昨夜、私がブログ記事を書いている間、たっぷりお夕寝した夫はすっかり復活して元気印。入浴後も今日の予定をあれこれと喋り、ヘロヘロの私は日付が変わるまでに寝付くことが出来ず・・・。
今朝はまたしても5時半前にお手洗いに目覚め、もう眠ることが出来ない。いつもの時間にスマホアラームが鳴り、NHKニュースをつける。7時を回ったところで夫を起こす。
浴槽足湯を済ませ、BS朝ドラを視て、身支度を整える。地デジで朝ドラを視てから、映える朝ごはんとして結構有名だというホテルのレストランへ。室内プールをリノベーションした面白い造りである。メインのガレットとクレープを1種類ずつチョイスしてシェアする。サイドメニューやドリンク類はセルフサービスで、席に着いたところで焼きたてが届く。
しっかり完食して、今日もコデインを飲む。予約時間より少し早めに食事が始められたこともあり、出発も早かった。
今日も路面電車1日乗車券を購入。宿泊しているホテルからほど近いホテルのフロントで無事ゲットすることが出来た。これを持ってさあ、今日の最初の目的地は世界平和記念聖堂だ。
1954年8月6日、原爆犠牲者と戦争犠牲者を追悼し、世界平和の印として建立された教会である。建物は重要文化財に指定されており、聖堂内では美しいステンドグラスが見学できるとのこと。
路面電車に乗り、最寄り駅で下車し、少し歩いて到着する。教会エントランスには角帽と黒いガウンを纏った女子学生の姿が何人も。皆、マスク越しの笑顔で記念撮影をしている。
今日は何かあるのかしら・・・と見れば、隣接する音大の卒業式だ。卒業式は大学ホールで開催のようだが、先立つ記念ミサがちょうど始まるところだった。ずうずうしくも保護者達に交じって陪席、お祝いさせて頂いてもOkとのこと。パイプオルガンの音が鳴り響く荘厳な雰囲気の下で、聖歌隊や司祭が入場する。
10時、鐘の音が美しく聞こえてくる。入祭の挨拶と、聖歌隊のKyrie eleison(神よ憐れみたまえ)を聴くことが出来た。大学時代、合唱団で何度この言葉を唱ったことか。高い天井でさすがに素晴らしい響きである。
式次第にはヴィクトリアのAve Mariaの楽譜も示されており、あ、この曲、歌える!と思ってしまった。全員で“アーメン”のタイミングで退出する。
晴れやかな門出の祝いの日に見学が出来たのも何かのご縁である。ただ見学するのだったらパイプオルガンの音色も賛歌も聴くことはできなかった。
15分ほどの参列だったけれど、心が穏やかになり、瞑想を終えた気分である。再び市電の駅まで戻り、終点広島駅に到着。
今日のショートトリップの行先は、息子の勧めと夫の希望で呉である。JRの快速電車をタッチの差で逃し、各駅停車で50分揺られていくことに。“赤い翼”という名前がついたボックスシートの綺麗な電車である。車窓からは瀬戸内海の海が青く、眩しく美しく見える。
車内のお供は小松亜由美さんの「遺体鑑定医 加賀谷千夏の解剖リスト」(角川文庫)。
帯には「有栖川有栖氏、驚嘆!天才解剖医のメス裁きと推理のシャープさに圧倒される 現役の解剖技官だからこそかけた注目度No.1の法医学ミステリ!事故か、自殺か、殺人か、法医学解剖委が遺体に隠された真実に挑む」とある。
4つのお話とエピローグから成るが、のっけからおお!そういうことか、と感心しつつ、2つのお話を読めた。
お昼前に呉駅に到着する。長い遊歩道を歩き、観光案内所でパンフレット等をゲットする。そういえば、以前映画を観た「この世界の片隅で」の舞台もここ、呉だった、と思い出す。テレビドラマの俳優さんたちのサインや主人公すずさんが着た衣装等も飾られていた。
まずは人気があって、当日予約が出来ない艦船めぐりのコースのチケットを買いに行くという。午後便は13時と14時の2便だが、チケットを買える時間がそれぞれ短く設定されていて、直前にまた戻ってこなければならない。うーん、あまり優しくないシステムだ。
10年近く前、横須賀で従姉の案内で家族3人揃って艦船巡りクルーズに乗ったのを懐かしく思い出す。
ひとまず隣接する大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)に入館。巨大戦艦「大和」を建造した軍港、日本一の海軍工廠の町として栄えた呉。その歴史と科学技術を先人の努力と当時の生活文化に触れながら紹介している。日本の歴史と平和の大切さを認識して頂くことが目的だという。
