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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2023.3.4 痛いと言いつつ、今だからこそ、平和を祈る旅へ

2023-03-04 23:11:20 | 

 昨夜はブログアップ後、夫にお茶を淹れ、私はパスしてドラマの録画を視ながらだらだらしてしぶとい痛みをやり過ごす。お風呂から上がったときには、やっぱり日付が変わってしまった。

 そして今朝。いつもの通りの目覚ましが鳴り、時間差でセットしたスマホアラームが鳴る。土曜日にしては早い起床だ。残念ながら痛みは続いているが、今日からお出かけ。予定通り決行である。
 まずは洗濯機を廻しながら、朝食を摂る。やることは山積。洗濯物を夫と手分けして部屋干しした後、ごみをまとめ、花の水を替えて・・・エトセトラエトセトラ。せっかちの夫のせいで、出かける目標時間が昨夜確認したより15分以上早くなっている。

 とりあえず身支度が完了したので、コデインを飲み、早めに家を出ることに。スーツケースは既に宅配便に出してあるので、今日は身軽だ。てくてく駅まで歩く。
 予定した電車に乗り、順調に乗換駅でJRの快速電車に滑り込んだ。私だけ席を確保させてもらい、先日読みかけだった本を読み続ける。

 乗換駅に到着すると、予約した新幹線発車まで30分以上。余裕である。お弁当を買わなければいけないから!と出発時間を早めたようだけれど、何があってもワンパターンで牛飯弁当を買うと決まっているのに(今日は米沢牛三昧弁当!)、どうしてそれほどの時間が必要だと思うのだろう。
 私は春のお弁当をゲット。駅ビルをぶらぶらしながらホームへ上がったのは10分以上前のこと。山手線並みの発車ラッシュは相変わらずである。

 今日は終点まで3時間40分ほどの旅である。目的地は平和都市・広島。息子がチビの頃、この街を訪れて以来20年以上経っている。鹿さんがいるからね、と宮島だけは訪れたのだが、市内ではただただひたすら路面電車に乗り続け、デパートのおもちゃ売り場をブラブラし、平和記念公園はすり抜けただけで、何の歴史的資料も見ていない。

 唯一の被爆国である日本人の端くれとして、このまま一度もこの場所を訪れずして死んでいくのはどうなのよ、と以前から気になっていた(その後、夫と息子はしっかり2人で訪れ、平和記念公園で地元新聞のインタビューを受けた、という後日談がある。)。
 新大阪より先まで新幹線に乗るのはどのくらいぶりだろう。夫が、新大阪駅通過時間を息子に知らせ、お弁当の差し入れを頼んだところ、残念ながら仕事で行けない、と断られたようだ。これは残念。

 今日のお供は木内昇さんの「占(うら)」(新潮文庫)。
 木内さんは初めましての方だ。帯には「知りたいのはあの人の気持ち。視えたのは私の執心。不安にもがき、逞しく生きる女性たちを描く七つの短編 占いは信じないと思ってた。」とある。いつの世も恋愛、家庭、仕事の悩みは尽きないものである。

 夫は窓際の席でウトウトと舟を漕ぎ、起きたと思ったら車内販売で珈琲を買って目を覚まし、待ちに待ったお弁当の時間である。美味しく完食し、さらに持参したドーナツもたいらげた。
 やっぱり痛みがあるので、食後はロキソニンを飲んでおく。新大阪を過ぎると車内はすっかり空いてしまった。新神戸、姫路、岡山・・・と過ぎ、終点広島には3分遅れの到着だった。

 前回は往復飛行機のツアーだった(広島空港までは山道を走り、結構遠かった記憶がある。)ので、当然ながら広島駅は全く記憶がない。駅ビルでお土産を物色しながら、おやつに大好きなパン屋さんで焼きたてのデニッシュ等を買う。このパン屋さんが広島生まれだったとは全く知らなかった。中学時代だったか実家最寄り駅にお店が出来て、試験の日等には好きなパンを買って臨んだような記憶がある。

 今なお鉄男の息子は、チビの頃、路面電車が大好きで、日本全国路面電車が通る街を全て制覇したのだが、当時デビューしたばかりの、この街を走るグリーンムーバーは特にお気に入りだった。その路面電車が並ぶ駅前は随分賑やかだ。いいお天気で暖かい。
 ホテルの最寄り駅までその路面電車に揺られる。繁華街に到着し、ちょっと歩いて今日から3泊お世話になるホテルに到着した。
 先着していたスーツケースと一緒にエレベーターに乗り、最上階の部屋で荷ほどきを済ませ、買ってきたパンと紅茶で人心地つく。

