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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

私の考え出した言葉(29)三つの「Grand」の追求

2005-08-09 | 私の考え出した言葉
これは、奈良女子大学「保健センターだより」(1987年3月発行、第35号)に書いたものである。
三つの「Grand」とは、学生時代に「Grand Person」、「Grand Book」そして「Grand Tour」の発見を!ということだ。この小文「たびーセピア色の思い出よりー」では、Grand Tourのことを語っている。これは多分、本城靖久著『グランドツアー』(中公新書)をヒントに書いたのではなかろうか。私の(学部)学生時代(1960~1964)の「Grand Tour」は、同期の中川八州男君と友人達を訪ねての四国一周の1週間の旅だった。ついでに、私の同時期の「Grand Person」は、カール・マルクスと西山卯三、「Grand Book」は、『資本論』と『これからの住まい』であった。

私の考え出した言葉(28)not a pentagon but a hexagon-・・

2005-08-07 | 私の考え出した言葉
これは去年の昨日(2004年8月6日)、京都国際会館でのIFHE(国際家政学会)大会バンケットでの私の挨拶に使った言葉だ。そのパラグラフはこうだ。「The participants from overseas should find a small gift of Japanese handicraft, not a pentagon but a hexagon-shaped pen-stand in your congress bag like this.」
つまり六角形の断面の手作りの筆立てを土産に上げたのだが、単に六角形といわずに「五角形ではなく六角形」といったところがみそだ。
丁度、その日は広島原爆投下の記念日だった。五角形とは、別名「アメリカ国防総省」なのである。ペンタゴンと普通言っている。これを言ったとき、会場から「笑い」が少し起こったが、大部分は外人さんからだった。私の「皮肉」が少しは分かってもらえ嬉しかった。

私の考え出した言葉(27)Town in House

2005-08-05 | 私の考え出した言葉
「住まいの中のまち」という逆転した言い方に新鮮味があると思う。普通は「まちの中の住まい」であるからだ。これは熊本で造られたコーポラティブ住宅「Mポート」の延藤邸について私が言った言葉である。延藤安弘さんは、自らの住まいを「House in House」と言っていた。それは、住まいの中に、又可動障子のようなもので囲った部屋(住まい)があったからだ。しかし、同時にその部屋の両側は一寸無駄だが二つの通路(道路)になっていて北側の部屋(住まい)に通じていた。南の居間・食堂の壁は本箱、CD収納等になっており、「町並み」に模されていた。延藤さんの好きな「続きバルコニー」と住まいにわたって「まち」で開くパラソルが造られていた。これらを見て、私はこれは「House in House」と言うよりはTown in Houseと言ったほうが良いと思ったのである。現在、その延藤邸はどうなっているのか知らない。何故なら、延藤安弘君は、現在、名古屋にいるからである。

私の考え出した言葉(25)リエゾン・リサーチャー

2005-08-03 | 私の考え出した言葉
奈良女子大学の大学院改組の時(新研究科長時代)に学際的研究の推進を強調する時に私が言い出して計画書に載った言葉である。リエゾンはフランス語、リサーチャーは英語で合成語である。軍隊用語で「リエゾン・オフィサー(連絡将校)」という言葉が実際にあり、一般でも「高級連絡係」をいう場合もある。
だからリエゾン・リサーチャーとは、連絡研究者とでも言いえよう。しかし、これは、ただの使い走りの研究者ではなくて、異分野のそれぞれを良く理解したうえで、その学際領域に新たな課題を見つけ、双方と協力して課題解決を計れる人材である。
学際が重要といっても、学際的にぴったりの学会などなく、元の学会などで学際的課題を報告しても、かならずしも評価されない、という状況下で学際研究を推進するのは難しい。ある程度、年配の研究者で、身をもってモデルを実践する必要がありそうだ。(お前はどうだ、の声が聞こえる!)

