連休初日。今日もいいお天気だ。
案の定早朝覚醒してしまった後、いつのまにか二度寝をしてしまい、いつもよりだいぶ遅い起床となった。水曜日の投与後、いつもなら土曜日の午前中あたりまで残る気持ち悪さが大分おさまっていたので、思い切ってベーシックヨガに出かけて汗を流してきた。さらには欲張って、午後から今日封切りの映画「八日目の蝉」を一人で観てきた。
さすがに封切り初日ということもあり、小さなスクリーンは結構混みあっていた。ご存知角田光代さんの原作で、去年壇れいさんが、育ての母であり誘拐犯である希和子役で、NHKドラマ化されたものを観ていた。早く原作を読みたかったが、文庫になるまで指をくわえて待ち、発売早々読んだ。ドラマは本当に原作に忠実に作られていたのだ、と思った。息が詰まるほどの逃亡劇でまるで一緒に逃げるように一気読みしたのが記憶に新しい。
そしてゴールデンウィークには映画化されることを予告篇で見、出産後の初仕事の永作博美さんが希和子役と知り、封切りを楽しみにしてきた。
映画のキャッチコピーは「優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした。」。=土砂降りの雨の中で起きた誘拐事件。犯人は父の愛人。連れ去られたのは、私。私はその人を、本当の「母」だと信じてきた。=というのが主人公・恵理奈(薫)の背景。2つの名前に引き裂かれた分裂したアイデンティティだ。
そしてタイトルの八日目の蝉―これは、蝉が、何年も土の中にいて、地上に出て七日間で死ぬというが、もし、七日で死ななかった蝉がいたら・・・。もし八日目まで生きた蝉がいたとしたら、その蝉は幸せなのだろうか。何もかも失い自分は「からっぽ」の「がらんどう」で、まるでほかの人が知るはずもない“八日目”を生きているようなものだと思っていた女たちが、哀しみと孤独を乗り越え、自分の足で一歩踏み出していく姿をイメージしている、という。
舞台となった小豆島には学生時代に友人と一度行ったことがあるが、寒霞渓から望む瀬戸内海の風景は本当に美しかった。フェリーで食べたさぬきうどんも美味しかったなあ、などとタイムスリップしてしまった。
映画は147分と長編だったが、長さを感じさせないほど巧みだった。逃走劇とその後の2章に分かれていた原作とは違い、回想と現実が交互に入り混じりながら進む作り。最初は、産みの母と育ての母の2人の法廷シーンからのスタートだった。産みの母役の森口瑤子さんも、これまでの綺麗なお姉さんタイプと違い、凄みさえ感じ、母という業を思った。
朝のNHK連続ドラマでヒロインを演じている井上真央さんが娘の恵理奈役を演じていたのには、ちょっとイメージにギャップがあり、最初は違和感を覚えたが、ラストは希望を感じる作りになっており、救われた。
何より幼馴染の千草役を演じていた小池栄子さんが結構はまり役で、前かがみの姿勢がやけに印象に残った。
そして、希和子役を本当に体当たりで演じた永作さんがインタビューで「血がつながっている家族なんだから、一緒にいるのは当たり前。それはすごく乱暴な言い方だと思います。それは決して、当たり前のことじゃない。自分の愛する者が、今ここにいることは、当たり前なんかじゃなくて、とても大事なことなのだと思います。」は母となった彼女の実感なのだろう、と思う。
私は普通の蝉が生きる七日間を全うできずに五日間、いや六日間で死んでしまう蝉かもしれない。それでも、その五日間か六日間を七日間に負けないくらい大切に生き抜きたい、と改めて思った。
今日、息子は入学祝に買ってほしいとねだっていたテレビゲームを夫と一緒に買いに出かけ、しっかり買ってもらって帰ってきた。
夕食後に、自慢げにテレビの前に張り付いて早速プレー中である。こちらはいろいろ説明されてもさほど興味はないけれど、あまりに本物のように良くできているので驚いた。テレビに釘づけになってこれ以上目が悪くならないとよいけれど・・・。
