住民エゴ、ゴネ得ではない。ゴではなく、コと「澄んでいる」ところがみそだ。
これらは、1990年2月頃に言ったものだ。その部分を引用する。
「・・住民の地域づくり、町づくりに対して時には「住民エゴ」、場合によっては「ゴネ得」などと非難されることがある。これに対して私は駄洒落で応えることにしている。住民参加の町づくりは、「住民エゴ」とか「ゴネ得」などと言った「濁った」ものではなく「住民エコ」であり「コネ得」と言った「澄んだ」ものなのである、と。その心は、住民が、広く多彩な住民達と協力することは、「住民エコ(ロジイ)」であり、住民自身、結びつくことによる「コネ(クション)得」を得る、ということである。・・」
これらは、1990年2月頃に言ったものだ。その部分を引用する。
「・・住民の地域づくり、町づくりに対して時には「住民エゴ」、場合によっては「ゴネ得」などと非難されることがある。これに対して私は駄洒落で応えることにしている。住民参加の町づくりは、「住民エゴ」とか「ゴネ得」などと言った「濁った」ものではなく「住民エコ」であり「コネ得」と言った「澄んだ」ものなのである、と。その心は、住民が、広く多彩な住民達と協力することは、「住民エコ(ロジイ)」であり、住民自身、結びつくことによる「コネ(クション)得」を得る、ということである。・・」