 今日はとにかく平和記念資料館を訪れるのが至上命題である。ホテルを出て徒歩圏内にある平和記念公園に到着する。今月から18時閉館とのことで2時間たっぷり見学できる。かなり混雑している模様だ。というのも皆さんじっくり丁寧に見てなかなか進まないのである。

 導入展示で焦土と化した広島市街地の映像の投影を視てから、本館の「被爆の実相」へと進む。「あの日、立ち上るきのこ雲の下で何があったのか、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真、資料を展示し、1945年8月6日、広島で何が起こったのかを伝えます」とある。そして「大火傷を負った人の写真、遺体の写真等が多数ありますので、ご留意ください」ともある。

 NHKのドキュメンタリー映像等で一度ならずとも見たことのある、火傷と負傷にあえぐ被爆者の方たちの写真が圧倒的な質量で迫ってくる。知識としては知っていた「人影の石」を実際に目の当たりにして打ちのめされる。
 頭髪が抜けた姉弟の写真で放射線の恐ろしさに身震いし、治療により何度も脱毛した自らにも重ね合わせてしまう。中学生の遺品、子どもの三輪車等、なぜあの日、死んでいかなければならなかったのか、罪のない沢山の子どもたち、そしてその親たちの魂の叫びに心が震えた。

 さらに、惨禍の中を生き延びた後、家族や友人を失った悲しみに耐え、心身に残る傷や病を抱えながら生きていかなければならなかった沢山の人たちの哀しみに首を垂れた。
 夫は1時間半ほど経ったところで「○○(息子)と来たのはここではなく戦没者追悼平和祈念館だったようなので、そちらに行ってくる」と一足先に資料館を出た。私はまだまだ時間が足りなかった。痛みも疲れもあったが、ソファに座ることもせず、息苦しくなりながら全ての説明をくまなく読みながら進んだ。

 館内では閉館30分前、15分前のアナウンスが流れたが、子どもも含め、若い人や外国人観光客等も熱心に見学を続けていた。オバマ大統領が折ったという折り鶴の展示もあった。改めて広島の人たちはどんな思いで彼の国の大統領を迎えたのだろうと複雑な気持ちになる。
 閉館まであと10分のところで夫が戻ってくる。爆心直下の町の企画展も一通り見学を終え、虚脱感と同時に来られてよかったという思いに浸りながら、資料館を後にする。

 夫曰く、息子と取材を受けたのはやはり追悼平和祈念館だった、とのこと。急いで移動したところ、あと5分で閉館するがそれでよければ、とのことで入館させて頂く。急ぎ時計の針と逆回りに下っていく追悼空間スロープを降り、地下2階の平和祈念・死没者追悼空間で原爆死没者の方たちに黙祷を捧げた。
 壁面には、爆心地付近から見た被爆後の街並みを、約14万人の死没者と同数のタイルを用いて表現しているという。ごく短い時間だったが、大型モニターに映し出されたご遺影も拝見しつつ、静かに追悼することが叶った。

 東京より日が長く、6時を過ぎても公園内はまだまだ多くの人たちが散策を続けている。原爆死没者慰霊碑で祈り、原爆の子の像で折り鶴の形をした鐘を鳴らして祈り、息子が生まれた年に世界遺産に登録されたという川向うの原爆ドームを拝む。橋の灯りがつき、暮れなずむ街は水も緑豊かで美しい。二度と戦争をしてはいけないという思いを新たにすることが出来て、来ることが叶って本当に良かったと改めて思う。

 賑やかなアーケードを通り、ホテル迄戻る。ひとまず母にご機嫌伺いのMeet通話を済ませる。
 夕食はガイドブックで見つけた、ホテルからほど近い、郷土の伝統的な調理法を用いたコース料理を懐石料理のごとく全18品味わえるというレストランに電話予約が出来た。
 個室に案内され、夫は三次ワイナリーの白ワイン、私は手作りレモネードで乾杯。月替わりのメニューは、瀬戸内と山陰の春の恵みをたっぷり使った珍しくも美味しいものばかり。最後はお抹茶と上生菓子で大満足。お店のスタッフもとても親切で、一緒に写真を撮ってお店を後にした。

 ということで、旅の初日は今だからこその平和を祈る一日になった。万歩計は13,000歩ほど。
 さて、明日はどんな一日になるだろう。


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