ったり、妻の助手(運び手)で付いて行く事もある。

「近所づきあい」・・・自治会や管理組合の会合の大半は私が出ている。左右や裏の隣人とは道で挨拶したり、駄弁ったりは出来る。

まあ、総合的に「3」位かな。皆さん(特に男性)はどうですか、この一週間はチェックのいい機会ですよ。

「お通じ」のリズムの変化

2008-08-06 | 生活描写と読書・観劇等の文化
一寸変な話だが、私は今まで長年「お通じ」のリズムははっきりしていて、毎朝、朝食後とほぼ決まっていた。ところが、最近は、少し「乱れている」感じ、毎日のリズムが2日に延びることもある。それと、今までは、楽に「通じて」いたが、最近は意識して踏ん張り大腸の蠕動運動(ぜんどううんどう)を刺激しないと、「通じて」くれない。

これは、どうしてであろうか。まあ、年齢と共に蠕動運動が鈍くなっているのではないか。それと、最近、意識して朝食のメニューや昼夕食も食べ物をを変えたりしているので、腸の方で戸惑っているかもしれない。それと、野菜は多くなった感じだが穀類が減って、蠕動運動を促す食物繊維が少なくなったせいかもしれない。

少し様子をみて変調が続くようだと、専門の人に相談しなければなるまい。

音楽と生活

2008-08-05 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、奈良女子大の音楽サークル「ピアノフォルテ」から何時ものように原稿依頼があった。私が未だ奈良女に勤め学生部長をしていた11年ほど前から役目柄書かせてもらっていた「挨拶(エッセイ)」が割りと好評のようで、学生部長を辞めた以後、定年退職している今まで毎年、原稿依頼が来ている。「学生」とのこういう「つながり」もいいもので喜んで書いている。10月締め切りだが、この夏には書いてしまおうと思う。

で、夕べ地域SNSのオフ会があって、「音楽と生活」といったテーマで思い出話などを喋る機会があった。問題提起者の問題意識は、「日本人って音楽を気軽に生活に取り入れてないのじゃない、もっと裃脱いで取り入れたら・・・」というものだった。私は、金沢の子供時代の家での尺八や琴の音楽環境と学校での洋楽教育の狭間の話と8年前に行ったアフリカ、ガーナ、アクラのガーナ大学での太鼓と踊りでの歓迎の体験の話をした。日本人はシャイとの話だが、私は一旦「羽目」が外れると同化(どうか)して一緒に楽しむタイプ、アフリカ人の中に入って大いに体をくねらせて踊った。血が騒いだ。ああ日本人も元はと言えばアフリカを出て延々日本列島に着いたのだ、と感慨無量になったことを思い出した。

この話をアレンジして書くことに決めた。

散髪でサッパリと

2008-07-27 | 生活描写と読書・観劇等の文化
私は平均月一で散髪に行く。今日がその日である。「カット」だが、何時もより少し短かめにしてもらった。理髪店の椅子ですごす1時間は、リラックスの時であり、今日もうつらうつらした。

この理髪店の名前は、面白くて A:(C) これって何と読むの。「ええ(A:)格好( )しい(C)」つまり「ええ格好しい」なのです。面白いでしょう。洒落で付けた名前のようですね。店の若い衆がつけた、と店長から聞いたことがあります。

二足歩行のしんどさ

2008-07-24 | 生活描写と読書・観劇等の文化
人間が人間たるゆえんは先ず「二足歩行」ということだ。先日、近所の「鍼灸整骨院」に行って、あちこちの「こり」を見てもらったら、先ず「肩」の辺り、これは肩の上に乗っている頭の重さに耐えているからだろう。次は「腰」の辺り、これは重い胴体を腰で支えているからだろう。そして最後に足の末端、ここは腰、足は勿論、体全体を支えている。

これらの三部位について集中的にマッサージをして貰い、灸もしてもらった。久し振りに「すっきり感」があった。

今までは、歩くことは好きで、長距離歩いても余り苦にならなかったが、最近はそうでもなく、夕方の帰宅時、駅の階段を上がるのに「えーこんなにしんどいの?!」と思ったりする。足を少し鍛えないと、Retire後のRe-tireにならないな、とふと思った。

AED(自動体外式除細動器)の講習会

2008-07-13 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日、私の書庫のある奈良の「つなね」居住地で、AED(自動体外式除細動器)の講習会があった。最近、駅やデパートなど人が集る所には必ずある「あれ」である。

奈良市の消防署から係りの人が来て、『応急手当講習テキスト』にしたがい、説明され実地にやってみた。先週もあって友人のFUTANさんは先週に参加されて地域SNSに詳しく「実況放送」が載ったが、コメントしたら「白紙で参加したら良い」と言われ、そうしたのだが、終わって、先週のFUTANさんの「日記」を見ると、その通りだった。

こういうことは、ないに越した事はないが、「いざ」と言う時、何とか出来るかな・・・。

写真は、AED設置例

シルクsilkとオーガニック・コットンorganic cotton

2008-06-29 | 生活描写と読書・観劇等の文化
衣食住のうち、食の安全性(海外からの輸入品など)や住の安全性(シックハウス症候群など)は大いに問題になっているが、衣の分野ではどうなのだろうか。

昨日、衣分野の専門家・前川善一郎先生(平安女学院大学特任教授)と駄弁っていて、最近の衣分野の興味あることを聞いたのでメモしておきたい。

日本産の絹(シルク)は風前の灯のようだ。いわゆる価格競争で中国に太刀打ちできないと言う。で、今までは「日本の面子」をかけて、日本の農水省は、日本産のシルクで採算が合う値段と中国産の安い値段との差額をシルク農家に補助していたようだ。

ところが、それでは、かなり膨大な補助金になるので、シルクの生産の意味を見直して、シルクを生産する蚕に多様な役割(食物ー蛋白源ーとして、その他・・・)を発見するようなプロジェクトに補助金を出すことになったと言う。前川先生も研究面から努力しておられる。見守りたい。

次に植物繊維の綿(コットン)であるが、海外からの普通の綿は生育過程で多量な農薬をふりかけているものもあるので、それによる下着や靴下も「危ない」らしい。

そこで、少し値が張るが、農薬や化学肥料を殆ど使わずに育てられた「有機栽培綿(organic cotton)」が良いとのことだった。今後は、それにしようかな。