案の定早朝覚醒してしまった後、いつのまにか二度寝をしてしまい、いつもよりだいぶ遅い起床となった。水曜日の投与後、いつもなら土曜日の午前中あたりまで残る気持ち悪さが大分おさまっていたので、思い切ってベーシックヨガに出かけて汗を流してきた。さらには欲張って、午後から今日封切りの映画「八日目の蝉」を一人で観てきた。
さすがに封切り初日ということもあり、小さなスクリーンは結構混みあっていた。ご存知角田光代さんの原作で、去年壇れいさんが、育ての母であり誘拐犯である希和子役で、NHKドラマ化されたものを観ていた。早く原作を読みたかったが、文庫になるまで指をくわえて待ち、発売早々読んだ。ドラマは本当に原作に忠実に作られていたのだ、と思った。息が詰まるほどの逃亡劇でまるで一緒に逃げるように一気読みしたのが記憶に新しい。
そしてゴールデンウィークには映画化されることを予告篇で見、出産後の初仕事の永作博美さんが希和子役と知り、封切りを楽しみにしてきた。
映画のキャッチコピーは「優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした。」。=土砂降りの雨の中で起きた誘拐事件。犯人は父の愛人。連れ去られたのは、私。私はその人を、本当の「母」だと信じてきた。=というのが主人公・恵理奈(薫)の背景。2つの名前に引き裂かれた分裂したアイデンティティだ。
そしてタイトルの八日目の蝉―これは、蝉が、何年も土の中にいて、地上に出て七日間で死ぬというが、もし、七日で死ななかった蝉がいたら・・・。もし八日目まで生きた蝉がいたとしたら、その蝉は幸せなのだろうか。何もかも失い自分は「からっぽ」の「がらんどう」で、まるでほかの人が知るはずもない“八日目”を生きているようなものだと思っていた女たちが、哀しみと孤独を乗り越え、自分の足で一歩踏み出していく姿をイメージしている、という。
舞台となった小豆島には学生時代に友人と一度行ったことがあるが、寒霞渓から望む瀬戸内海の風景は本当に美しかった。フェリーで食べたさぬきうどんも美味しかったなあ、などとタイムスリップしてしまった。
映画は147分と長編だったが、長さを感じさせないほど巧みだった。逃走劇とその後の2章に分かれていた原作とは違い、回想と現実が交互に入り混じりながら進む作り。最初は、産みの母と育ての母の2人の法廷シーンからのスタートだった。産みの母役の森口瑤子さんも、これまでの綺麗なお姉さんタイプと違い、凄みさえ感じ、母という業を思った。
朝のNHK連続ドラマでヒロインを演じている井上真央さんが娘の恵理奈役を演じていたのには、ちょっとイメージにギャップがあり、最初は違和感を覚えたが、ラストは希望を感じる作りになっており、救われた。
何より幼馴染の千草役を演じていた小池栄子さんが結構はまり役で、前かがみの姿勢がやけに印象に残った。
そして、希和子役を本当に体当たりで演じた永作さんがインタビューで「血がつながっている家族なんだから、一緒にいるのは当たり前。それはすごく乱暴な言い方だと思います。それは決して、当たり前のことじゃない。自分の愛する者が、今ここにいることは、当たり前なんかじゃなくて、とても大事なことなのだと思います。」は母となった彼女の実感なのだろう、と思う。
私は普通の蝉が生きる七日間を全うできずに五日間、いや六日間で死んでしまう蝉かもしれない。それでも、その五日間か六日間を七日間に負けないくらい大切に生き抜きたい、と改めて思った。
今日、息子は入学祝に買ってほしいとねだっていたテレビゲームを夫と一緒に買いに出かけ、しっかり買ってもらって帰ってきた。
夕食後に、自慢げにテレビの前に張り付いて早速プレー中である。こちらはいろいろ説明されてもさほど興味はないけれど、あまりに本物のように良くできているので驚いた。テレビに釘づけになってこれ以上目が悪くならないとよいけれど・・・。