館内には全長26.3mの、10分の1に忠実に再現した「戦艦大和」の模型が鎮座している。このミュージアムのシンボルとともに皆さん記念写真撮影に忙しい。展示室では呉鎮守府、呉海軍工廠の設置から戦艦大和の辿った運命等が所狭しと紹介されていた。
思い返せば、高校時代、一世を風靡してブラバンでもテーマ音楽を演奏した宇宙戦艦ヤマトの作者である松本零士さんが亡くなった年、こちらを訪れたのも何かの縁だったのかもしれない。
人間魚雷「回天」やら零戦やらの実物展示を視、あまりに若くして散った軍人や技術者たちの生々しい遺書を見るにつけ、どう考えても戦争は正気の沙汰ではない、と複雑な気持ちになった。
映像などの上映スクリーンや展望テラス等もすいすいと通り抜けて、13時の艦船巡りクルーズに乗ることにしてチケット売り場に急いだ。私達が最後の一組だったようだ。月曜日だというのに随分沢山の人たちが並んでいる。
スタッフの説明があり、乗船。外だと寒いかもしれないし、と1階席に座ったら、「2階にいないとろくに見えないですよ!」とスタッフが呼びに来られた。それでは、と2階に移動する。なるほど、雲一つない良いお天気。青い海、青い空、カモメの翔ぶ姿も。紫外線は強いけれど、風はそれほど冷たくもなく、気持ち良い。
海自OBだというスタッフの男性は、戦艦大和の建造ドック跡地巡り等35分間のクルーズ中、ノー原稿で喋り通した。お見事である。いくつになっても男子はこういうのが好きであるのは間違いない。
夫は一生懸命スマホを構えている。船上の隊員の方たちが手を振ってくれると、ついついこちらも手を振ってしまう。私はお付き合いのお供に過ぎないのだけれど、「さぁ、こういうシーンはなかなか見られないので、是非写真に収めて!」等なかなか乗せるのがうまい。海の日差しが強く、頭が熱くなるほどだったが、無事戻ってきた。
遅いランチは呉海自カレー等のメニューもあるシーサイドカフェで。海を見ながら夫はカキフライカレーを、私は焼きチーズカレーを頂く。さらに広島県民のデザートといえばこれだ、というバターケーキと珈琲のセットも追加してお腹一杯に。食後はロキソニンを飲む。
最後は、てつのくじら館(海上自衛隊呉資料館)を見学。海上自衛隊の歴史や掃海艇、潜水艦の紹介を見た後は、静態保存されている潜水艦あきしおの船中へ。二段ベッドならぬ三段ベッドでの寝起きはそれは大変だったろうな、と思う。
時間があれば、すずさんゆかりの旧澤原家住宅三ツ蔵やすずさん家も訪れてみたかったけれど、時間切れ。快速電車に滑り込みで乗り込んで(発車ベルは宇宙戦艦ヤマトのテーマ曲だった。)、帰路は40分で広島駅まで戻ってきた。
駅ビルでおやつを買って再び路面電車でホテルに戻り、綺麗に整った部屋で、紅茶で一服。
母にMeet通話でご機嫌伺いしたら、ずっと仲良くお喋りしていた相棒(90代)が、今週から木曜日だけになってしまい、今日は新しい人が10人もいて、なんだかつまらなかったそう。珈琲タイムも2回だったのが1回になり、それも残念だとぼやいていた。
まぁ、値上げラッシュなので施設の方も色々大変なのだろうが、今まで看護師さんに足の巻き爪を切ってもらえていたのにそれも出来なくなったと言われ、困っているそうな。近所の皮膚科クリニックにお願いするようになるのだろう。
さて、夕食は初日にチェックしていた、原爆ドームにほど近い川辺のレストランを予約した。原爆ドーム前の駅で降り、ライトアップされたドームの周りを一周する。明日が満月とあって、銀色に輝く丸い月が静かに照らしている。漆黒の空に星も綺麗に映えている。ほとんど誰もいない中、静かに祈ることが出来て良かった。さらに爆心地である島内科医院前にも歩を進め、合掌してきた。
昨日、一昨日と郷土料理、和食と続いたので、今日は趣向を変えてのイタリアン。夫は白ワイン、私は手作りレモンジンジャエールで乾杯し、前菜盛り合わせや焼き牡蠣、パスタやデザートを堪能した。
再び路面電車でホテル最寄り駅まで戻り無事部屋に。今日も万歩計は15,000歩超え。