私の考え出した言葉(24)「大根」

2005-08-02 | 私の考え出した言葉
何だ、これは単なる普通名詞ではないか、と思われるだろう。確かにその通りだが、含意が一寸面白い、というものだ。ある時、奈良女子大の事務局長だった森澤良水さんが「ほうれんそうが大事」という話を、部下の歓送会でしていたのを横で聞いた。「ほうれんそう」というのは、音では例の野菜だが、意味としては、事務処理の要諦で「報告のほう、連絡のれん、相談のそう」というのである。つまり「報告、連絡、相談」が大事ということである。
それで、私は、考えて、Nさんの歓送会と、森澤さん自身の歓送会で、「ほうれんそう」に対して「大根」という言葉を贈ったのだ。心は、「真っ白な気持ちで、大志を抱いて根気良く、問題を良くすりおろして消化良く!」ということである。

今日のおまけ:アスベストが問題になっているね。うん、「明日ベスト」というより「今日ワースト」だな。

私の考え出した言葉(23)団地蔵

2005-08-01 | 私の考え出した言葉
これは20年ほど前にある新書(共著)に書いたものである。例えば、祇園祭りを行なっている「祇園町」、室町筋の各町内には会所があり、蔵がある。その蔵に、山や鉾に飾る町の宝物を収蔵している。
同じように団地、集合住宅地等でも住み始めて歴史が経てば、様々な行事、例えば夏祭り、冬の餅つき大会等を行なっていけば、そのための備品、町内の財産も増えていく。それらを単なる団地の物置に収めるのではなく、少し立派な「蔵」としてつくったらどうか。それが団地蔵(だんちぐら)である。祇園町のように、会所と蔵のセット、つまり団地集会所と団地蔵のセットとして造っていくのが良いのではないか。

私の考え出した言葉(22)逆説の住居論

2005-07-30 | 私の考え出した言葉
長谷川工務店CRI発行の「CRI近畿版No.119」(1988年7月発行)に書いた「寄稿」のテーマである。「一度、住居において普通良いと思われている価値観の実現と逆の方向の「価値」も考えてみたらどうか」・・今少し具体的に言えば、「広い空間」に対して「狭い空間」、「明るい空間」に対して「暗い空間」、「気密性の高い空間」に対して「隙間風の入る空間」等々の「価値」、「意味」を一度考え直してみたらどうだろうか、といったことである。(中略)
子供達へのメッセージー「薄着をし、小骨の魚を箸で食べ、布団で寝ること」
結論・・メリハリの住居論、目標・・「人間の五感を適当に刺激し、それらを豊かにする住空間」

一途の「拡大リッチ路線」は地球環境保全、省資源から「シンプルリッチ路線」に切り替えるべきとの線上でのことだ。

私の考え出した言葉(21)反芻脱皮論

2005-07-30 | 私の考え出した言葉
1990年6月2日の日記。日記を少し反芻して読み付箋メモつける。「反芻脱皮論」の実行だ。反芻脱皮論とは、今までの経験等を反芻しつつ新たな点を発見し、今までより脱皮を図っていく、ということだ。それが出来るのは、それをする人が日々成長しているからに違いない。この反芻は単なる懐古とは異なる働きと言えよう。

付録洒落:1990年6月6日。「家相などは戦後、ほ・かそう、となったが根強く残っている・・」

私の考え出した言葉(20)フロント・シャン、サイド・シャン、バック・シャン、インナー・シャン

2005-07-26 | 私の考え出した言葉
これは、奈良女子大学の重要文化財に指定されている明治の木造建築・記念館を形容したものだ。今どきシャンなどという言葉は若者に通用しまい。シャンというのは、ドイツ語のschon(oはウムラウトであるが、字が出ない。:を横にした奴をoの上につける。正確にはoの口をしてeと発音、概略はシェーンと発音、短くシャンと言われた)から来ている。美しい、転じて美人にも使われていた。学生時代にコンパで歌った「デカンショ節」というのがあったが、あれの何番かに「橋の向こうをシャンが通るヨイヨイ、同じシャンでもおばあシャン、ヨーイヨーイデッカンショ」というのがあったなあ、と思い出す。
で、奈良女子大学の記念館は、前から見ても横から見ても後ろから見ても、中に入っても全て美人である、ということを言いたかったのである。(まえ美人、よこ美人、うしろ美人、なか美人と日本語も併記したが、カタカナが良いだろう。)そういえばパリ・シテ島のゴシックの名建築・ノートルダム寺院は、フライング・バットレス(飛び控え壁)も美しく、バック・シャンの代表だ。
この言葉を使った拙著は『教育と施設』28号、1990.3.に掲載。

