ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.4.25 「津波災害-減災社会を築く」

2011-04-25 21:21:33 | 読書
 標題の河田惠昭さん著・岩波新書を読んだ。
 著者は津波災害研究の第一人者「阪神・淡路大震災記念 人と防災センター長」、関西大学社会安全学部長である。

 帯には「必ず、来る!」というショッキングな字が躍っていて、思わず手に取った。本が発売されたのは昨年の12月半ば。まさか、その日から3ヶ月も経たずしてあの東日本大震災が実際に起ころうとは、この時いったい誰が考えていただろうか、と唇を嚙む。
 私のような全くの文系人間にも(専門的な部分を全て理解しなくとも)読みやすく、分かりやすい一冊だった。
 いかに津波が恐ろしいものかが、すとんと腑に落ちた。もちろん、3.11以前に本書を読んだわけでなく、実際に東日本大震災の映像が目をつぶれば浮かびあがる今だから、なのだろうけれど。そして、津波災害地図にマッピングされた都市の名前は、今回被災地として繰り返し目にした市町村の名前ばかりだ。三陸沿岸を「世界屈指の津波危険地域」と呼ぶ本書を読むと、“宿命的な”津波常襲地帯である三陸海岸にとって、今回の大震災は決して想定外ではなかったのだ・・・と、あらためて悔しい思いになった。

 まえがきで著者は「この本の出版は、2010年2月27日に発生したチリ沖地震津波がきっかけとなっている。わが国では、約168万人に達する住民を対象に、避難指示・避難勧告が出されたが、実際に避難した人は3.8%の約6.4万人に過ぎなかった。とくに、津波常襲地帯の北海道、青森、岩手、宮城、三重、和歌山、徳島、高知の各県の沿岸市町村でも、対象人口約74万人中、5.1%の約3.8万人が避難したに過ぎない。このように極めて低い避難率であった。近年の津波災害では、住民の避難率が大変低いことはすでに問題となっていた。しかも、年々これが低くなっているのである。『こんなことではとんでもないことになる』というのが、長年、津波防災・減災を研究してきた私の正直な感想であり、一気に危機感を募らせてしまった。沿岸の住民がすぐに避難しなければ、近い将来確実に起こると予想されている、東海・東南海・南海地震津波や三陸津波の来襲に際して、万を超える犠牲者が発生しかねない、という心配である。(後略)」と書いておられる。

 この本を3.11以前にいったいどれだけの人たちが読んでいたのだろうか。津波は「一刻も早く逃げるが勝ち」なのだ。今般の大震災で知った言葉“津波てんでんこ”( 「津波の時は親子であっても構うな。一人ひとりがてんでばらばらになっても早く高台へ行け」という意味)等、古くから津波常襲地帯・東北地方で語り継がれてきた言葉の重い意味を思う。

 本書は昨日の読売新聞の書評にも紹介されていたし、今朝の読売新聞にも、著者が書いた文章が国語の教科書に掲載されているという記事を見つけた。

 2011年度から、津波に対する誤解を解くために、「百年後のふるさとを守る」と題した筆者の教材が採用されることになった、と著者も本書で紹介していた。
 というのも、1937年~47年に小学校の国語の教科書で使われた「稲むらの火」という安政南海地震の様子を描いた物語で、一気に海岸から波が引いていく様子が描かれ、それが人々の印象に残って津波は引き波から始まる、というふうに伝承化した。その結果、地震が起こると引き波かどうか海岸を見に行く人々が続出し、そのために様々な地震津波の際に逃げ遅れて命を失う例が数多く見られたという。さらに現在でも口伝えにこの誤解が浸透しており、本書によると「2003年の三陸南地震の後に実施された気仙沼市の市民の調査では、津波の第一波が引き波で始まっていると信じている市民は何と95%を超えていることがわかった。」という。だが、実際には津波は引き波が最初ではないし、第二波、第三波が大きいことがあるのだ、という紛れもない事実は今回の大震災で実証されてしまった。

 今朝の新聞に、“防災教育に心の傷が心配”、“「どう教えたら」教員苦悩”という見出しで、教員たちがいったいいつの時点で子どもたちに今回の災害を思い出させていいものかどうかについて悩んでいる、という記事があった。PTSD(心的外傷後ストレス障害)を思うと、やはりあまりに生々しい。

 だが、本書では最後に「災害の体験・経験は起こった瞬間から風化が始まる。そして、気がついたときには、大切な人を失った人とその周りの人にだけ、悲しい思い出がいつまでも付きまとっている。悲しさを体験した人は、その苦しみをもったまま生き続けなければならない。PTSDは、阪神・淡路大震災をきっかけとして、よく知られるようになった。しかし、いくら時間が経過しても、深く心が傷ついた人は癒えないのである。
 風化するようでは、災害で亡くなった犠牲者に申し訳ない。亡くなった人たちが私たちの記憶の中に生き続けることが、いま生きていることに対する感謝であり、二度と災害に遭遇しないことにつながる。災害を忘れることなく、現在に生き返らせるためには、語り継ぐことが大切である。」とも述べている。

 一つしかない命をいかに自分で守るか、地震大国日本に生まれ、これからも生きていく重みを突き付けられる1冊だった。

コメント
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