3泊の平和を祈る旅も最後の夜になった。明日は午前中1か所訪れた後、午後の新幹線で帰京の予定である。
今朝はまたしても5時半前にお手洗いに目覚め、もう眠ることが出来ない。いつもの時間にスマホアラームが鳴り、NHKニュースをつける。7時を回ったところで夫を起こす。
浴槽足湯を済ませ、BS朝ドラを視て、身支度を整える。地デジで朝ドラを視てから、映える朝ごはんとして結構有名だというホテルのレストランへ。室内プールをリノベーションした面白い造りである。メインのガレットとクレープを1種類ずつチョイスしてシェアする。サイドメニューやドリンク類はセルフサービスで、席に着いたところで焼きたてが届く。
しっかり完食して、今日もコデインを飲む。予約時間より少し早めに食事が始められたこともあり、出発も早かった。
今日も路面電車1日乗車券を購入。宿泊しているホテルからほど近いホテルのフロントで無事ゲットすることが出来た。これを持ってさあ、今日の最初の目的地は世界平和記念聖堂だ。
1954年8月6日、原爆犠牲者と戦争犠牲者を追悼し、世界平和の印として建立された教会である。建物は重要文化財に指定されており、聖堂内では美しいステンドグラスが見学できるとのこと。
路面電車に乗り、最寄り駅で下車し、少し歩いて到着する。教会エントランスには角帽と黒いガウンを纏った女子学生の姿が何人も。皆、マスク越しの笑顔で記念撮影をしている。
今日は何かあるのかしら・・・と見れば、隣接する音大の卒業式だ。卒業式は大学ホールで開催のようだが、先立つ記念ミサがちょうど始まるところだった。ずうずうしくも保護者達に交じって陪席、お祝いさせて頂いてもOkとのこと。パイプオルガンの音が鳴り響く荘厳な雰囲気の下で、聖歌隊や司祭が入場する。
10時、鐘の音が美しく聞こえてくる。入祭の挨拶と、聖歌隊のKyrie eleison(神よ憐れみたまえ)を聴くことが出来た。大学時代、合唱団で何度この言葉を唱ったことか。高い天井でさすがに素晴らしい響きである。
式次第にはヴィクトリアのAve Mariaの楽譜も示されており、あ、この曲、歌える!と思ってしまった。全員で“アーメン”のタイミングで退出する。
晴れやかな門出の祝いの日に見学が出来たのも何かのご縁である。ただ見学するのだったらパイプオルガンの音色も賛歌も聴くことはできなかった。
15分ほどの参列だったけれど、心が穏やかになり、瞑想を終えた気分である。再び市電の駅まで戻り、終点広島駅に到着。
今日のショートトリップの行先は、息子の勧めと夫の希望で呉である。JRの快速電車をタッチの差で逃し、各駅停車で50分揺られていくことに。“赤い翼”という名前がついたボックスシートの綺麗な電車である。車窓からは瀬戸内海の海が青く、眩しく美しく見える。
車内のお供は小松亜由美さんの「遺体鑑定医 加賀谷千夏の解剖リスト」(角川文庫)。
帯には「有栖川有栖氏、驚嘆!天才解剖医のメス裁きと推理のシャープさに圧倒される 現役の解剖技官だからこそかけた注目度No.1の法医学ミステリ!事故か、自殺か、殺人か、法医学解剖委が遺体に隠された真実に挑む」とある。
4つのお話とエピローグから成るが、のっけからおお!そういうことか、と感心しつつ、2つのお話を読めた。
お昼前に呉駅に到着する。長い遊歩道を歩き、観光案内所でパンフレット等をゲットする。そういえば、以前映画を観た「この世界の片隅で」の舞台もここ、呉だった、と思い出す。テレビドラマの俳優さんたちのサインや主人公すずさんが着た衣装等も飾られていた。
まずは人気があって、当日予約が出来ない艦船めぐりのコースのチケットを買いに行くという。午後便は13時と14時の2便だが、チケットを買える時間がそれぞれ短く設定されていて、直前にまた戻ってこなければならない。うーん、あまり優しくないシステムだ。
10年近く前、横須賀で従姉の案内で家族3人揃って艦船巡りクルーズに乗ったのを懐かしく思い出す。
ひとまず隣接する大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)に入館。巨大戦艦「大和」を建造した軍港、日本一の海軍工廠の町として栄えた呉。その歴史と科学技術を先人の努力と当時の生活文化に触れながら紹介している。日本の歴史と平和の大切さを認識して頂くことが目的だという。