私の考え出した言葉(19)健全なコミュニティの世界的ネットワーク

2005-07-25 | 私の考え出した言葉
最近もロンドンやエジプトで同時多発テロが起こっている。この言葉は、ニューヨークの9.11の後、2002年の「日本家政学会誌」1月号の年頭所感で述べたものだ。
「・・テロを防ぐにはどうしたら良いのか。軍事力や警察力だけでは究極的に抑えることは出来ないと思う。それが可能ならば既に抑えられているはずだ。テロは、既存の軍事力や警察力を巧みにかいくぐってきたからこそ生き延びているのだ。また、軍事力や警察力をむやみに大きくすることは、社会の重荷(税負担)になるし、社会を「暗くすること」でもある。私は、世界のテロ・ネットワークを防ぎ、抑えるのは、やや「我田引水」「手前味噌」になるが、健全なコミュニティの世界的ネットワークの形成ではないかと考えている。・・」
これについて、中学校の同級生のN君が賛成してくれた。
では、どうやって?!ゆっくり急いで考え構築していこう!

私が考え出した言葉(18)出窓にデマンドあり

2005-07-22 | 私の考え出した言葉
こんなピッチで、この項目を続けたら、直ぐ枯渇するのでは、と思われる。このあたりで、この項目はスピードをゆるめる。でもまだまだあるので「乞うご期待」といったところだ。
これも一種の言語遊戯でもあるが、窓サッシ屋さんが喜びそうなフレーズかもしれない。1997年度の卒業設計で、窓に関連したことをやった人がいたので、この時期に窓に関する私の認識も一気に進んだといえる。出窓の反対を何と言うのか、仮に「平窓」ということにするが、平窓だと、その窓がある建物に沿った方向を見ようとすると、窓から顔を出して見る必要がある。出窓だと、一応窓の内で左右を見れば、建物に沿って起こっていることが確認できる。一方、そこに花などを飾れば内外から楽しめる。それで、出窓にデマンドあり、と言ったのだ。デマンドとは言うまでもなくDEMANDであり「要求、需要」である。この出窓について、今は亡き吉野正治先生(鹿児島大、京都府立大、仏教大等に勤務、京大西山研先輩)から「西村君はイギリスにいたから聞くが、出窓のベイウィンドウとボウウィンドウはどう違うのか」と聞かれたことがある。ベイウィンドウはBaywindowでボウウィンドウはBowwindowでBayは「湾」、Bowは「弓」である。だから、ベイウィンドウは平面で言うと台形のもので、ボウウィンドウは弓形、半円形のものだ。吉野先生は著書の多作の先生だったが、どこかに私の説明したことも引用されているようだ。
で、窓は、次にはどうなりますか、との問いが返ってきそうである。

私が考え出した言葉(17)豊かとは、曲がった豆とおぼえたり

2005-07-21 | 私の考え出した言葉
今回は軽い奴を一つ。これは豊中市の連続公開講座で言って、昨年、奈良女子大での産学官の会合でも言ってみて一寸「受けた」ものである。これは、豊という字は、曲の下に豆を書いているのを、素直に言ったものだ。実際に、豊という漢字はどうして生まれたか知らない。
しかし、表記のように言っても間違いではない、と思うのは、最近は曲がった胡瓜でも(豆でも)無理に真っ直ぐにしていて、それは自然のものとは思えないし、豊かとは何よりも自然のまま、が本来の姿とおもうからである。
「えっそんなこと 言うたかな!?」

私の考え出した言葉(16)国破れずして山河危うし

2005-07-21 | 私の考え出した言葉
これは、見たらすぐ分るように、「国破れて山河あり 城春にして草木青し・・」の漢詩の冒頭の「もじり」である。この言葉を使ったのは、何回もブログでも話している恩師の西山卯三先生が京大を定年退官されるに当たり弟子達がつくった2巻の記念論文集の中に私が書いた論文においてである。1974年のことである。当時は終戦後ほぼ30年が経過している。確かにその間、わが国は戦争に巻き込まれ「破れた」という状況ではない。しかし、高度経済成長の過程で公害問題が起こり、環境破壊が全国化し、正に緑なし水の滴ると言われた我が山河が危うくなってきていたのだ。自分としては当時の状況に(そしてある意味では今も続いている状況に)正にぴったりの言葉と思ったが・・。『農山漁村地域における地域環境管理計画』(『現代の生活空間論』(下)勁草書房、1974年12月より)