館内には全長26.3mの、10分の1に忠実に再現した「戦艦大和」の模型が鎮座している。このミュージアムのシンボルとともに皆さん記念写真撮影に忙しい。展示室では呉鎮守府、呉海軍工廠の設置から戦艦大和の辿った運命等が所狭しと紹介されていた。
思い返せば、高校時代、一世を風靡してブラバンでもテーマ音楽を演奏した宇宙戦艦ヤマトの作者である松本零士さんが亡くなった年、こちらを訪れたのも何かの縁だったのかもしれない。
人間魚雷「回天」やら零戦やらの実物展示を視、あまりに若くして散った軍人や技術者たちの生々しい遺書を見るにつけ、どう考えても戦争は正気の沙汰ではない、と複雑な気持ちになった。
映像などの上映スクリーンや展望テラス等もすいすいと通り抜けて、13時の艦船巡りクルーズに乗ることにしてチケット売り場に急いだ。私達が最後の一組だったようだ。月曜日だというのに随分沢山の人たちが並んでいる。
スタッフの説明があり、乗船。外だと寒いかもしれないし、と1階席に座ったら、「2階にいないとろくに見えないですよ!」とスタッフが呼びに来られた。それでは、と2階に移動する。なるほど、雲一つない良いお天気。青い海、青い空、カモメの翔ぶ姿も。紫外線は強いけれど、風はそれほど冷たくもなく、気持ち良い。
海自OBだというスタッフの男性は、戦艦大和の建造ドック跡地巡り等35分間のクルーズ中、ノー原稿で喋り通した。お見事である。いくつになっても男子はこういうのが好きであるのは間違いない。
夫は一生懸命スマホを構えている。船上の隊員の方たちが手を振ってくれると、ついついこちらも手を振ってしまう。私はお付き合いのお供に過ぎないのだけれど、「さぁ、こういうシーンはなかなか見られないので、是非写真に収めて!」等なかなか乗せるのがうまい。海の日差しが強く、頭が熱くなるほどだったが、無事戻ってきた。
遅いランチは呉海自カレー等のメニューもあるシーサイドカフェで。海を見ながら夫はカキフライカレーを、私は焼きチーズカレーを頂く。さらに広島県民のデザートといえばこれだ、というバターケーキと珈琲のセットも追加してお腹一杯に。食後はロキソニンを飲む。
最後は、てつのくじら館(海上自衛隊呉資料館)を見学。海上自衛隊の歴史や掃海艇、潜水艦の紹介を見た後は、静態保存されている潜水艦あきしおの船中へ。二段ベッドならぬ三段ベッドでの寝起きはそれは大変だったろうな、と思う。
時間があれば、すずさんゆかりの旧澤原家住宅三ツ蔵やすずさん家も訪れてみたかったけれど、時間切れ。快速電車に滑り込みで乗り込んで(発車ベルは宇宙戦艦ヤマトのテーマ曲だった。)、帰路は40分で広島駅まで戻ってきた。
駅ビルでおやつを買って再び路面電車でホテルに戻り、綺麗に整った部屋で、紅茶で一服。
母にMeet通話でご機嫌伺いしたら、ずっと仲良くお喋りしていた相棒(90代)が、今週から木曜日だけになってしまい、今日は新しい人が10人もいて、なんだかつまらなかったそう。珈琲タイムも2回だったのが1回になり、それも残念だとぼやいていた。
まぁ、値上げラッシュなので施設の方も色々大変なのだろうが、今まで看護師さんに足の巻き爪を切ってもらえていたのにそれも出来なくなったと言われ、困っているそうな。近所の皮膚科クリニックにお願いするようになるのだろう。
さて、夕食は初日にチェックしていた、原爆ドームにほど近い川辺のレストランを予約した。原爆ドーム前の駅で降り、ライトアップされたドームの周りを一周する。明日が満月とあって、銀色に輝く丸い月が静かに照らしている。漆黒の空に星も綺麗に映えている。ほとんど誰もいない中、静かに祈ることが出来て良かった。さらに爆心地である島内科医院前にも歩を進め、合掌してきた。
昨日、一昨日と郷土料理、和食と続いたので、今日は趣向を変えてのイタリアン。夫は白ワイン、私は手作りレモンジンジャエールで乾杯し、前菜盛り合わせや焼き牡蠣、パスタやデザートを堪能した。
再び路面電車でホテル最寄り駅まで戻り無事部屋に。今日も万歩計は15,000歩超え。
3泊の平和を祈る旅も最後の夜になった。明日は午前中1か所訪れた後、午後の新幹線で帰京の予定である。